インドの魔女
どうして占い師って、みんな幽霊に見えるのだろう。
とりわけ、通行人のやかましい通り。占い師がひっそり座る、あのどことなく薄暗い一角だけが、世間に忘れられたようだ。
みんな見えないふりをしているのか、それとも本当に見えないのか。
有象無象の通行人の一人でしかないあなたには到底わからないのだ。
土曜日の午後。うっかり視線を合わせたのが間違いだった。
「ひとつ、占っていきませんか」
心臓が飛び跳ねるより先に「しまった」と思った。頼みを断りづらく、押しに弱い性格。それが茨島早苗という女だった。見ず知らずの胡散臭い占い師に対してさえ、早苗は弱い。
己の性格を自覚している彼女は自己嫌悪がちな逡巡をして、コンマ数秒後、性格のきつい母親に呼び出された子供のように、幽霊の一角にとぼとぼ近づいた。
「あの」
「なんでも占いますよ。どうぞ」
占い師は女だ。ワンレングスの長い黒髪。色の濃い肌。バサバサの黒いまつげ。眉間に光る一粒の青みピンクな宝石。これは皮膚接着しているのだろうか。インドの魔女みたいな格好だ。
線の細い指輪を嵌めた年齢不詳な手が、早苗に着席を促した。白熱した西日を背に受けつつ、早苗は腰を下ろした。
「今日はお出かけ?」
「あ、仕事に行くんです、これから」
「あら、お引き止めしてごめんなさいね」
「いえ」
「いえ」とはなんだ、わたしの馬鹿。
嫌って言わないところが好きじゃない。そうやって元彼に別れを告げられたばかりだった。
当分、恋愛はいい。次の出会いを探す気力も枯渇しているから、占ってほしいことがない。
「緊張してるね」
「え? ああ、うーん」
「今日の運勢でも、占ってみましょうか」
「えっ」
今日の運勢なんて朝のニュース番組の定番だし、何なら昼前に見てきた。おうし座の早苗は六位というまずまずな順位を手にしていた。
早苗の戸惑いをよそに、インドの魔女がカードを混ぜる。占い師らしい雰囲気に、ワクワクする自分を早苗は認めた。魔女は十字にカードを配置した。
「ムムムッ」
「え? どうかしましたか?」
カードをめくるや否や、それらしい唸り声。早苗の方が挙動不審になる。
「あなた、今日は出勤をおやめなさい。大変なことが起こるわ」
「大変なこと?」
「とにかく、とにかくよ。今日はおかえりなさい。私からはそれだけです。お金はいりませんから」
口を開いて尋ねる前に、「時間オーバーです」と突き放すように言われてしまった。早苗の口は「ど」の音で固まった。
怪しげな魔女に弄ばれたのだ。早苗の気分は最悪な急降下をした。働くのも嫌になって家に帰って寝た。
翌日、サンデーモーニングを見て早苗は顎が外れるかと思った。
早苗の職場、ASコーポレーションが給湯室のガス漏れにより大爆発したとのことだ。当然建物は全焼。五階建てのそれなりに立派なビルだった。「ダークナイト」の病院爆撃顔負けの勢いだったらしい。たまたま出勤者もおらず、死人はゼロ。
早苗は慌てて上司へ連絡した。今後の処遇はおろか、明日の仕事すらわからない。それでも、まあ、生きててよかった。早苗の上司は大爆発の余波で力なく笑った。
インドの魔女みたいな占い師は、もういない。早苗が腰掛けた椅子の場所には花束が置いてあった。一緒にボンカレーの箱も。早苗は無印良品のグリーンカレーをお供えして、手を合わせた。
数年前、大火事があった場所。焼け焦げた建物は取り壊され、今では、どこにでもあるような小綺麗なビルに生まれ変わっていた。
幽霊みたいじゃなくて、あれはきっと、幽霊だったんだ。早苗は今でもずっとそう思っている。