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緑の冠【改訂版】  作者: 黒木露火
第二章 オレンジ色の空
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「すみません。トイレどこですか?」

「そこ出て右に行って最初のドア」

 簡潔というよりどこか投げやりな答えに、デイバッグを掴んだクリスは立ち上がった。

「荷物は置いていけば? 盗りゃしないから」

 荷物の中身を見透かしたようなユージンの声にいささか背筋をこわばらせながら、クリスは無言で部屋の外に出た。

 教えられたドアを開けると、個室が二つと洗面所まである、かなり大きいトイレだった。

 普通の家じゃないだろこれ。トーマスさんはまともな仕事だって言ってたけど、本当なのかな。

 個室に鍵をかけて、自分の端末とゲーム機を繋いだ。外見はよくある携帯型のゲーム機だが、ゲームソフトに偽装したハッキングツールが仕込んである。家庭内で使っている電波の周波数をサーチする。一分もしないうちにアタリを引いた。

 ホーム・マネージメント用のサーバといえども完全に外からの侵入は難しいが、認識圏内からなら案外楽なものだ。後はパスワードを解析してサーバに侵入し、裏口(バックドア)を取りつけてしまえばいい。その後はリアルタイムで通信できる場所なら、どこからでもアクセスできる。

 ――不正アクセスってやつだけど。

 もし見つかれば、子どもでも法的処罰の対象となる。といっても、家庭用のコンピュータをいじられたくらいでは普通警察は出てこない。しつこく絡んできたクラスメイトの家のシステムを、腹いせにめちゃめちゃにしてやったことが何度かあるが、いずれもバレたことはない。

 もしバレたとしても、書類上は初犯であるし、公的機関や企業へのハッキングならともかく、家庭用サーバへの侵入程度なら処罰は知れている。強制ボランティアを何十時間かこなせば、記録も抹消される程度の軽いもので済むだろう。

 親子鑑定には二日かかるとセイラは言った。その間はクリスは月にいることになる。それだけの時間があれば、この家のサーバを浚って、ラブレターの中身から銀行取引の明細、ひょっとしたらもっとヤバイ情報まで、全部知ることができる。

 ――はずだった。

「あれ?」

 通常なら二分、遅くても四分で解析できるはずのパスワードはまだ特定できない。既に八分が経過していた。

 どんだけしつこいパスワードを設定してるんだ?

 クリスはしぶしぶ便座から立ち上がった。もうちょっと時間があればと、悔しくて仕方がない。

 応接室に帰ると、戸惑ったような表情のセイラと笑顔のユージンが待っていた。

 バッグを隣に置いてさっきまでの席に座る。辺りに漂う微妙な空気に、まさかトイレでのハッキングがばれたはずはないがと思いつつ、こちらから探りを入れてみたくなった。

「どうかしたんですか?」

「シャトルの中でも話したけど、今日からホテルに泊まってもらう予定だったわよね?」

 セイラは確かにそう話していた。クリスはうなずく。

「ええと、実はね、鑑定は明日になったんだけど、どうせ明日もまた来るなら、今夜はこちらに泊まってはどうかって、ブランディワインさんが」

「ホテルの宿泊費って税金でしょ。税金を無駄に使う必要もありませんからねえ。トーマス君と二人の男所帯で至らぬところもあるとは思いますが、ご覧のとおり、うちは広いだけがとりえで、部屋なら余ってますから。なんならセイラさんも泊まっていきませんか?」

 セクハラな冗談をはっはっはと笑ってごまかすユージンに、クリスは少々めんくらった。

 が、これはチャンスだ。寝る場所なんてどこだっていい。一晩あればさっきの続きができる。

「うわあ。嬉しいな」

 我ながら白々しいと思いつつも、はしゃいだ声を上げてにこにこしてみせる。

 セイラは本当にこれでいいのかしらというように、ユージンとクリスの顔を交互に見ていたが、やがて決心したように立ち上がった。

「わかりました。それでは私はここで失礼しますが……クリスのこと、よろしくお願いします」

 ユージンに向かって頭を下げたあと、セイラはクリスの方を向き、手を握った。

「何か困ったことがあったら、どんなささいなことでもすぐ連絡するのよ。誰にも遠慮なんか絶対しなくていいからね」

 『すぐ』と『誰にも』と言うときにセイラの手に力がこもった。『誰にも』というのはセイラのことではない。ユージンに遠慮をするなと言いたいのだ。

「顔がキレイすぎて、なんだか信用できないのよ。あの人」

 思わず小声で漏れたセイラの本音はともかく、ユージンは妙に怪しかった。何を考えているのか、彼女にもよくわからないのだろう。

 なのにクリスを連れて帰らないのは、この男が本当に父親だった場合のことを考えてと、最初に対応してくれたトーマスが信頼できそうに見えたからだろう。

 セイラが自分のことを本気で心配していることがクリスにもわかった。

 もうずっと長い間、誰かに本気で心配なんかされたことなどなかった。いつでも「あんたなら大丈夫」もしくは「あんたなんかいなくてもいい」と言われてきた。心細い夜も傍には誰もいなかったのだ。

 心配なんか今更、しかも他人に、と思ってしまう。

 それでも、クリスは胸の奥に微かな疼痛を感じていた。

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