5、ある一家の終わり
謁見の間に王と王妃、法務大臣と外務大臣、その他にも有力者が複数と近衛兵、そしてフェルゼン帝国の役人と軍人が多く並び立っている。王と王妃の眼下には罪人が三名跪いており、その姿は何とも浅ましく醜かった。
「エフロレスンス卿、よく来た。この状況が一つも分かっていないような顔だが、妾が直々に説明致そう」
王妃は返事など待たずに、ただ罪状を読み上げた。
「ランドン・エフロレスンス侯爵、そなたは王令に相当する国王直々の手紙を無視し、その上で我々の求めるものを秘匿した。国王の手紙を破り捨てただけでも重罪であるが、更にお前は我が国をも危険にさらした」
「そ、そのような」
「黙れ、妾は発言を許可しておらぬ!」
「ぐっ」
王妃が声を荒げる前に近衛兵がランドンを床に叩きつけた。ローザとエミリアは悲鳴をあげて竦みあがった。何故、自分たちがこんな目に遭うのか一切分かっていない顔をして、王妃の次の言葉を待った。
「ローザ・エフロレスンス侯爵夫人並びにエミリア・エフロレスンス嬢、お前たちも同罪である。…いやお前たちは直接にフェルゼン帝国次期皇帝の宿星を害したのだから、そちらの罪があまりにも重い」
王妃は燃えるような瞳で怯える三人の罪人を見下した。彼女はフェルゼン帝国の皇族であり、数少ない竜人と呼ばれる特殊な人だった。はるか昔に竜と交わった祖先の影響で、魔獣の王である竜と似通った力を持つ彼女の宿星はこの国の王だった。遠く離れたこの国の王に嫁ぐ為に故郷を去った王妃は、しかしフェルゼン帝国との繋がりを未だ持ち様々な外交の窓口ともなっていた。数年前から案じていた従妹甥の宿星がこの国にいたと知った時、気性が激しいことで有名な彼女もさすがに目の前が真っ暗になった。
「エフロレスンス侯爵家はお取り潰し、お前たちは全員斬首。…と、言いたい所であるのだが、そうもいかなくてな」
未だ一欠けらも理解しようとしない罪人たちに王妃はふう、と息を吐いた。今度はその様子を隣で黙って見ていた国王が口を開く。
「エフロレスンス、申し開きはあるか」
ランドンは未だ近衛兵に抑え込まれたままであったが、何とか顔をあげて国王を見た。何の感情も持っていなさそうな顔のようでいて、王妃に負けぬ程の怒りが威圧感となってにじみ出ている。それでもランドンは言葉を発さねばならなかった。このまま訳が分からないままにただ死ぬのは恐ろしかった
「お、恐れながら申し上げます。私めは国王陛下のお手紙を破り捨てるような不手際を起こしておりません! 何百年も続いた我が家の忠心にかけて、そのようなことは決して!」
「つまらない忠心であった。いや、お前が陳腐なものにしたのだな」
「そ」
「言い逃れはできん、あれを」
「は」
法務大臣が倒されているランドンにも見えるように高々と破れた紙を掲げた。それこそが国王自ら署名した手紙であった。
「み、見ていない」
「…」
「私は見ていない!」
それはそうだろう、この手紙を破ったのはランドンではなくローザだ。使用人の一人が既に証言をしていた。ローザはランドンが帰ってこない間、女主人として手紙の選別を行っていたがこともあろうに国王の手紙を破り捨てたのだ。国王からの手紙など冴えないランドンに来るはずがない、これは偽物の手紙だと言って。国王の署名の真贋も確かめられない愚かな女が破り捨てたのだ。
国王の手紙には、その手紙が正しく読まれたか確認する為の魔法がかけられている。封も切られず破られたことも王宮は即座に把握した。不当に破棄された手紙は、古い魔法の通りに王宮に戻されたのだ。すぐに呼び出して問いただしても良かったが、それよりも王妃はフィオナの安否と真偽を確かめねばならなかった。何せ、フィオナは五歳の頃に死んだことになっていた。
この国には貴族籍という、貴族のみが持つ戸籍がある。出生を王家に届け出て祝福を貰い、亡くなればそれもまた届け出ねばならない。フィオナは先代のエフロレスンス侯爵夫妻が亡くなった翌々月には既に死亡届が出されていた。子どもが死ぬのはいたましいことであるが、そうあり得ない話でもない。フィオナが不義の子であったことは社交界でも知られたことであったから、葬儀も内々で行ったのだろうと当時は誰も気にしなかった。社交界は移り気であるから、そんな話題はすぐに消えた。
この時点で王宮が掴んだ事実は、フィオナという娘がエフロレスンス家に生まれていたということと既に死んでいるということ、そして国王の手紙が破られたことだけだった。
しかしそれでは計算が合わない。王妃の従妹甥が宿星を見失ったのは数年前だった。だからこそ、エフロレスンス家は関係がない可能性もあった。あったが、では何故国王の手紙は破られたのか。不審に思った王妃は祖国から信頼のおける者を呼び寄せ、エフロレスンス家に潜入させた。そしてそこにはフィオナがいた。蓋を開ければとんでもないことだった。
ローザはフィオナがただただ憎く、先代のエフロレスンス侯爵夫妻がフィオナに与えた貴族籍すら疎ましがった。この国では平民になら戸籍は存在しない。最寄りの教会に名前を登録するくらいはするが、それだけで誰が父親で誰が母親でなどとは細かく記さないのだ。しかし貴族籍は違う。フィオナの名前は綿々と続くエフロレスンス家の子どもとして記されていた。しかもランドンとローザの第一子としてだ。
ローザはフィオナを産んではいないが、フィオナの実母は貴族籍を持たずしかもランドンと婚姻関係にもなかった。貴族籍というものの性質上、紙の上でだけとはいえフィオナの母はローザだった。それがローザには受け入れられなかった。先代のエフロレスンス侯爵夫妻が亡くなり、すぐに家に寄り付かなくなった夫の目を掻い潜ることは簡単で、貴族院にフィオナの死亡届を出すのも容易かったのだ。それも使用人の証言がすでに取れていた。
「手紙には“フィオナという名前を持つ侯爵家の娘を探せ”と書いてあった。フェルゼン帝国からの要請で、我が国も“侯爵家のフィオナ嬢”の捜索に加わることになったのだ。…数ヶ月前に儂は全貴族に向けてそう指示を出したはずだったがな」
ランドンはぎくりと目を泳がせた。数ヶ月前といえば、馴染みの娘がごねて領地にある娼館から離れられなかった時期だった。漸く王宮に顔を出せた際に、王妃がリタの行く末を案じていたものだったから、恩を売る為に彼女をエフロレスンス家で雇うと諂ったのをよく覚えている。
「この国には既にフィオナという名前の侯爵令嬢はいなかった。故に近隣諸国に外交の手段がある者はその繋がりの全てを使い調べよと」
「…え、いえ、陛下。発令に気付かず大変申し訳ないのですが、フィオナは、私の娘でございます。侯爵家の者で、しかし何故…」
「そうだな、死亡届が出されているが」
「は…?」
「貴族籍に於いて、お前の生きている娘はそこに座り込んでおるエミリアだけだ。フィオナは十数年前に死んでいる。我が国の、貴族籍に於いてだ」
国王はわざと言葉を区切った。目の前の愚か者に、事の重大さと絶望を味わわせねばならなかった。フィオナの死亡理由は病死だった。祖父母も老衰ではなく、風邪を拗らせて亡くなったのでその風邪をもらったのだと書かれてあった。けれどフィオナは生きている。ローザはさすがにランドンが煩いだろうと、殺すことだけはしなかった。つまり、エフロレスンス家は王宮に虚偽を行ったのだ。
法務大臣が事の顛末を話し終えた後、ランドンは怒りに打ち震えまた恐怖に慄いた。王宮への虚偽は反逆罪である。その度合いにもよるが、古くには轢き潰しといって重く水車よりも大きな車輪にじわじわと押し潰される刑罰もあった。貴族籍の虚偽改ざんは、最も罪が重いものの一つだ。そんなことも知らなかったローザは、法務大臣が何でもないように罪状と求刑される刑罰の例を挙げただけで半狂乱となり猿ぐつわを噛まされた。
「…たし、…くない」
ただ呆然と両親が拘束されているのを見ているだけだったエミリアが、瞳いっぱいに涙を溜めながら口を開いた。
「あたくしは悪くない! そんなのお母様が一人でしたことじゃない!」
「そう、そうです! それらはローザ一人で行ったこと! 我々は何も!」
「…百歩譲って、手紙を破ったことのみはそれを認めてやってもよいが、それでもそれはエミリアのみだな。ランドン、貴殿には家長として監督責任があった。知らぬ存ぜぬで刑罰は逃れられない、貴殿の監督不行き届きである」
「し、しかし」
「まあ、貴殿が屋敷にも帰らずふらふらとしていたのは社交界でも有名だった。監督も何もなかったのだろうが、それは法律の前に何の関係もない。そもそも自分の娘が死んだことにされているのを、気付かなかったなどと…。しかもそれを隠さずに命乞いとは、貴殿には恥という感情がないのか」
「じゃ、じゃあ、あたくしは家に帰してもらえるのね」
法務大臣は心底嫌そうに罪人たちを見下ろした。ランドンは放心しローザは猿ぐつわを噛み切る勢いで髪を振り回し、エミリアはそんな両親をいないもののように口元を緩ませている。
「“お姉様って死んだことになっているのでしょう? いつまでこの屋敷に置いておくの?”」
「あ…?」
「“あたくしが侯爵位を賜ったら、すぐに追い出してやるわ。貴族籍もないのだから誰かに知られることもないのだし”」
「ち、ちがうわ」
「“死んでいる筈のお姉様に婚約だなんておかしなこと、冥婚でもなさるのかしら。それとも何にも知らないお父様が持ち物をあげるとでも口約束でもしてきたのかしら。それなら相手はきっと貴族ではないわね”」
「あたくし、あたくしは!」
「証言は取れている、裏付けもできている。…エミリア、貴殿は母が違法行為をしていたことを知っていた。何も知らない幼子であればまだ同情の余地があったが、既にそんな歳でもないな」
「あ、あ…」
三人の罪人はやっとそれぞれに脱力をしてぺたりと地べたに這いつくばった。拘束する必要もないと近衛兵たちの手が離れたが、既に顔を上げる気力もないようで自身の憐れさをただただ嘆いた。
「絶望するには早い、お前たちの最も重い罪はそれではないのだから」
王妃は苛立ちながら、踵を打ち鳴らす。しまってある羽が威嚇の為に広がりそうであるのを耐えることに更に苛立ちながら話を続けた。
「お前たちの最大の罪は、フェルゼン帝国次期皇帝の宿星を害したことだ。フィオナこそがフェルゼン帝国次期皇妃。…フィオナが生きていたことだけが不幸中の幸いであった」
「フィオナが…? …そうだフィオナ。フィオナなら私を救ってくれる! 私はあの子の父親なのだから!」
「…痴れ者が。お前が正しく父親であったのなら、お前は未来のフェルゼン帝国皇妃の父として我が国で確固たる地位を築いただろう。血肉を与えただけでは父とは言わんのだ。お前たちはフェルゼン帝国の管理下に置かれる」
「な」
「我々で処分しようと思っていたが、それは許されなかった。しかしそれでこの国は許された」
ランドンは絶望を繰り返した。誰の目も氷のように冷たく、弁明すらも命取りであることは明白だった。その辛うじて貴族と名乗れた察しの良さが、国王からいきなりフィオナの婚約を命じられた時に発揮できていれば。いや、フィオナをローザに任せきりにしていなければ。そもそもフィオナの母にフィオナを産ませなければ。ランドンの頭はいつかのもしもを考えることだけに集中した。それ以外を考えることはもうできなかった。
フェルゼン帝国の怒りを買うことはこの世界の全てが恐れていることだった。彼らは高位貴族である程に強力な力を持っているが、兵士の一人であっても一個隊の指揮官程の力を有していた。例えこの国の王が戦において鬼神と言わしめる働きをしようが、持ち駒の数とその力の差が歴然であった。罪人を差し出すだけで怒りを躱すことができ更には感謝もされるのならば、こんなに容易いことはない。
「しょ、処分ってなに、フェルゼン帝国って。あたくしたちが何をしたって言うの…!」
若さゆえか、諦めきれないエミリアがまた声をあげる。
「…虚偽罪、不敬罪、そして何よりもフェルゼン帝国の怒りを買った。全てお前とお前の血族の罪だ」
「知らないわ、知らない、そんなこと知らない! 誰も教えてくれなかったわ! お姉様が全部悪いんじゃない! あんな人、生まれてきてはいけなかったのよ! あの人さえいなければこんなことにはならなかったわ!」
身勝手な叫びをあげるエミリアを一瞥して、王妃は打ちのめされたローザに声をかけた。
「ローザ、同じ性別を持つ者として妾はお前に同情する」
思いがけない労わりの言葉にローザは勢いよく顔を上げた。けれど、王妃の顔には憐れみの為の表情など一切ない。ローザは混乱しながら、王妃の次の言葉を待った。
「そして同じ性別を持つ者として、お前を酷く軽蔑する。お前は確かに被害者であったかもしれないが、その日の内に加害者に成り果てたのだな。お前は自身よりか弱い者を虐げて自身の欲を満たし、醜く劣悪になった。悍ましいかぎりよ、結果お前は被害者を更に増やしその身すらも滅ぼす」
「王妃様! 王妃様、あたくしは違います!」
「お前はもう学校を卒業する歳だな」
王妃はエミリアの叫びを止めはしなかった。本来、公的な場で王妃が話しているにも関わらず話し出すことは不敬であったが、もうこの場の猥雑さの前では意味をなさなかった。
「はい、あたくしにはまだ未来があります! お許し頂ければ国の為に身を粉にして働く所存です!」
「自分の家が、家族が異様であることに何故気付けなかった」
「…え」
「お前の父程ではないが家に帰らない貴族はいるだろう、しかし多くはない。何故母の愚鈍さに気付かなかった、姉を家に閉じ込めて貴族籍まで奪ったことを知りながら、何故その異様さを受け入れた」
「あ、だ、だって、でも」
エミリアとて、子どもの頃に違和感を覚えたことはあった。けれど、母が言ったのだ。「あれは罪の子」「身の程を弁えさせるのがお前の使命」「お前はただ微笑んでいればそれでいい」「お前は侯爵位を賜るのだから下々の者などどう扱おうと構わない」姉を母と同じように扱えば、母は褒めてくれた。姉は不義の子であるのだから打ってもいいのだ。貴族籍だって必要ない。確かに学校では法律の勉強時間に教師が何か言っていた気がするが、要はバレなければいいのだ。貴族なんてそんなものなのだ、とエミリアは本気で信じていた。
「お前の学校には貴族子女が多く通っている。誰か一人でもそれを肯定しそうな者はいたか、内情を全て話して社交界で生きて行けたか」
「き、貴族は腹の内を見せないことが肝要だって…」
「では、皆が皆王宮に虚偽を行っているとでも言いたいのか。…頭の弱さは両親譲りだな」
ローザは自身が受けた教育以上をエミリアに施すことができなかった。更にランドンは教育に無関心で、古くからの使用人たちはローザのやり口に嫌気が差して出て行ったりいわれのない叱責を恐れて無作法を正しはしなかった。だからエミリアは侯爵令嬢として正しい知識を持たない。エミリアもある意味では被害者だったかもしれなかった。
けれど、その為の学校だ。各家独自の価値観を共有し、貴族社会に入る下準備と自身の教養の優劣を知る為の場所だ。自身が爵位を継承すると公言していたエミリアが、彼女の歳で「何も知りません、親が教えてくれません」などとのたまうなどと許されない。そんな思考を持つ者を高位の貴族として認める訳にはいかない。せめて罪を認め、誰かに打ち明けていたのなら話は変わってきただろうが、エミリアは母と同じく都合の悪いことから目を背け続けた。そして自分はそれでいいのだと妄信していた。
更にそんなエミリアに賢明な友人ができる筈もない。エミリアの周りにいたのは、彼女の家の財産にしか興味のない者ばかりだった。だから誰もエミリアに助言などしなかった。家でも学校でもただおべっかを使う者ばかりを周りに置いて機嫌よく過ごし、教師からの苦言でさえ聞く耳を持たなかった。
「でも、でも…」
「ああ、先程“身を粉にして働く”と申したな」
「え、あ! はい! 勿論です! 侯爵として国の為に…」
「フェルゼン帝国に行き、存分に責め苦を楽しんでまいれ」
「…は?」
「身を粉にして、言葉通りに」
話は終わった。王妃が手を上げると、フェルゼン帝国の役人と軍人が三人に手枷を嵌めて連れて行った。エミリアだけは状況が分かっておらずまた騒いだので母と同じく猿ぐつわを噛まされた。
王妃は長く息を吐いた。許されるのであれば、自身の手で八つ裂きにしてやりたかった。罪人たちは最後まで自分のことばかりで、フィオナに対する謝罪も罪悪も感じていなかった。宿星を見失う苦しみが人如きには分からずとも、王妃にだけは理解ができた。従妹甥にどう申し開きをすればよいのか、王妃は目を強く瞑りながら頭を抱えた。
「妃」
「…はい」
「此度の件、儂の不徳の致すところ。もし何ぞあれば、お前は儂をフェルゼン帝国に差し出せ」
「っ、陛下」
大臣たちがざわりと揺れたが、国王は王妃の手を握り頷いた。
「幸いにも、子どもたちにはもう心配はいらぬ。後は任せた」
「そのような」
「そうですよ。我が国の皇女を娶ったというのに、天寿を全うしないとは何事ですか」
読んで頂き、ありがとうございました!