6、いつかの夢は
フィオナは初めて目にする(生まれたばかりの頃に一度来たことがあるので本当は初めてはないが)王城の壮大さに目を白黒させていた。置かれている調度品などは侯爵家に置かれている物と似通ったものもあったが、何せ規模が違った。エフロレスンス侯爵家は長くこの国に仕え裕福な家であったが、所詮あれは一族が住む為だけの屋敷だ。王城は王族の住居でもあるが、政治の中枢であり働く者の数も比ではない。単純な大きさや広さ、多くの職人が献上してきた絵画や装飾の数々が物語の中だけのものでなかったのだと、フィオナは漸く実感した。
「わたくし、場違いではないかしら」
「光り輝く君が場違いだというのなら、この城には今後一切誰も訪れることができなくなる」
「…」
「またそんな顔を」
「レナルドは昔から大袈裟なのよ」
「事実だ、それに」
「?」
「フィオナの手を引けるのが嬉しくて浮かれてもいる」
近衛兵が先導する広い王城の廊下を、護衛や侍女たちを引き連れて二人は歩いていた。本来ならばレナルドはフィオナをエスコートするべきなのだが、子どもの頃のように手を繋いで並び歩いている。
「手くらい、いつも繋いでいたじゃない」
「あれは夢の中の話だ。…それも長く放っておかれたからな、そもそも久しぶりじゃないか」
「…その話を引っ張り出すの」
「一生言い続ける」
「お、怒らないって言ったわ」
「言ってない」
「怒って、いるの?」
「…フィオナには怒っていない。だが、一生言い続ける」
「やっぱり怒ってるんじゃない」
「さあ、あの部屋だ。従妹叔母は聡明さで有名な人だったらしいが、私も実際に会うのは初めてなんだ」
レナルドは黙ってにこりと笑ったが、それで話は終わりだと切り上げてしまった。こうなればレナルドをまた同じ議論の場に連れ出すのは不可能なことを知っているフィオナは、すぐに諦めることを選んだ。それどころでもなかったのだ。示された大きな扉に少しばかり怖気づいたフィオナは、握っている手に力を込めた。
「緊張するわ…。嫌われてしまわないかしら」
「リタ先生をフィオナの家に派遣した人だぞ。あのリタ先生を」
「殿下」
「おっと」
後ろから付いて来ていたリタが咎めると、レナルドは笑いながら口元に手をやった。ただそれだけであったが、フィオナも笑いを堪えられなかった。
「ふふ、そうね。きっと大丈夫ね。ああ、わたくしもリタのことを先生とお呼びした方がいいのかしら」
「まさか、このままお呼び捨てください。殿下も」
「先生に先生を付けないのは気持ちが悪い」
「殿下」
「公の場では何とかするから」
「(…もしかして、リタはレナルドの礼儀作法の先生?)」
「(そうだ、行事指導もしてくれた。…頭が上がらなくてな)」
「(目に浮かぶわ)」
「お二人とも謁見の間に入りますので、お話はそれくらいで」
「ああ」
「はい」
扉は既に開けられて、何やら大勢が出て行く最中だった。人が多すぎて異様な雰囲気だったが服装の意匠から、彼らもフェルゼン帝国の者だと分かる。敬礼をした彼らは入れ違いに帰るようだった。レナルドが手を振りフィオナも軽く会釈をして彼らを見送った。
―――
謁見の間に入った筈であったのに、二人はその奥にある応接間に通された。護衛とリタたちを連れて入っても余裕のある応接間には、王と王妃の他にも身なりの良い多くの人がいた。
挨拶や礼すらもそこそこにいきなり何の話が始まったかと思えば、フィオナは国王並びに王妃から謝罪を受けて困り果てていた。恐縮で縮こまりそうになる背にはレナルドの手が添えられているので、何とか耐えられているが尋常でない程に手汗をかいている。助けを求めてレナルドに何度も視線を送ったが、彼はその度に笑うだけで助けてはくれなかった。
フィオナの父たちが法を犯し、罪に問われたのはもう分かった。聞いた瞬間に父たちの安否や刑罰よりも、レナルドとの結婚の話が無くなる心配をしてしまった自身をフィオナは恥じたが、結婚に関しては国同士の約束であるので覆らないと言い切られ安堵もできた。その後に父たちの現在を聞こうとしたフィオナだったが、レナルドにやんわりと止められてしまったのだ。きっとレナルドは何かを知っているのだろう。しかし聞くのは今ではないようだと、フィオナは黙った。
「貴殿の祖父母が亡くなったのは国境での火種がまだ燻ぶっていた頃であった。儂や重鎮たちも王城に戻ることが少ない時分で、貴殿の死亡届に関しても精査されずに通してしまったのだろう。だが、それを言い訳にはすまい。貴族の管理は儂の務めである。長年、申し訳なかった」
「それを言うなら妾もです。エフロレスンスの言動には不快を感じていたというに、力なき者のすることと捨ておいて調べもさせなかった。貴族籍に不正を行う程の愚かさを見抜けず、辛い思いをさせてしまって」
「いえ、そんな…」
フィオナはもう泣いてしまいそうな顔で、もう一度レナルドを見た。そんなフィオナにレナルドは器用に片方の眉を上げ、やっと話し出した。
「失礼ながら陛下、我々は既に必要なものは手に入れました。そしてそれらは貴方方が手助けしてくださったからこそ得られたものです。我々は貴方方に感謝こそすれ謝罪など」
「…しかし」
「謝意を示してくださるその誠意を有難く頂きます。しかし我々は親族でございます、フィオナもそれに連なりましょう。この国はフィオナの生国だ、友好関係を続けていきたく存じます」
「そう言ってくれるか…」
やっとどうにか話が収束しそうになり、フィオナは胸を撫で下ろした。レナルドに付いて行こうと自分で決めたフィオナであるが、初めから国王夫妻と謁見はやはり心臓に悪かった。
「勿論、ただ二つお願いが」
「何でも」
「一つはアリシア様のことです。貴方はアリシア様の宿星だ、アリシア様を残して死に急ぐことは止めて頂きたい。フェルゼン帝国は貴方を信じて皇女を嫁がせたのです。最後まで我々の信頼を裏切らないでください」
「肝に銘じよう」
「もう一つは」
―――
「…」
「どうしたんだ、フィオナ」
「…ご挨拶がすめば、すぐにフェルゼン帝国に行くと言っていなかった?」
「そのつもりだったのだが、早い方がいいかと思って」
「何が?」
「ティーパーティーで一緒に踊りたいと昔言っていたじゃないか。国に戻れば暫くは忙しくて難しいからな、こちらでやってもらえるならお言葉に甘えようかと」
王城の庭園は季節の花が色とりどりに咲いておりそれだけであっても十分に華やかであったが、急遽開かれたティーパーティーの為に愛らしく飾り立てられていた。国王の一声で集まった有力者たちや同年代の人々と話すのは多少の苦労をもたらしたが、思った程に疲れておらずフィオナは少し困惑した。リタに言われた通りに背を伸ばし下々の者たちに恥じぬように、と実践していただけであったがきっとこれが彼女の教育の賜物なのだろうと小さく頷いた。
「そんな昔の話を」
「いいじゃないか、そのドレスが揺れて光を抱く所を見せて欲しい」
「…ええ」
丁度、ピアノが円舞曲を奏で始めた。教養だと教えられてはいたが、社交界や夜会に出ることのなかったフィオナが人前で踊ることは今まで無かった。子どもの頃、夢の中でダンスの練習にレナルドを付き合わせた時に確かにフィオナは「一緒に踊りたい」と彼に言ったことがある。実現するなんて、それこそ夢にも思わなかった。
ダンスの為に空けられた場の中心へ連れて行かれ、フィオナの心臓はもう荒れに荒れていたが、それよりもレナルドとダンスを踊れるという事実が彼女を奮い立たせている。
「…足を踏んでも我慢してね。わたくしも踏まれても我慢します」
「フィオナに踏まれようとどうとでもないし、私はダンスと剣術だけは毎回褒められていたから大丈夫だ」
「あら、頼もしいわ」
「いつかフィオナと踊る時に下手だと格好がつかないだろう」
「貴方は」
「ん?」
「貴方はいつだって格好いいわ。でも翼と尻尾がある方が素敵」
「…ここで本来の姿に戻るとややこしいからな。帰ったら」
「ええ」
曲に合わせて二人が踊りだすと、場にいた全ての人が二人を見守った。緊急事態であると詳細を短い時間で叩きこんだ真っ当な貴族たちは始め、複雑な心境の者も多かったが今はただただ彼らの美しさに見惚れるばかりだった。フィオナがレナルドの肩越しに見つけたリタとマーサも優しげに微笑んで、嬉しそうに二人を見ている。僅かな気恥ずかしさを感じながら、フィオナは最後まで完璧に踊りきった。
「フィオナ、どうだった」
「楽しかったわ。…緊張したけど」
「これからも何かある度に、私たちはファーストダンスを踊らないといけなくなる」
「それは大丈夫だわ。レナルドが傍にいてくれるのでしょう?」
「当然だ」
「ふふ」
「フィオナ」
「なあに?」
ダンスを踊り終えたフィオナは、良い香りのする花の傍に置かれた椅子にエスコートされた。
「さっきは言いそびれたが宿星の仲とは、厄介なんだ」
「厄介?」
「相手の為なら何だってできると気が大きくなったり、姿が見えないと病弱になったり狂暴化することもある。…私の父もかなり酷い」
「…そう、なの?」
「そうだ。…フィオナがまた私の前からいなくなるようなことがあれば、今度こそ私はどうなるか分からない」
フィオナが見つかるまでの間、レナルドの荒れようは酷かった。落ち込み自室に閉じこもっていることも珍しくなく、けれど眠ることもままならず寝不足のままで公務やフィオナの捜索を行っていた。死んだという報告がなかったから何とか耐えていたが、時には衝動が抑えられずに散々暴れ、父や兵士たちに押さえつけられたこともあった。宿星の仲が先に死んだ竜人の末路は狂気に呑まれると決まっている。後少しでレナルドもそうなる予定だった。
フィオナの頬にかかる髪を耳にかけてやりながら、レナルドは努めて優しい声色で話した。
「もう二度と、私の前からいなくならないと誓ってくれ。もう、あんなことは耐えられない。フィオナがそれを約束してくれるなら、君が望む全てを手に入れよう。世界でさえも君に差し出す、だから」
「…レナルド、わたくしは何かが欲しくて貴方と一緒に行くのではないわ」
「だが」
「貴方が傍にいてくれれば、わたくしはそれでいいわ。ああでも、貴方の傍にいる為にはこれからフェルゼン帝国のことをもっと知らないといけないわね」
「…リタ先生をつけるから大丈夫だ」
「レナルドのご両親や国の人に気に入ってもらえたらいいのだけれど」
「心配はない。フィオナ以上の人などいないのだから」
「だったらもう大丈夫ね。…これからはずっと一緒にいられる?」
「いてもらわねば困る、という話をしていたのだが」
二人は顔を見合わせて笑った。もうここはあの優しい夢の中ではなかったが、フィオナはレナルドさえいればどうとでもなると信じることができた。ずっと屋敷に引きこもっていた自分がフェルゼン帝国などという大国の皇太子妃になるなど、きっと考えているよりもずっと大変で怖い思いもするだろう。それでもいいのだ、とフィオナは頷いた。
フィオナの唯一の救いだったレナルドが自身を望んでくれるのならば、フィオナに差し出せないものはなかった。フィオナでさえも、そしてそれはフィオナ自身の願いでもある。
「貴方を助けられるような人になるわ、救いだと思ってもらえるような」
「…始めから、フィオナは私の救いだよ」
読んで頂き、ありがとうございました!
書き進めていっている最中に断罪劇部分が長くなってしまい、これ以上は書くのが辛くて三人途中退場してもらいましたが、あの三人はフェルゼン帝国でまあ、書けないような怖い目にあいます。レナルドはそれをフィオナに教えるつもりはありませんが、フィオナは自分で知らねばならないこと、とリタあたりに教えてもらいます。
その辺でひと悶着ありますが、レナルドの母が間に入り「皇妃となる女性を侮ってはいけません」と叱られてそれ以降はフィオナにもちゃんと裏の仕事の説明もするようになります。
フィオナはお勉強ばかりしていたのでレナルドよりも頭は良い。頭の回転が早いのはレナルドの方です。補いあい助け合って良い治世にしていく筈。フィオナはフェルゼン帝国の人々や義両親にも気に入られて実家よりものびのびと健康に暮らしていきます。今まで屋敷以外の人と触れ合ったことのなかったフィオナが、人との関わりに疲れて倒れてまたひと悶着しつつ仲良くやってくれ。
大変恐縮ですが、よろしければブックマーク・評価などして頂けるととても嬉しく思います。よろしくお願い致します。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました!