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8 その人に触れた時から

 恋をした。

 愛してはいけない人を愛した。

ーーその人に触れた時から。その存在に触れて、その骨格を、血流を、皮膚を、体温を知った時から。溺れるように恋に落ちた。



 ***


 隊長たちとの手合わせの後、アレクシアはすっかり打ち解けたイルゼに自分の天幕の所まで案内された。

「ここがアレクシア様の天幕なんだけど、私と一緒なんですが、いいですか?」

「もちろんよ、イルゼ隊長……この辺りの天幕は女の人が多いのね?」

 全軍の兵士たちの中では女性の数は圧倒的に少ない。だが、アレクシアが案内された天幕の周辺には女兵士を多く見かけた。


「そうですよ。念の為にざっくりだけど天幕の場所は男と女で分けているんです。戦場ですし女のほうが数が少ないし邪な男も多いですからね。まあ大体の男は分別あるんですが、これだけの人数がいると稀に理性をなくす男もいるんですよ。アレクシア様も気を付けてくださいね。綺麗な顔をしているんだから」

「私? 私は大丈夫よ」

「まあ、あれだけ強いんだからどんな男が襲ってきても返り討ちにしそうですけどね。ただ、アレクシア様は侯爵令嬢でしょう。襲われかけたという事実だけで、名前に傷が付くということはないんですか? 婚約者だって大層な家柄の人なんでしょう?」

「気遣ってくれてありがとう、イルゼ隊長。でも私、婚約者はいないの」


 アレクシアの言葉に、近くで聞き耳を立てていた若い女兵士が寄って来た。

「アレクシア様、侯爵令嬢なのに婚約者がいないんですか?」

「ザーラ、あんた何なの。突然」

「いいじゃないですか、イルゼ隊長。面白そうな話しているなら私も混ぜて下さいよ」

「面白そうって……まったく。アレクシア様、こいつはザーラと言って、こんなんでもうちの中隊長になります」

 仕方がないと言った風に、イルゼが新たに話に割り込んできたザーラを紹介した。


(ザーラ、覚えているわ。悪い人ではないのよね。ただ、物凄く人一倍、恋話が好きなのよね。確か)

「そ、そう。よろしくね、ザーラ」

「それで、アレクシア様は侯爵令嬢なのにどうして婚約者がいないんですか? 王都に身分違いの秘密の恋人でもいるんですか? それとも片思いの相手とか?」

 グイグイと容赦なく質問してくるザーラに苦笑せざるを得ない。


(うーん。どこまで話していいのやら)

 アレクシアに婚約者がいないのは隔離されて育ったからなのだが、そんなことまで話すのは躊躇われた。

「……私には恋人はいないわ」

「ふうん? 恋人も婚約者もいないなら、この軍の中で作ったらどうですか? 男は腐るほどいるし選び放題ですよ」

「……ははは」何と答えればいいか分からないアレクシアが乾いた笑いを漏らすと

「ちょっと、いい加減にしなよザーラ。ここは戦場だよ。あんたみたいに年がら年中、恋のことばっかり考えている奴なんてそうそういないって」見かねたイルゼが助け船を出してくれた。


「ええっ? イルゼ隊長がそれ言っちゃいます? 戦場で恋人作ったのはイルゼ隊長でしょ。いっつも戦場でお相手の男と見つめ合っているじゃないですか」

「あんたね、適当なこと言ってんじゃないわよ。私もあいつも公私混合なんて真似したことないでしょう」

「あれえ、そうでしたっけ?」

 

(そう言えばイルゼの恋人は、隊長だったわね。今回の人生でもやっぱり恋人同士なのね。……それにしても、イルゼとザーラも仲良いわね)

 ザーラの恋話の矛先が自分からイルゼに移ったことにホッとして気を弛ませていると、耳元でボトリと音がした。


「あ」

「あ」

 イルゼとザーラが同時に、アレクシアの方を見ながら声を上げた。


「ア、アレクシア様、髪に大蜘蛛が……」

 震える声でイルゼとザーラがアレクシアの髪を指差した。

 近くにあった木の枝から大蜘蛛が落ちて来てアレクシアの髪に絡まったらしい。


 耳元でカサリと言う音が聞こえアレクシアは固まった。


「あれ毒はない大蜘蛛ですよ。イルゼ隊長、取って上げたらどうですか?」

「無、無理。蜘蛛は本当に苦手なんだよ」

「もうっ、私も苦手なんですけど」

 ザーラは落ちていた木の枝を取るとアレクシアの髪に絡まった大蜘蛛を振り払おうとした。しかし、それは逆効果だったらしく大蜘蛛は逃げようともがいて、ますます髪に絡ませていく。


 その様子を見ていた他の女兵士たちが何事かと寄って来る。だが、大蜘蛛を素手で取り払える女兵士はいないらしくみんな遠巻きに騒つくだけだった。そして、そんな周囲の不穏な空気に大蜘蛛はますますもがくのだった。


(ダメだ。さっきから耳元で大蜘蛛がカサカサ。もう耐えられない。自分で何とかしないと)

 とりあえずは、騒ついて不穏な空気を出して大蜘蛛を刺激するこの場から離れようと決める。

 それに、心が乱れると強大すぎる加護の制御が効かなくなる可能性がある。どんな小さな可能性だとしても、自分の加護が原因で仲間を傷つけることはしたくなかった。

「みんな、ありがとう。私は大丈夫だから」

 なるべく平常心を装いながらそう告げると、アレクシアは足早にその場から離れた。


(この辺でいいか。さて、と)

 頭に大蜘蛛をくっつけたまま人気のない場所まで移動したアレクシアは、大きく深呼吸をした。

(平常心、平常心。落ち着いて)

 少しでも不穏な動きをすると耳元で大蜘蛛が動くので、平静を務める。

 

 最小限の動きで腰に差している聖剣エアインネルングに手をかけた。

 素手で髪に絡まった大蜘蛛を取り払えないので、大蜘蛛が絡まっている髪ごと切り落とすことにしたのだ。これならば大蜘蛛に触らずに済むと思った。


 大蜘蛛が反応出来ないほどの『戦神の加護』の速さと正確さで、聖剣エアインネルングを振り上げーー頭皮スレスレで髪をーー。

 

 突然、ガッと強い力で背後から聖剣を持つ手首を掴まれた。


「なっ、何?」

 思ってもみなかった出来事にアレクシアは聖剣を落とした。

 バランスを崩して足元がよろける。

 背後から、手首を掴んでいる手とは別の手で、肩を掴まれ支えられた。



ーーその人に触れた時から。その存在に触れて、その骨格を、血流を、皮膚を、体温を知った時から。溺れるように恋に落ちた。


 

 手首を掴んだ手も、肩を掴み支えた手も、力強く揺らぎもしなかった。

 鼓動が跳ね上がる。


 しっかりと掴まれた手首と肩は縫い止められたように動かせなかったから、首だけで後ろを振り仰いだ。


 黒い瞳が見下ろしていた。


「……ジーク?」

 震える声で男の名を口にする。


 男は無言でアレクシアの手首を掴んでいた手を離すと、琥珀色の髪に触れてきた。肩を掴んでいるほうの手はそのままだった。

 アレクシアの鼓動はますます早鐘を打った。


「……取れましたよ」

 少しして、くぐもったような声でジークが言った。


 見るとジークの手が大蜘蛛を捉え、彼はそれを地面に振り払った。地面に落ちた大蜘蛛はすぐさま逃げて行った。


 正直、大蜘蛛の存在も忘れていたアレクシアだったがそれを見て「ありがとう」と口にした。


「……いえ」

 相変わらずくぐもった声でそう告げると、アレクシアの肩から手を離し、彼はスタスタと歩いて去って行った。


 去って行く男の後ろ姿を呆然として見つめながら、アレクシアはその場に崩れるように座り込んだ。


(鼓動……心臓が痛い)

『戦神の加護』を与えられた身体に疾患はひとつもない。心臓の痛みは身体的なものではなく、精神によるものだと分かっていた。

 座り込んで地面についた手の下にあった石が、ほんの僅かな動きで粉々に砕けた。

(いけない。冷静にならなきゃ)

 どんな時でも心を乱してはいけない。冷静に、平常心で落ち着いていなければ。


 少しの間、その場に座り込んでいたアレクシアはやがてスクッと立ち上がると落ちていた聖剣を拾い上げ腰に差した。

 そして何事もなかったような顔でイルゼたちのいる天幕に戻って行った。

 

 

 






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