一二
「……大丈夫?」
結果を見たのだろう。気遣うようなセイラの声を聞くと、少し心が痛んだ。
「大丈夫です。こういうわけで、ターナソルに帰ろうと思うんですけど、宇宙港まで付き添ってもらえませんか? ブランディワインさんもカベンディッシュさんも仕事で出かけてしまって、留守なんですけど」
思ったより、嘘はすらすらとつけた。
「お二人が戻ってくるまで待ってたほうがいいんじゃない? お別れくらい言いたいでしょう?」
「それも辛くて。今日は二人とも遅くなるって言ってましたし」
「気持ちはわかるけど……駄目よ。ちゃんと待って、お礼とお別れを言わなくちゃ」
セイラの声が困っていた。
「でも、帰ってくるまでこのまま待ってるのも、顔を見るのも却って辛くて。できたらすぐにでもここを出たいんです」
「無理よ、クリス。子どもひとりではシャトルにも乗れないのよ。どうやって宇宙港まで行くの?」
「親切な人に頼みます。そういうおじさん、いっぱいいるよね。オレ、よく声かけられるんだ」
声をかけられる度に、脱兎のごとく逃げているのは伏せておく。我ながら卑怯だとは思ったが、他に方法はないのだ。そう自分に言い聞かせる。
「……わかったわ。事務所に連絡してから、そっちに向かう。お二人には、後で私からも挨拶しておきます」
「お願いします」
通信が切れて、クリスは深呼吸をする。
セイラが来るまでに、急いで支度をしなければ。玄関の呼び鈴をおされたら、トーマスに知られてしまう。
二階に駆け上がって、昨夜寝るはずだった寝室に置いてあったバッグを取ってくる。荷物はそれだけだ。
途中で猫部屋を開てみる。無関心そうな、そうでもなさそうな猫たちの中から、黒猫のジェイが寄ってきた。クリスをまっすぐ見上げて、片方の前足を微かに浮かせたまま、声を出さすに鳴く。行くなと抗議されているような気がしたが、バイバイと声を掛けてドアを閉じる。
階段の手前から、トーマスの部屋のドアが見える。今は手前の部屋で仕事をしているのだろう。
ユージンの家族かもしれないというだけで、親切にしてくれたわけでもないだろう。本当に優しい人なんだろうとクリスは思う。だけど、別れの挨拶などできない。
クリスは階段を駆け下りる。そのままダイニングに行き、テーブルの上にほったらかしになっていたココアのカップを食器洗浄機に入れて、スイッチを入れた。水音がし始めて、洗い流されていく。それだけで、ひどく寂しくなった。
母親と住んでいたアパートを引き払ったときもこんな風には思わなかったのに、たかがカップを一つを片づけただけで、世界から自分だけが消えていくような気持ちになる。
そのままダイニングを出ようとして、どうしても、クリスは自分がいた跡を少しだけ残していきたくなった。
メッセージのように指一本で消えたりはしないけど、捨てようと思えばすぐに捨てられる、そんなささやかでどうでもよいものを。
できるだけ丁寧に、きれいな字で書いて、ペンを置いた。
彼ならこれでわかってくれる。




