第3話 アイツのおかげ?
おかしいおかしいおかしい。
俺は絡みそうになる足を必死に回し続けるが、あの異形の生き物との距離は縮む一方に見える。
(なんで! どうして! 俺がなんか悪いことしたってのか? )
実際に恨み言のひとつでも叫んでやりたいところだが、口からついてでるのは大きく乱れた呼吸のみだ。
(普通、最初の出会いって美少女とかエルフのお姉さんとかそういうもんだろう!? )
これが異世界での最初で最後の出会いなんて真っ平御免だ。
そんな思いとは裏腹に、俺の足は徐々に速度を落としていく。
(も、もうだめだ。運動不足の中年が全力疾走なんてしても長続きするわけないだろ…… )
1度気持ちが切れてしまっては、限界を迎えた体はもう思うようには動かない。もはや走っているとは言い難いほどスピードは落ち、とっくに酸欠状態であった肺は不足する酸素を取り込むべく大きく息を吸い込――――
ゴフッッッ!!!
「ゴホッ、ゲホッ……」
覚えのある、何か乾いたものが口の中に現れた感覚に襲われ、俺は膝をついてソレを吐き出した。
俺は吐き出したそれを見つめる。やはりと言うかなんというか、アイツ、カメムシだった。そのカメムシはどこか見覚えのあるようなつぶらな瞳でこちらを見て――――
(って、そんな場合じゃねえ! あの化け物は!? )
俺は急いで振り返る。
幸いなことに、突然停止して咳き込んだ俺に驚き、今にも飛びかからんとしていたそいつは様子見を選択したようだ。
(OK、一旦落ち着こう。 ラッキーなことにすぐには襲われなさそうだし……)
まずは状況整理だ。何故かは知らんが化け物に追っかけられ? 何故か咳き込んだおかげで止まってくれたは良いものの、いつ襲われてもおかしくはないな?
なるほど、つまり状況は絶望的だ。
(あぁ、クソっ! せっかくの異世界転生。せめて何か能力でも使ってから死にたかったなあ……)
もう半ば諦めた俺はがっくりと視線を落とす。そこにはあのカメムシがいた。つぶらな瞳でこちらを見ている。
そういえばコイツはなんなんだ。さっきはカメムシが口に入ってきた感覚なんてなかったし、まるで本当に口の中に突然現れたような、、
まあ、もうどうだっていいか。あーあ、もうお前でもいいから……
俺はその願いが叶うとは思わず、叶えようとも思わず、その言葉を口にする。
「もうお前でもいいから、何とかしてくんねえかなあ……」
その瞬間、カメムシは一目散に飛んでいく。あの化け物の口に向かって。
そこから先は早かった。カメムシが口に入ったことに気がついた化け物は暴れ出す。しかし直後、痙攣するような素振りをみせ、そいつはその場で倒れ込み動かなくなった。
「……えっ? 」
先程までの命の危機が嘘だったかのように突如訪れた静寂に、俺は唖然と立ち尽くすしかなかった。
いや、起こったことは単純だ。俺の口からカメムシが出て? そいつが化け物に飛んでって? 食われたかと思ったら化け物が気絶した。
意味がわからない。今日日小学一年生でももっとマシな嘘をつくだろう。
どうにも頭がおかしくなりそうだが、気を失っているだけのアイツが起き上がる前に、とっととこの場から去った方が良さそうだ。
そう考えた俺は疲れ切った体に鞭を打ち、元来た道を引き返すことにした。