四
「それにしても、いつまで寝てるつもりなのかなあの人は」
茶器を片付けようとトーマスが立ち上がったとき、時計は八時を回っていた。
「当分起きないと思うよ」
オレンジジュースのグラスを手にしたクリスが、意外なことを言う。
クリスの寝ていたのはユージンが寝ているはずの猫部屋の隣だから、帰ってきた物音で起きた可能性はある。しかしこの場合、そういうことではないかもしれない。
「まさかと思うけど、彼は君の寝てる部屋に来た?」
「うん。三時くらいだったかな」
「それで?」
「まだ寝てる」
「どこで?」
「オレが寝てたベッドで」
「クリス、君はどこで寝たの?」
「仕方ないから一緒に寝たよ」
水を止めて、テーブルに座っているクリスをトーマスは見た。別段おかしな様子はない。
トーマスの知る限り、ユージンにペドフィリアの趣味はない。他のアブノーマルな性向もないように思われた。
しかし、出会ってから七年間、トーマスは恋人を紹介されたことがない。男女問わず、特定の誰かとつきあっている気配もない。身体的にも宗教的にも何の問題もない成人男子が、である。
とりあえずクリスの出現によって、彼が成人女性とはつきあえるらしいことはわかったけれど、他人に言えない性癖をひた隠しにしている可能性もないではない。
「変なことされたり、しなかったよね?」
ううんと首を横に振った後で、クリスがふと不安そうな顔をする。
「……そういう人なの?」
その反応にトーマスは却って安堵し、取り繕う。
「いや、そうじゃなくて、彼は寝ぼけることがあるんだよ。いい加減起きてもらわなきゃ困るから、ちょっと起こしてくるね」
五リットルはあろうか、たっぷり水の入った鍋を片手にダイニングを出て行くトーマスを、クリスは不思議そうに見送っていた。
ドアを開けたとたんに、「ちょっと待て」という声が聞こえた。無視して部屋に入ると、うっすらと酒の臭いが残っている。端末で窓を全開にすると、朝の冷たい空気がアルコールを洗い流すように入ってくる。
トーマスはそのまま至近距離まで近づいた。水の入った鍋を右手に構える。
「起きてください」
ユージンはしぶしぶというように起きあがり、ベッドの上で背中を丸めて胡座をかいた。
「殺気垂れ流し。暗殺者には向かないなあ、君」
まだ眠そうな彼の声は少ししゃがれている。
「そういう方面への転職予定はないので問題はありません。ところで、なんであなたがここで寝てるんです? 僕は隣の部屋で猫と寝るように言いましたよね? 子ども相手に何やってるんですか? どういうことか説明してもらいましょうか?」
「そんな怒らなくてもいいじゃない。うちにきた子はいつも最初は俺と寝てるんだし」
「うちにきた子?」
「タマラとかジェイとかフレディとか、みんなそうだったろ?」
「……みんな猫じゃないですか。クリスと、人間と一緒にしないでください。水浸しになりたいんですか?」
ユージンの服は昨夜出かけたときのままだった。着替えてもいない。人を食った返答に加えて、そのことにもトーマスの苛だちは募った。水を掛けるだけじゃなく、いっそのこと鍋ごとぶつけてやろうかと思うくらいに。
「ああ、それ水? のどが渇いてたんだ。ちょうどよかった。飲ませてよ」
右手を伸ばしたユージンから、トーマスは鍋ごと身を遠ざける。




