三
「遅かったですね」
セイラに名刺を渡し、自分たちの仕事が一般公開されている情報を収集分析するもので合法的なものであることを力説していたトーマスが、ほっとしたように言った。
いつの間にかドアを開けて入ってきた人物はそれには答えず、クリスとセイラの前に右手を差し出していた。
「お待たせしました。ユージン・ブランディワインです」
濃いグレーのセーターにジーンズというラフな服装のその男は、驚くほど美しかった。
直線的な視線や物腰、低い声や体格から判断すれば、なによりクリスの父親であることを考えれば男性なのだが、宗教画の天使ガブリエルのようにどこか優美で女性的にも見えた。
そして、セーターのえりにかかった艶のある黒髪も、輪郭や涼しげな目元といった顔の造作も、驚くほどクリスに似ていた。
既視感のありすぎる顔をクリスはまじまじと見つめ、緊張でかすれた声で「初めまして」と握手の手を離した。
自分に父親がいて、その相手が触れることのできる実在であることを、クリスは心のどこかで信じていなかった。そのことに気づいて思わず自分の手を見る。
ユージンは温かい手をしていた。
心の温かい人は冷たい手をしていて、また逆に心の冷たい人は手が温かいと言う。それならばやはりこの男の心は冷たいのだろうか。今まで自分を見捨て続けていたように。
目をあげると、ユージンはリラックスした様子でソファーに落ち着いている。端末で身分証明をお互い済ませ、セイラの端末から書類を受け取りながら一度こちらを見たが、口元には曖昧な笑みが浮かんでるばかりで、何を考えているのかクリスには計りかねた。
「じゃ僕はこれで失礼します。後は関係者だけでごゆっくり」
退出のタイミングを計っていたらしいトーマスが立ち上がった。データ転送したワイドサイズのディスプレイに目を落としたままのユージンは「ああ」と生返事をする。
「キッチンにいるので必要なときは呼んでくださいね。例えば、お茶のおかわりが欲しいときとか」
クリスとセイラに向かってささやくと、トーマスは部屋から出て行った。
後には、ユージンが書類を読み終わるのを真剣な顔で待ちかまえるセイラと、悠然とデータを読むユージン、落ち着かずに、ひざの上の手を組み合わせたりほどいたりを繰り返すクリスが残された。
続く沈黙の時間は、想像していたよりずっといたたまれなかった。復讐なんてどうでもいいから早くこの状況を終わらせてしまいたいとクリスが思い始めた頃、ユージンはディスプレイをテーブルにぽんと下ろした。
「概要はわかりました。で、ご用件は?」
「国際基準に則った親子鑑定です」
待ってましたとばかりに前のめりになったセイラが答える。
「ところでブランディワインさん、プライベートな質問をしてもよろしいですか? ついでに記録も」
「ええ、構いませんよ」
セイラは鞄の中から小型のビデオカメラを取り出して、テーブルの上に載せた。
「二度手間ですけど、さっきの質問をもう一度。プライベートな質問をしてもよろしいですか?」
「どうぞ」
「答えたくなければノーコメントで構いませんので」
「わかりました」
住所や氏名だけならともかく、立ち入ったことは本人の直接の承諾なしには公式の記録に残すことはできない。ビデオのRECマークが赤く光っていた。
「まずは、略歴をうかがってもよろしいですか?」
「はい。今の仕事を始めたのは二十三のときだから、九年前になります。それ以前は、船に乗ってました」
「船というと、宇宙船ですか?」
「そうです。詳細が必要な場合は、証明書を用意しますが」
「いえ、今のところはそれには及びません。では、同居してる方はいらっしゃいますか? 家族とか恋人とか」
「家族も恋人もいませんが、同居人はいます。さっきお会いになったカベンディッシュです」
「ああ、感じの良い方ですよね。ご結婚の経験は?」
「現在を含めてしたことはありません」
「他にお子さんは?」
「自分の知る限りではいないはずです」
「鑑定の結果、親子であることが認められた場合のクリスさんの養育と同居は可能ですか?」
「どちらも可能です」
「では、鑑定に同意されますか?」
「はい」
すべて即答だった。
話が早くて助かったとばかりに笑顔のセイラがカバンの中から遺伝子採集キットと承諾書を取り出そうとするのを、ユージンがきっぱりと遮る。
「ただし、鑑定はこちらで依頼します。料金ももちろんこちら持ちで。構いませんね?」
「え、ええ。それは構いませんが……でも指定の業者なら安いですし……」
だんだんセイラの声が小さくなる。そして、申し訳なさそうにクリスの方をちらりと見た。
話の主導権を握るのはこちらだといわんばかりのユージンの態度は、表面的には素直に話を聞くふりをして、もっともらしい理由をつけ、破談にする機会を狙っている――。
そんな風にクリスには思えたが、最初から何も期待してなかったし、親子鑑定なんてもともとどうでもよかったのだ。
むしろそういう相手なら何をやっても構わないだろう。
クリスは覚悟を決めた。