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ピョンタの埋葬

作者: 桃園沙里

 小学五年の初夏、僕は小さなアマガエルを飼っていた。学校からの帰り、遊歩道を歩いていた時に紫陽花の葉影にいたカエルを見つけ、ペットという物を飼ってみたくて捕まえたのだ。その頃住んでいた家は社宅で、犬や猫などのペット禁止だった。

 そのカエルはほんの二センチくらいの大きさで、緑色の背中をしていた。僕は、勉強部屋の本棚に、百均で買ったアクリル製の水槽を置いた。底に土を軽く敷き、小さな観葉植物を植え、水入れの皿を入れてカエルの棲家を完成させると、カエルをその中に入れた。

 僕はカエルに「ピョンタ」と名をつけた。

 母はカエルが苦手だった。「コミュニケーションが取れない動物は可愛くない」と言って世話は全て僕に任された。僕が欲しがったペットなのだから当然なのだが。

 毎朝学校に行く前にピョンタの挨拶するのが習慣になった。

「行ってくるよ、ピョンタ」

 学校から帰ると「ただいま、ピョンタ」と声を掛ける。ピョンタは反応する時もあるし、葉影で眠ったままの時もある。

 夕方になると、ピョンタに餌を遣る。餌は、父が調べてペットショップで買ってくれた乾燥コオロギだ。僕はそれをピンセットで摘んでピョンタの目の前でヒラヒラ動かす。すぐに食いついてくるかどうかは、その日のピョンタの気分次第だ。

 もぐもぐ餌を食べているピョンタに、僕はその日の報告をする。

「今日の給食はカレーだったよ。茄子が入ってて、後ろの席の健君は茄子が嫌いだって言うから僕が貰った」

 母はそんな僕を側から見て「お母さんには全然話してくれないのにね」と笑う。

 ピョンタは僕に懐くとかは全然なかったけれど、ひとりっ子の僕は、自分の弟分というか所有生物を持てて満足だった。


 毎日見ているうちに、ふと、ピョンタに外の世界を見せてやりたくなった。

 七月の土曜日の朝、僕は百均で買った首から下げる虫籠にピョンタを入れ、自転車に乗って中央公園へ出かけた。

 中央公園では毎週土曜日の午前中に「外遊びの会」というものをやっていた。町内会の大人が近所の子供たちを集めて外遊びをする会だ。近年外遊びをしなくなった子供たちに遊びを教え一緒に遊ぼうという趣旨らしい。土曜日に両親が働いている家庭の子供や、そうでない子供や、とにかく近隣の子供たちが自由参加で集まる。主に小学生が中心で、たまにしか来ない子もいれば毎週来る子もいる。僕たちはそこで大人たちに教えてもらった「缶蹴り」や「たかオニ」をして遊ぶのだ。

 その日、僕が公園の集合場所に行くと、ヒロト君が僕の姿を認めて駆け寄ってきた。ヒロト君は同じ小学校だけどクラスが同じになったことはない。ヒロト君は僕の虫籠を目にして早速訊いてきた。

「何持ってるの」

「ペットのピョンタ。ずっと家の中にいるからたまには外の世界を見せてやりたいと思って」

「へえ、カエルを飼ってるんだ。見えるの?カエルに外の世界が」

「さあ、わからない」

「ふうん」

 僕らが話をしていると、上級生の女子たちが近づいてきた。

「なになに」

「翔君のペットだって」

「ピョンタっていうんだ」

「こんにちは、ピョンタさん。私、由香よ」

「来週も連れてくる?」

 女子の一人が訊いてきた。

「うん、たぶん」


 次の土曜日も、僕はまたカエルの虫籠を持って公園に行った。自転車置き場に行くと、カブトムシが入った虫籠を持っているヒロト君がいた。

「それ、ヒロト君のペットなの?」

 自転車をヒロト君の隣に停めながら、僕は訊いた。

「うん」

 甲羅がテラテラと黒く光り、いかにも男の子が好きそうなペットだなと僕は思った。

「かっこいいね」

「だろ」

 集合場所に行くと、みんなそれぞれ虫籠やメダカの瓶やキャリーケースを持っていた。

 メダカの瓶には二匹のメダカが入っていた。

「メダカってどれくらい大きくなるの」

 メダカはただ水の中で揺れているだけだった。見ていても楽しくない生き物だと僕は思った。

 ハムスターは、取っ手のついたケージの中で紙屑に出たり入ったりせわしない。忙しそうだなと思った。

「わあ、かわいいね」

 女子たちはハムスターが好みらしい。

「こいつら、わかるのかなあ。ここが公園だってこと」

 ヒロト君が言った。

「ていうか、何か考えてるのかな」

「僕がご主人様だってわかってるのかな。カブトムシは喋らないからわかんないよ」

「メダカだって喋らないよ」

 少し遅れて同級生の佐野さんも現れた。

「見て見て、私のレミちゃん」

 彼女はペット用キャリーバッグにウサギを入れていた。

「かわいいなあ。なつくの」

 にわかにペットブームがやってきた。僕はそのブームを作った自分を誇らしく思った。

 やがて僕たちはそれらを持て余し、各々のペットのケージを公園のベンチに置いて他の遊びに興じた。


 子供たちが飽きるのは早い。

 ペットブームは次の土曜には終わっていた。他の子供たちが手ぶらでいる中、僕一人だけがカエルの虫籠を首から下げていた。

 ヒロト君はチラと僕を見て「よう」とだけ言った。僕を見たのか、ピョンタを見たのかわからなかった。

 もう誰も僕のカエルに話しかけなかった。

「翔君、またそれ持ってるの」

 女子の一人がくすっと笑った。

 僕は顔が火照るのを感じた。

 いつも僕らが小馬鹿にしている、何年も前の流行をいつまでも追っている大人のように、自分が笑われている気がした。

 僕はその場でピョンタの虫籠を首から外したくなった。でもそれは、余計に恥ずかしい行為に思えて、意地でも首に掛けたまま遊んだ。そのおかげでとても動きづらかったけれど、外したくなかった。


 子供たちの流行の賞味期限はあっという間に訪れる。昨日好きだった芸能人を今日も好きだとは限らない。興味関心の対象は目まぐるしく動き、新しい興味対象が現れたら容易に古いものを捨てる。僕ら子供は、他の誰よりも早く最先端のものに飛びつこうと狙っている。いつも猫の髭のようなアンテナを立てて生きているのだ。

 終わってしまった流行に、僕はいつまでも未練がましくしがみ続けるつもりはなかった。元はと言えば僕が作り出した流行なのだけれど、自分で作ったものだから尚更いつまでも執着するのはダサいと思った。

 

 家に帰ると、僕はそれまで棚の上に置いてあったピョンタの水槽を窓際の床に移した。

 ピョンタは僕の気持ちを全く知らずに、キョトンとした大きな目で僕を見た。何だかピョンタの姿を見るのが嫌になって、水槽にタオルをかけて隠した。ピョンタを見ると女子の嘲るような笑い顔が浮かんでくるのだ。ピョンタは、僕の恥ずべき歴史の象徴だった。ピョンタは自分のせいで僕が笑われたなんて知る由もない。

 例えば、つまらないことで父に叱られた時、ちょうどテレビからある曲が流れてきて、その後、同じ曲を聴く度に叱られた嫌な気分を思い出す。僕がピョンタの顔を見たくなかったのは、その気持ちに似ていた。ピョンタには何の罪もない。

 そもそもピョンタを連れて行ったのもほんの気まぐれだし、みんなに笑われてもそれを貫き通すほどの強い信念は持っていない。それよりも、僕が作った流行がとっくに終わっている気配を感じられず、いつまでも過去の流行を追い続けている人間だとみんなに思われたことが屈辱だった。ピョンタと顔を合わせる度、毎日四六時中、その屈辱を思い出す苦痛を味わうのだ。


 次の土曜、僕は外遊びの会に行かなかった。先週のことがあって行きたくなかったところ、ちょうど雨が降って、言い訳がたった。

 翌週には公園に出かけ、まるでペットブームなど無かったかのように皆と遊んだ。

 僕はピョンタのことを忘れることにした。

 それまで毎日食事を遣り、ピョンタがもぐもぐ食べる様を眺めていたのに、僕はピョンタにかまわなくなった。

「翔ちゃん、ピョンタに餌やったの」

「やった」

 母の問いかけにも嘘をついた。

 餌をやらなければいずれ死ぬだろう。でも僕はピョンタが死ぬことより、僕の恥の象徴であるピョンタと毎日顔を合わせなければならないことのほうが苦痛だった。時々、タオルの端を捲り、ピョンタの姿を確かめた。僕はピョンタに早く死んでもらいたかったのかもしれない。


 秋が来て、ピョンタが仰向けになったまま動かなくなった。

 僕は小さなチョコの空き箱に干涸びたピョンタを入れ、シャベルを持って公園へ行った。

 僕が公園の道端の木の根元に穴を掘っていると、ヒロト君が寄ってきた。

「何してるの」

「ピョンタが死んじゃったから、埋めようと思って」

「ふうん。じゃあ、目印作ろう」

 彼はそう言って近くに適当な木の枝がないか探した。

 女子たちも集まってきた。

「お墓作るんならお花飾らなきゃ」

 そう言うとそこいらの花壇から花を摘み始めた。

 みんなが僕のピョンタの埋葬のために動いた。僕は再び、僕の言動が子供世界の流行を巻き起こしたような気がした。

 ピョンタを公園に埋めようと思ったのは単に僕の家には庭がなくて処分に困ったからで、お墓とか弔いとかの考えは全くなかった。ピョンタを初めて公園に連れて行った時と同様、軽い思いつきである。

 その僕の思いつきがまたみんなの関心を集め、先日の嘲笑された黒歴史を無かったことにした。僕のプライドは取り戻されたと感じた。

 ヒロト君が盛った土のてっぺんにY字型の小枝を刺し、その周りにみんなで積んだ花々を刺した。そうしてピョンタの墓はすぐに完成した。

「さあ、手を合わせて目を瞑って。ピョンタが天国に行けるよう、みんな祈るのよ。黙祷……」

 お祖父さんの葬式を経験したことのある女子がリードした。

 ピョンタの墓を取り囲んで、僕たちは、手を合わせた。何を拝むのかわからなかったけれど、目を瞑り拝むふりをする儀式をした。

「黙祷終わり」

 女子の声に、僕らは目を開いて合わせた手を下ろした。儀式は終了した。僕たちは、その後、公園の広場に戻って普通に遊んだ。


 ピョンタを見殺しにしたことの罪悪感を、僕はすぐに忘れるだろう。ピョンタの面倒を見続けることで、とっくに終わった流行にしがみつき他人から嘲笑された自分の恥を毎日思い出す苦痛。そういった苦痛から逃れるほうが大事だったのだ。

 それも今日で解放された。明日からはまた以前のように何事もなく暮らす。


 その後、僕は六年生になって外遊びの会から足が遠のいていった。仲良しだったヒロト君が「受験の準備する」と公園に来なくなったことも影響していた。

 そうして外遊びの会のことなどすっかり忘れて、高校を卒業した春休み、僕は引っ越すことになった。両親が隣町に一戸建ての家を買ったのだ。


 引っ越しも近くなった午後、商店街のコンビニの前で自転車に乗ろうとしていると、向こうから歩いてくるヒロト君とバッタリ会った。同じ町内に住んでいるヒロト君とは、外遊びの会に行かなくなってお互い別の中学校に進んだ後も、たまにこうして出会うことがあった。

「あ、ヒロト君、久しぶり」

「聞いたよ、引っ越すんだって?うちのばあちゃんが言ってた」

「ああ」

 僕の母は、ヒロト君の家がやっている和菓子屋さんによく大福を買いに行く。その度に話好きのお祖母さんと世間話をしているみたいだった。

「これで念願のペットが飼えるねえ。よかったね」

「うん、まあね」

「翔君、昔、ペットの代わりにアマガエル飼ったりしてたよね」

 ペットの代わり?ピョンタは立派なペットだったんだけど。

「え、ああ……、うん」

「そうそう、あとさ、その頃だったかな、瑠璃ちゃんのペットのハムスターが死んじゃってみんなで公園にお墓作ったよね」

「そう……だっけ」

 僕はなぜか、それはピョンタの墓だと訂正できなかった。そもそもヒロト君の目にはピョンタはペットだと映っていなかったのだから。僕は、自分がピョンタの飼育を途中で放棄したことは忘れていた。

「小学生のことだからさ、僕もそれっきり忘れてた。もうどこの場所だかわかんなくなっちゃったし」

「うん、僕もよく覚えてない」

 それとも僕の記憶が間違っているのだろうか。自分の痛みを認めたくなくて僕が作り出した記憶なのだろうか。

「今度の家、広いの?何飼うの、犬とか猫とか」

「ううん、わかんない。なんかもう、ペット熱冷めちゃった」

「ああ、そんなもんだよね。わかる」

 わかる?ピョンタの埋葬を容易に忘れる君に?

「隣町でしょ。こないだ池田さんのおじさんが、大学に入ったら外遊びの会を手伝わないかって誘ってきた。翔君もどう」

「へえ。やるの?ヒロト君は」

「たまにだったら、月イチくらいならやってもいいかなって。翔君はどうする」

 絶対にやるもんか。僕の不名誉な記憶が掘り起こされる外遊びの会になど、絶対関わるものか。

「考えとくよ」

「それじゃ、な。なんかあったら連絡する」

「うん」

 僕は左手を軽く振り、ヒロト君と反対方向に自転車を漕ぎ出した。

 ピョンタを埋葬したあのイベントは、僕の恥を帳消しにしてプライドを復活させた重要な意味を持っていた。でもヒロト君の記憶の中には、ペットもどきのカエルを飼い、流行の終了に気づかなかった僕だけが残っているのだ。

 僕はこの先、一戸建ての家に引っ越してもペットは飼わないだろう。中央公園にも二度と行かない。(了)

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