第3幕 野呂
腹ごしらえも終えたところで、源一郎は新聞紙を床に敷き始めた。この少年、もともと手先が器用で、貧乏性……というか貧乏である。もちろん床屋には行かず、自分の髪は自分で切ってきた。なので、下手な散髪よりはよほど腕がいい。
カツラに収まるよう、まずは心白の髪を短く切らなくてはいけない。また、つけたときに違和感がないように毛量自体も薄くする必要がある。
源一郎は彼女の背中に立って、櫛を入れる。髪質がすごく柔らかくて、手を加えるのがもったいなくなってくる。
「……綺麗な藍色なのにな」
「えっ?」
「い、いやいや。なんでもない。なし、今言ったこと、なし」
源一郎は慌てて否定する。自身で口走った言葉が猛烈に恥ずかしかった。櫛を持ってなければ、両手で顔を塞いで、地面にゴロゴロと転がり続けているところだ。
「……よし、できた」
30分後、かなり短く切った髪の少女が出来上がった。そして、さっき洗って乾かしておいたカツラをかぶらせる。
「うん。上出来だろう。後は、カラーコンタクトだけど」
こればかりは、本人の視力に関わるので、危険を冒してでも闇市に行かなくてはいけない。
「……はあぁ」
源一郎は、心白を見ながら頭を抱えた。どこからどう見ても、下町にいる類いの子じゃない。
カツラをつけたところで、その透明感のある白い肌が失われる訳じゃない。その可愛らしさが損なわれる訳じゃない。とすれば、出歩くとすれば夜になる。
「……しばらくは、ここにいてもらうかもしれない」
源一郎は重々しく口を開いた。何のことはない。結局、やることは同じだ。自分も心白を軟禁していた男たちと同じだ。
「ううん。だって、源一郎君がいるもん」
「なんだそりゃ」
「ずっと一人だったの。話し相手もいなくて。でも、ここには話し相手がいる……あなたが、いるから」
「……っ」
「どうしたの、源一郎君?」
「な、なんでもない」
可愛い。源一郎は自分の頭が沸騰したヤカンになったかと思った。顔中が火照って、いまにも湯気が出てきそうだ。
そんな中、ドタドタドタっと重量級の足跡が響いた。見ないでもわかる。巨漢のデブ、野呂が雰囲気も空気もぶち壊しながら、進撃してきたのだ。
「アニキー、おはっ……うわああ――肉がああああっ」
「……っ、うるさいよ。肉の一つや二つでガタガタ言うな。貧乏くせぇ。さっさと店を開きやがれ」
「うぐっ、ひでぇよアニキ。あれは、俺の肉じゃないか。それを、こんな異人の小娘に」
「お・ま・えの肉って、誰が決めた。客人にはもてなすのは、当たり前だ。また買ってきてやるから、黙って働け、働け」
「グスッ……わかったよ。で、なんでウチに異人が?」
野呂は泣きべそをかきながらも、開店の準備を始める。
「柊の野郎だよ、多分……いや、きっとあいつだ」
「な、なるほど。それで、機関狂いのアニキが匿うことになったと」
「か、機関とこの子は関係ねぇ。この子は……心白は、記憶喪失なんだ。異国のこともなんもわかんねぇ」
「えっ? じゃあ、なんで追い出しちまわねぇんで? だって、異人なんて匿えば死刑じゃねぇか」
「……っ、ばっかやろう!!! 記憶喪失の女の子、文無しで放り出して、それが人のやることか!? 次、んなこと言ったら大飯ぐらいのお前から放り出してやるからなぁ!」
「あ、アニキ。声がでかい」
「くっ……うるせぇ」
「アニキ、顔真っ赤だぞ」
「……っ、うるせぇうるせぇ!」
なんて、空気の読めないやつなんだ。本人(心白)を目の前に。肉肉肉。肉のことしか頭にないくせに、余計なことだけは言いやがる。
そんな荒っぽい2人のやり取りに、心白は不安げな表情を浮かべている。源一郎はそんな少女に慌てて笑顔を浮かべる。
「心配するな。俺が絶対に守ってやるから」
「……でも、ここにいたら源一郎君が死刑になるって」
「死刑もへったくれもあるかい。大丈夫。バレなきゃいいんだ。カツラかぶって、瞳の色を変えたら、どっからどうみたって和の国の人だ」
そう言いながら、なんとか安心させようと試みるが心白の表情は晴れない。
「と、とにかくだ。夜まではここにいてくれ。ほら、野呂。開店準備だ。貧乏暇なし。ぼやぼやしてると、今日の飯はねぇぞ」
「ええっ!? そんなぁ」
これは脅しじゃなくて、本当の話だ。下人は一年365日18時間くらいは働かないと、とてもじゃないが食ってはいけない。
異人が来たからといって、臨時休業しているようでは、貧乏人はつとまらないのだ。
「……」
「心白、いつまでも、そんな顔すんな。じっちゃんが戻ってくれば、なんとかなる」
祖父の源外からは昔、よく異国に放浪していた話を聞いた。米国、英国、露国、仏国。経験も知識も豊富なだけでなく、下民らしからぬ人脈も持っている。
源外ならば、何かよい助言をくれるはずだ……と思う……だといいな。
「とにかく、そんな顔するな。心白、俺を信じろ」
「……うん! 信じる」
そんな風に元気よく頷く美少女を見て、源一郎は思わず顔を背けた。
「アニキ、顔、真っ赤だぞ」
「う、うるせぇ」
絶対に余計な一言挟むマンの後頭部を激しくどつきながら、少年は開店準備を始めた。