7 ドレスバルト平原の戦い
加護とは、気まぐれな神々が気まぐれに与えるもの。
神々は、時に気まぐれで、慈悲深く、残酷で、公平でありながらひどく不公平であり、人間を愛しながら人間を玩具のように扱う、そんな存在だった。
気まぐれな神々ではあったが、戦闘系の最上位となる『戦神の加護』を人間に与えることには、二つの制約を自らに課した。
そのうちの一つが、同国の同時期に二人以上の『戦神の加護』持ちを生まれさせないというものだった。
これは、一つの国に強さが偏りすぎないようにするためである。
神々はとても公平だった。ある側面からすると、とても不公平であったが神々としては自分たちは公平な存在だと思っていた。そのため、国力が偏りかねない『戦神の加護』を同時期の同国に二人以上生まれさせることを禁じた。
いかなる国のいかなる時代においても破られたことのない、神々が自ら取り決めた制約だった。
すなわち、アレクシアが存命中は、グローセン王国で『戦神の加護』を持つ人間が生まれることは決してないのだ。
戦場を知らない者にとっては、平時において世界に三人から四人しか存在しないこの加護を知らない者も多い。
戦場を知る者であっても、実際にその目で見た者はそう多くはない。
戦乱と呼ばれた時代は三百年前と遠く、今や書庫の片隅に隠れ埃を被った、歴史書の中でしか語られない出来事となっている。
ーー右、剣、左斜め後ろ、槍、後ろ上方から弓。いなす、いなす、かわす。
アレクシアは、次々に繰り出される隊長たちの攻撃を、加護による察知能力でいなしながらかわして行く。
どこからどんな攻撃が来るのか、加護の力が本能のように教えてくれた。
(やっぱり剣を抜く必要はなかったな。まあ、でも仕方ないか)
アレクシアの持つ剣は、カーン侯爵家に代々受け継がれてれきた聖剣だ。
聖剣エアインネルング。追憶や思い出、という意味を持つ。
普通の剣では『戦神の加護』同士の戦いに耐えられない。強すぎる膂力で打ち合えば、すぐさま剣は粉々に砕けてしまうからだ。
今回の戦いで敵国にも『戦神の加護』がいると聞いたアルベルトが、出立前夜に自ら届けに来てくれた剣だった。
この剣で隊長たちと戦う気はなかった。それでも、剣を抜いたのは余計な反感を買わないためだ。一人で千人を率いる隊長ならプライドが高い。手合わせとは言え、相手が剣も持たずに戦おうとしたなら余計な反感を買っただろう。
(出来れば隊長さんたちとは仲良くしていきたいものね)
ーー前方、剣、槍、右斜め後方、剣。いなす、かわす、いなす。
さすがと言うべきか、隊長たちの攻撃は常人とは比べ物にならないくらい鋭く早かった。
しかし、そのどれもがアレクシアに届くことはない。
アレクシアは歴代の『戦神の加護』を持つ者たちの中でも、強かった。
通常、自我が抑制出来る年齢になってから発現すると言われるこの加護を、わずか二歳で発現させてしまうほどに。
特に、俊敏さにおいては特化していると『見識の加護』を持つ者により見定められていた。
テオドールが、敵国の『戦神の加護』を持つ者との戦いで、アレクシアを全面的に信頼しどんな状況になっても援軍を送らないと言っているのも、それを知っているからだと思われた。彼はアレクシアの勝利を信じて疑っていない。
そして、この速さがあったから実際に逆行前の人生で、敵国の『戦神の加護』の兵士にも勝てたのだった。
(やっぱり相手も『戦神の加護』を持っていただけに、かなり苦戦はしたけどね)
皮膚が裂けたくさんの血を流し、いくつかの骨が砕けながら肩と腹を貫かれた、あの戦いを苦々しく思い出す。
どれだけの傷を負おうが、加護による驚異的な治癒力で瞬く間に傷はふさがるとしても、肩と腹を貫かれることは気持ちの良いものではなかった。
ーー前方、左右、後方、剣、剣、剣、剣。いなす、いなす、いなす、いなす。
隊長たちの息が段々と上がってくる。
一番前で一番剣を振るっていたイルゼが悔しそうに「クソ」と毒づく。
アレクシアの体力は加護のおかげで尽きることはない。
そろそろ終わりだと思った。
隊長たちが互いに、ほんの僅かに目配せをする。そして一瞬でアレクシアから離れて距離を置いた。
ーーーー来る。
加護による察知能力が再び教えてくれた。
ーー全方位、弓、弓、弓、弓。いなせない。かわしきれない。
雨のような弓矢がアレクシアに降り注いだ。
それまで淡々とした顔で隊長たちの攻撃を受け流していたアレクシアに表情が生まれた。戦いの女神を思わせるように、それはそれは美しく笑った。
(見事だわ、さすがは千人を率いる隊長たち)
振るうつもりのなかった剣を振り上げる。
聖剣エアインネルング。追憶、思い出という意味を持つ聖剣だった。何故、こんな意味を持つ言葉をこの剣に名付けられたのかは分からない。だが、その名を知りその剣が振るわれる様を見た者は誰もが思ったという。この剣にはエアインネルングという名が本当に合っている、と。
常人が目で追うことが出来ないような速さで剣が振るわれる。雨のようだった弓矢がアレクシアの肌を傷付ける前に、全て叩き落とされた。
そして、汗一つかかずに、息を乱すこともなくアレクシアは佇んでいた。
「すごい……」思わず、と言ったようにイルゼの口からそんな言葉が漏れた。
そして、後には沈黙が落ちた。
「おいおいおい、何だ最後のやつは。俺は聞いてないぞ、あんな弓兵の一斉射撃。お前たち、隊長九人で戦うという話だったじゃないか。ちょっと卑怯なんじゃないのか。あんな不意打ちのように」
沈黙を破ったのはテオドールだ。
息を上げ座り込む隊長九人と、観客に紛れて最後に矢を放った弓兵たちに向けて言う。
「戦場で不意打ちが卑怯だなんておかしなことを言いますね。敵の不意をつけたなら、よくやったと褒められる所でしょう」
テオドールに真っ向から言い返したのは、やはりイルゼだった。
「屁理屈を言うな。ここは戦場ではないしアレクシアは敵ではないだろう。あくまでも手合わせという形で始まったことだ」
「そうですね。とにかく、弓兵たちは悪くありませんよ。私たち隊長があらかじめ命じておいたんです。あらかじめ観客に紛れながら、私たち隊長が手も足も出せずに負けそうな状況になったら弓矢で攻撃をしろと。……でも、まさか本当に手も足も出せずに負けるとは思っていませんでしたけどね」
(なるほど、最初からそういう計画だったのね。それにしても僅かな目配せで隊長九人が一斉に離れて、その直後に弓矢を放った弓兵たちの連携は見事だったな)
それに作戦自体もよく考えられていたと思う。最初に隊長九人と戦うと言われていれば、まさか伏兵がいるとは思ってもいなかった。
逆行前の一度目の人生では、最後の弓攻撃はなかったことだった。
イルゼはよっこらしょと立ち上がると、真っ直ぐにアレクシアへと向かい、右手を差し出した。
「完敗です、アレクシア様。どうか今までの非礼をお許しください。最強の加護を持つあなたと共に戦えることを光栄に思います」
それはイルゼの本心だと分かっていた。加護の力だとしても自分より強い相手には敬意を示す、彼女は根っからの軍人だった。
そんなイルゼの真っ直ぐな気性を好ましく思った。
だから、差し出された手を握り返した。
「何だかんだで仲良くなってくれて良かったよ」
やれやれと言った風にテオドールが呟いていた。