二
使用済みのカバーをもってどこかに行っていたユージンが、黒猫にのしかかられているクリスを感心したように一瞥する。
「随分と気に入られたな」
「助けてよ……」
「ジェイは人間大好きだからなあ」
気にも止めず、ユージンはもう一つのソファの後ろにしゃがみ込み、なにやらチェックを始めた。
今や黒猫は、熱い包容を交わす恋人同士のような親密さでクリスの首にしがみつき、濡れた鼻面を押しつけるだけでなく、クリスのほっぺたをざらざらする舌で舐めたり、顎の先を軽く噛んだりする。
しばらくして、作業を終えたらしいユージンが、黒猫の胴体を片手でひょいと抱えて引き離す。そのまま床に下ろすと、ジェイはユージンを見上げて甘えるように声を出さすに鳴く。しかし、ユージンが構ってくれないとわかると、がっかりしたようにクローゼットに入っていった。
「さっきの黒いやつの名前覚えた?」
ごしごしと服の袖で顔を拭っていたクリスの隣に、作業を終えたらしいユージンが座った。
「ジェイでしょ」
「じゃあ、残りは?」
「ロロ、ボイシー、タマラ、フレディ、カヤ。クローゼットにいるのが、どっちがどっちかわかんないけど、ブギーとサダ」
左手から順に名前を挙げると、おおーと大げさに拍手された。誉められたというより、バカにされてる気がする。
「クローゼットの中のは、白黒がブギーで、三毛がサダ。そのうち慣れて出てくる。あっちから寄ってくるまで放っておけば、嫌われることはない」
オレにもそうしてくれたらいいのに。
こんな風にずっと側にいられると、なんだか調子が狂う。
「ねえ、なんで猫なの? 犬のほうが賢いし、言うことも聞くじゃない? 犬は嫌いなの?」
こんな風にくだらないことを聞いてしまうほど。
「犬も好きだよ。でも、一緒に生活するとなるとちょっと疲れるからさ」
「なんで?」
「人間が犬になめられたら、お互いの不幸になるだろ? いつでも人間は犬より偉くなきゃいけない。それって疲れないか?」
犬は飼い主の家庭を一つの群に見立てて、自分をその構成員と考える。家族に小さな子どもなどがいる場合は、犬は子どもを自分より格下の存在と考えることもあり、人間のほうが上なのだときちんと順位づけされていないとトラブルが起こることもあると聞く。
「家の中では、そういう上下関係は考えたくないんだよなあ」
仰向けにソファに寄りかかったユージンが、同意を求めるようにこちらを見る。
人間のくせに、犬以下の地位でもいいというのか?
理解できない……。
クリスはふるふると首を横に振る。
「猫はさ、もっとフレキシブルだよ。普段は対等なんだと思う。でも、自分が甘えたいときは人間を親がわりにして、人間が落ち込んでるときは自分が親のつもりで面倒をみてくれるんだ」
「猫がどうやって人間の面倒みるの?」
「それは実際にそうなったとき、確かめてみればいいさ」
そう言うと、ユージンはカーディガンのポケットから端末を取り出して時刻を確認した。
「さーて、そろそろ買い物行くか。めんどくさいなあ」
背伸びしながら立ち上がるユージンを見て、この人でも落ち込むことがあるんだろうか、とクリスは思う。
悩みもなさそうだし、苦労もしてなさそうだし、他人にバカにされたこともないのだろう。だからこそ動物になめられても平気みたいなことを言えるのだろう。
でも、さっきの「実際にそうなったとき」という言い方は、彼も実際にそうなった経験があるように聞こえた。
「何ゆっくり座ってんの。お前も一緒に行くんだよ、クリス」
……のは気のせいなんだろう。
断りようもないので、クリスは黙ってついていく。




