七
二階のユージンの部屋にトーマスが上がって行ってからしばらく経つ。一人でいるクリスには、時間が過ぎるのがやたらと遅く感じられた。
時計ならちゃんとサイドボードの上にあるのに、つい携帯端末で時刻をチェックしてしまう。見ると、メッセージが入っていた。セイラからだ。
――朝ご飯、ちゃんと食べた?
「あ、メッセージするの忘れてた……」
食事は既に終わって、皿も片付けてしまった。朝食のメニューなんて特殊なものでもないから良いだろうと、テキストだけの連絡を入れることにする。返事はすぐにきた。
――他に問題はない?
「今日からはやっぱりホテルに泊まりたいんですが」と入力しかけて指が止まる。
本当に、午前中でなんとかできるのか? なんとかできなければ、おめおめ帰るのか?
それでは、なんのためにこんなところまで来たのかわからない。
それに――。
明日からは一緒に食べようね。
トーマスはそう言ったのだ。
それは何気ないひとことだったのだろうが、海底に深く打ち込まれた船の錨のように、クリスを引き留めようとしていた。
せめてあと一日だけ――。
儚い泡のように浮かび上がってきた願いを、クリスは現実的判断に書き換える。そんなの関係ない。鑑定結果が出るまではどうせ動きようもないから、ここにいるだけだ。どこに泊まるかなんてそのくらいの手配、いつでも融通は利くはずだ。
書きかけのメッセージは一応仮保存して、「特に何もありません」と送信した。
――安心しました。
――何かあったらすぐに連絡してね。
――じゃあ、また後で。
セイラとのやりとりが終わると、もうすることはなくなって、ソファーに席を移し、壁のモニターに流れるニュースの映像をただ眺めることことになる。ニュースは昨日とほぼ同じで、あまり代わり映えもしない。
画面に映っているのは、またあの宇宙船。白くて大きな。
通常の宇宙旅行には、各星系に一つずつある恒星間移動門が使われる。
遠い星域に移住可能な惑星を探して旅する調査船に乗るか、宇宙のどこかで紛争が起きたらすぐに駆けつけるUUNの軍人にでもならない限り、クリッパーの操る光速船には乗ることはない。
唯一可能性があるとすれば、一山当てて超がつくほどの大金持ちになり、このエーオース号のような船に乗ることだ。
光速に近い宇宙船の中にいると、通常空間にいるときより時間の進みが遅い。例えば、船内では一年しか経たなくても、地上では三年が過ぎていたというように。
エーオース号は、そういう、俗にいうところのウラシマ効果を利用した延命用の豪華客船なのだ。
そんな船に乗れる身分が素直に羨ましい反面、家族や友だちを地上に残して、ひとりだけ長生きするのは寂しくないのだろうか、と画面の中の白い船を見ながらクリスはふと思った。
取り残されているのは地上の人たちじゃなくて、この船の中の人たちみたいだ……。
突然、画面が真っ暗になった。
「ったく朝っぱらから最低だ」
ぶつぶつと文句を言いながらダイニングに入ってきたのはユージンだった。不機嫌な様子で、色の抜けかけた紺色のカーディガンのポケットに端末を突っ込む。
「だからこの時期は嫌いなんだよ。どうして俺がこの部屋に入ってくるたびに、あの船がでかでかと画面に映ってるんだ! クソむかつく。そもそも……」
そこでユージンはやっと、まっ黒なモニターの前で彼を見つめるクリスに気がついたらしい。
「よ、おはよう」
特に笑顔を作るでもなく、軽く右手を上げる。
「おはようございます」
暗いモニターに向き直ったクリスが挨拶を返す。
その時にはもうユージンはキッチンに入りこんでいた。ガシャガシャと鍋をコンロにかける音が聞こえる。
ほどなく、開けっ放しのドアに眉をひそめながら空の鍋を持ったトーマスが入ってきた。クリスと目が合うと微笑む。後ろを通りすぎていくトーマスを、振り返ったクリスが目で追うと、カウンターに鍋を置き、ダイニングテーブルに座った。その向かいのプレースマットが残っていた席には、キッチンから出てきたユージンが座る。
「仕事の話を少しするから、何か見ててね」
モニターがついていないのに気づいたトーマスが、ダイニングテーブルの方を向いているクリスに声をかけた。
「ニュース以外でな」
ユージンが付け加える。




