三
すぐに出かけるかと思いきや、一度ダイニングに立ち寄った。
「クリス、端末貸して。設定やりなおすから」
言われて、青い携帯端末をユージンに渡す。
クリスの現在の設定では、家の施錠と解錠、家電の操作くらいしかできない。もう少し権限を拡張するつもりなのだろう。それなら、もうパスワードは探らなくてもいいかもしれない。サーバに直接アクセスできれば、何か釣果はあるだろう。
「その間に俺の部屋のクローゼットからコート持ってきて。何でもいいから適当に」
「……わかった」
人づかいの荒さにむっとしながらも、二階に向かった。
ユージンの部屋のクローゼットを開けて、コートを探す。掛けてある服は黒や灰、紺などの地味なものばかりで、たまにとんでもなく派手な花柄のシャツなどが混じっている。
「なんなんだ、この人の服の趣味は?」
言われた通り、適当に選んだ黒いコートをハンガーから外したとき、クローゼットの左奥にスーツケースが置いてあるのに気がついた。コートを抱えたまま、クローゼットに潜り込む。スーツケースには6桁の電子数字錠がついていた。
「鍵付きってことは、なんかあるんだよな」
しかし、今は時間がない。中身を探る機会は後でもあるだろう。
クローゼットを閉めて階下に戻ると、ユージンが待ちかねたように「ほら」とクリスに端末を押しつける。
「うち宛のメッセージを受信できるようにしておいた。今日の鑑定結果は明日メッセージで来るはずだから」
「わかった。ありがと」
メッセージだけかとがっかりしながら青い端末を受け取り、かわりに黒いコートを渡す。
ありがとうと言いつつ受け取ったコートをユージンがなかなか着ようとしないので、どうしたんだろうと見ていると、どこからか音楽が聞こえてきた。
古くさいメロディに乗った男の声が「紙の月も、書き割りの海も、君が信じてくれるなら本物になるよ」と歌う。それはクリスの端末から流れてきていた。
端末に着信中のユージンの名前を確認したクリスの口から出たのは、自分でも予想していなかったほど皮肉めいた声だった。
「……何これ?」
「『ペーパームーン』て曲。知らない? 着信設定にしてみた。個人的な好みでいえば『ルート66』のほうなんだが、俺たちにはこっちのほうが似合いだから」
「君の愛がなければ、この世はニセモノ」と歌は続く。失笑したくなるほど安っぽいラブソングだ。
信じてくれるなら本物になるってことは、今はニセモノってことだ。それが自分たちに似合いというなら、自分たちは親子ではないと暗に言われているようで。
「気にくわなければ、他の曲でもいいけど? リクエストがあれば……」
「このままでもいいよ。変えるの面倒でしょ」
譲歩案をさえぎって却下し、メロディの途切れた端末を上着のポケットに入れた。
この家にいるのも、長くて明日まで。どうせこの曲が鳴ることはないのだから。
「行かないの? 買い物」
ダイニングを出るドアを開けながら、紙の月が本物になるように、ニセモノがホンモノになることなんかあるんだろうかとクリスは考えていた。
そんなことがあるのなら奇跡だ。
クリスは、奇跡を信じたことも、祈ったこともなかった。




