一
さすがに色の抜けたカーディガンではやばいと思ったのか、ユージンはいつのまにかまともなシャツとジャケットに着替えている。
「クリス、お母さんの髪の毛とか、鑑定の試料になりそうなものは持ってる?」
エセルに言われて、二階に駆け上がる。必要になることがあるかもしれないと、ブラシについていた母親の髪の毛を何本か保管していたのだ。
髪の毛の入った封筒を持って慌てて下りてくると、ユージンがセイラと壮年の男性を出迎えていた。
昨日と似たようなパンツスーツのセイラは、階段から現れたクリスに手を振って笑いかけた。
初めて見るその紳士然とした男性は、仕立てのよさそうなスーツにブリーフケースを持っている。セイラの挙動からクリスに気づき、思わずというように破顔して、ユージンに一言二言囁く。
ユージンは、昨日初めてあったときのような曖昧な笑みを浮かべ、来客たちへ応接室への移動を促した。階段の途中で立ち止まっていたクリスにも手招きをする。
遅れて二人が部屋の中に入ると、初対面同士の弁護士と探偵と市役所職員は自己紹介し合っていた。その向こうの、窓際のサイドボードの上には、カメラが三脚にセットしてある。
端末の身分証をクリスに見せた弁護士は、ヴィターレと名乗った。髪には白いものが交じり始めているが、肌はまだ若々しい。握手のあとで軽くクリスの頭をなでたその仕草には、妙な親しみが込められているような気がした。
クリスはエセルに母親の髪の入った封筒を渡した。
「返却して欲しい?」
「ううん。別に」
クリスが返答すると、エセルは封筒を持ってきたアタッシュケースに仕舞い、代わりに書類を取り出した。
「じゃあ、みなさん、鑑定依頼書に署名をお願いします」
エセルが提示した書式データに、依頼人、立会人として各人が端末で署名して、採集が始まった。
エセルは録画しながら撮影者兼採集者として自分のフルネームを名乗り、次に鑑定の当該者のユージンとクリス、他の二人も立会人として宣誓させた。
ユージンとクリスの細胞は探偵が自ら採取した。綿棒で頬の内側を軽くこすられると、くすぐったさにクリスは軽く身をよじる。
エセルは綿棒を入れたケースがカメラに写るようにラベルを貼り、シーリングを施した。
採集自体は五分ほどで終わり、探偵と弁護士は連れだって退出することになった。「二人を玄関まで送っていくよ」と、ユージンも応接室から出て行く。
残されたセイラとクリスは、昨日来たときと同じように客用のソファに並んで腰掛けた。座るなり、セイラが話しかけてくる。
「お昼ご飯のメッセージ、見たわよ。とっても美味しそうだった。麻婆豆腐、食べたくなっちゃった」
「あれね、すごく辛いんだよ」
「辛いの大好き。どこのメーカーの素を使ってた?」
「もと?」
クリスは首を傾げる。
「よくスーパーで、調味料を混ぜたのがパックに入って売ってるじゃない」
「瓶に入った茶色いペーストは入れてたけど、それのこと?」
「それ多分、豆板醤だわ。全部自分で作ったのね。すごい、本格的!」
セイラは感嘆の声をあげるが、短時間でぱぱっと、しかも適当そうに作っているのを見ていると、そんなに大したこととは思えない。
それにしても、どうして大人は辛いものとか苦いものが好きなんだろう。理解に苦しむ。
「あなたは何が美味しかった?」
「スープと餃子」
無理に食べたタルトの影響もあって、クリスがなんとか食べられたのは、粟米湯、セロリと大根の炒め物、餃子とニラまんじゅうだけだった。
そこに、「お待たせしました」とユージンが帰ってきた。彼はセイラとクリスの向いの席に、一人で座った。
「結果は明日の正午までには届く予定です。遅延の場合を考えて、また明日の一四時に、結果の確認並びにその後の事務処理を行いたいと思うのですが、いかがでしょうか?」
「市役所としては異存ありません。クリスは?」
セイラに促されて「オレもそれでいいです」とクリスが答える。




