十
「ターナソル行きポッド四四八五便へ搭乗予定のお客様にご連絡します。ただいまから搭乗手続きを開始いたします。ターナソル行きポッド四四八五便へ搭乗予定のお客様は、エリアF、五三番ゲートにお越しいただくよう、お願い申し上げます。なお、ポッドの移動開始は二〇分後、一五時〇五分の予定です。搭乗予定のお客さまは、くれぐれもお乗り逃しのないようご注意ください」
セイラが顔を上げた。繰り返されるアナウンスの中で、怪訝な顔をする。
「ねえ、『ペーパームーン』が聞こえなかった?」
「セイラさんのキーホルダーでしょ?」
「違うわよ」
ほら、とセイラがポケットから無音のキーホルダーを取り出す。
「でも……」
聞こえるはずがない。
ユージンは仕事で軟禁されて数日帰って来ないはずだし、仕事が詰まっているトーマスだって書斎に籠もれば、正午過ぎまで出てくるはずがない。
カトから月の門を経由してラグランジェ宇宙港へ、接続の時間も考えれば最低三時間半はかかる。彼らが、いや、彼らのうちのどちらかひとりでも、今、ここに来れるはずがないのだ。
奇跡など、起こるはずがない。
しかし、他人のはずのクリスが、あの家に行きついたのは奇跡ではなかったか?
奇跡は既に一度起こってしまったのだとしたら。
……もう一度起こると信じてみてもいいのかもしれない。
恐る恐るポケットから取り出した青い端末は、沈黙していた。
「やっぱり……」
それに、連絡があったからといって、何を言えばいいのだろう。
今更、あの家に帰りたいなんて、言えるわけがない。
半ば安心するような気持ちで再びポケットにしまおうとしたクリスの端末を、セイラが取り上げた。
「着信、入ってるわよ?」
クリスの目の前にモニター部分を突きつける。一五秒前の着信履歴。発信者はユージン。
「見送りに来てくれたのかしら。お仕事大丈夫だったのかしら?」
セイラが立ち上がった途端に、「いたぞ」という聞き覚えのある声が遠く聞こえた。ばたばたという足音とともに、誰かが走ってくる。近づいてくる。
「ほら、やっぱり。見送りに来てくれたわよ、二人とも」
絶対怒ってるよ、オレが逃げたこと。
後ろを振り向く勇気を持てないクリスの横で、セイラが無邪気に手を振る。
近づくにつれ、走っていた二人分の足音は歩く速度へとテンポを変え、やがてクリスのすぐ後ろで止まった。
「クリス、よか、た……間にあって…………」
「こっちを向け、クリス」
荒い息混じりのトーマスの声と、ほとんど乱れのないユージンの呼吸。
クリスは立ち上がった。一度目を閉じて覚悟を決め、後ろを向く。
上半身を折って、呼吸を整えようとしているトーマス。その隣には、朝と同じ黒いハーフコートのユージンが、不機嫌そうな顔で仁王立ちしている。乱れた髪が額にかかって、いつもより若く見えた。
すごく怒ってる……。
勝手に逃げたから? それともユージンを信じなかったから? もしかしたら両方かもしれない。




