一
おかわりした二つめのタルトを平らげ、ユージンは元気にソファーから立ち上がった。
「さて。糖分も補給したことだし、ばりばり家事を片付けようか、クリス」
なぜオレに振る?
朝食をしっかり摂ったにも関わらず、うっかりタルトまで食べてしまったクリスは、重くなりすぎた胃袋を抱えて彼を恨めしげに見上げる。
「ほら、立って」
目の前に手が差しのべられる。それを無視してぐずぐずと座り込んだままのクリスに、ユージンはにやりと笑った。
「立てないなら、抱っこしてやろうか?」
クリスは慌てて立ち上がった。後ろも見ずに、さっさと部屋を出て行くユージンを追いかける。
「手伝いっていっても手伝ってもらうようなことは大してないんだけどさ。猫部屋、見た?」
二階への階段の途中でユージンが立ち止まって振り返る。
「うん。トーマスさんに見せてもらった」
二人の間には少し距離があった。足早で追いかけてきたクリスを待って、今度はゆっくり歩き出す。
「そうか。でも紹介まではしなかっただろ?」
「紹介? 誰に?」
「猫に」
「オレに猫を?」
「猫にお前を、だ」
紹介するものとされるものが逆じゃないのかとクリスは思ったが、黙っていた。
階段を上がりきったところで、クリスは右手に目をやる。建物の二階右側はトーマスの部屋だと聞いている。
手前のほうの部屋では、トーマスは仕事をしているはずだった。仕事といっても、どういうことをやっているのかクリスには具体的にはわからない。彼らの体格や服装から判断すると、デスクワークなのだろう。
猫部屋の前に着くと、ユージンはドアを開けた。
「猫とのつきあい方四か条。一、大声を出さない。二、いきなり動かない。三、自分から近付かない。四、視線を合わさない。これさえ守れば、今日からアナタも猫にモテモテ」
「それ、アヤシイ広告みたいだよ」
胡散臭い口上を述べながらユージンがドアを押さえている間に、クリスは部屋に入った。
昨日は覗いただけだった部屋の中は、ユージンの部屋よりは若干狭い。そのかわり、部屋の右側に小部屋がついている。本来はウォークイン・クローゼットなのだろう。見なれぬ人間の姿に、人見知りらしい2匹が逃げ込む。
「今逃げたのが、ブギーとサダ。あいつらちょっと臆病だからな」
入って左側の壁沿いには、天井と床の間にはまった太いつっかえ棒に、棚や箱がついたようなものが三本ばかりある。真ん中の棒の、一番上の棚の上からは、顔の上半分が仮面を被ったように黒い白黒猫が神妙な顔つきで、きちんと座って見下ろしている。その両側の棒の棚には、寝そべった茶トラと白猫がそれぞれ陣取っている。
「真ん中の白黒がボイシー、左のオレンジのがロロ、右の白いのがタマラ」
クリスの視線を追うように、ユージンが猫の名前を説明する。
窓側の、大きな布を被せたソファの真ん中には、黒と茶が細かく混ざったような猫が前足を揃えて寝そべっている。それと体をくっつけて座っていたグレー縞の猫は、毛繕いの途中の片足を伸ばし、舌を出したまま、驚いたような顔でこちらを見ている。
「そのべっこう色の猫がカヤ、グレーのがフレディ」
べっこう色という言い回しは初めて聞いたが、言われればそう見えないこともない。
もう一つのソファから飛び降りた大きな黒猫が、伸びをしながらクリスの足下にやってきた。黒ヒョウのようでかっこいい。黒猫はにゃあと鳴く形に口を開け、体をクリスに二、三度こすりつけると、腹を見せて転がる。
「相変わらず警戒心ないなあ、ジェイは」
後ろからやってきたユージンはクリスの脇にかがみ込んで、黒猫の腹をがしがしと擦る。猫は両手を両足を伸ばし、気持ちよさそうに床の上に長く伸びた。それをユージンはひょいと抱え上げて、「抱いてろ」とクリスに渡す。
反射的に差し出してしまったクリスの腕に、仰向けの黒猫が収まった。目を細め、満足そうにぐるぐると喉を鳴らしている。見た目よりずっと重く、温かくてぐにゃぐにゃしている。抱えるのは思ったより大変だった。
「そいつはジェイ。重かったら下ろしてもいいから」
言い置いて、ユージンはソファから猫を追い立て、ソファにかけてあった毛だらけの布カバーを外した。クローゼットから新しい布を持ってきて被せると、追い払われていた二匹が戻ってきて、当然のような顔でまた同じ場所に座り込む。
「座れば?」
言われて、ぎこちない手つきで黒猫のジェイを抱えていたクリスは、カバーを替えたばかりのもう一つのソファに座った。
とたんに仰向けの猫がもがいたので、逃げたいのかと思ったクリスはそっと腕から放す。するとくるりと半転して姿勢を整えた黒猫は、クリスの方を向いて膝の上に乗ってきた。そのまま、前足を胸にのっしりとかけ、顔を近づけてくる。
クリスは顔を反らせた。ジェイは喉を鳴らしながら、クリスの顔に何度も頭をこすりつけてくる。




