三
ついうっかり、自分がここに来た理由を告白したくなる。そして、すべてをリセットして、ここでずっと――。
そこまで考えて、クリスは自分の甘さがつくづく情けなくなった。許される前提で考えているのが間違いなのだ。心ならず苦笑が漏れる。
「どうかした?」
トーマスの声に目を上げると、彼はぐずぐずとシリアルをかき混ぜるクリスを穏やかなまなざしで見守っている。
この人には嘘をつきたくない、と思ってしまう。
しかし、下手なことを言えば、自分の企みはバレて阻止されるかもしれない。そうでなくても、この家のセキュリティは厳しいらしい。何もできずに終わる可能性もある。それくらいならいっそ何もせず、大人しくこのまま――と、思考はまたループを始める。
「ううん。なんでもない」
そう言って、クリスはシリアルを口に運んだ。牛乳で緩んでしまったそれは無様に甘く、自分の姿に重なった。もう少し放っておけば脆く崩れて、食べられない物になってしまう。
やはり、今日の午後、セイラと一緒にこの家を出よう。この 居心地の良さに慣れてしまう前に。でもせめて、トーマスにだけはそのことを伝えておきたかった。
「トーマスさん、あのね。オレ、今日……」
「あ、ちょっと待って。卵ができたみたい」
小さな電子音が鳴って、トーマスは立ち上がった。
「ごめんね。話を中断させて。今日は何?」
塩の小瓶とエッグスタンドを持って帰ってきたトーマスの顔を見ると何故か、予定していたはずの言葉は続かなかった。
「え、えと、ああ、そうだ。あのね、今日はトーマスさんは仕事なのかなと思って」
「僕は今日は一日詰まってるけど、ユージンはオフだから、相手してもらったら?」
「えっ……」
それは気まずい。むしろ放置してもらうほうがいい。
「どこか行きたい場所はないの、クリス?」
「別に……」
それきり黙ってしまったクリスをトーマスは気遣うように見つめている。後ろ暗いところのあるクリスは視線を落とし、食事に没頭するふりをした。
「今朝はあんまりしゃべらないんだね、クリス。つまらない?」
しばらくして、トーマスがぽつりと言った。
「あ、ごめんなさい。お腹減ってたからつい」
本当に空腹だったクリスは、いつのまにか皿を空にしていた。
「それならいいけど。ひょっとして君に嫌われてしまったのかと思ったよ。昨夜は余計なことを言ってしまったんじゃないかと……」
少し寂しげなトーマスの口調に、つられるようにクリスは答える。
「そんなことない。オレ、トーマスさんのこと、好きだよ。いい人だもん。あんなにしゃべったのは初めてだったけど、楽しかったよ」
トーマスは「よかった」と微笑むと、今度はさきほどよりは明るい声で続けた。
「そういえば、昨夜言い忘れてたんだけど、君がユージンと二人で暮らしたいなら、僕はこの家を出て行ってもいいんだからね」
「えっ……」
クリスはトーマスの言葉に絶句した。
物事がクリスの予定通りに進めばありえないのだが、万が一にも考えたくない未来だった。トーマスがいてくれるならともかく。
「トーマスさん、あの人のこと好きなんでしょう? だから一緒に住んでるんじゃないの? なのに、どうして出ていってもいいなんて言うの?」
「確かに、ユージンのことは好きだよ。友だちだからね。でも、彼にとって本当に必要なのは、友だちじゃなくて家族なんだよ。恋人でもいいんだけど、そういうの、なぜかないんだよね、彼……」
トーマスは不満そうなため息をつく。
この二人はつきあってるんじゃなかったの? っていうか、ほんとに『違った』の?
「だから、僕にとって君が――彼の子どもがいたということは、本当に嬉しいことなんだ。結婚相手なら別れたら他人だけど、親子なら死んでも親子のままだ。君たちが上手くいくためなら、僕はなんでも協力するよ。僕が出ていったほうがいいなら出ていく。どうだろう? 遠慮はしなくてもいいんだよ」
「あの人と二人っていうのはちょっと……無理」
つい本音が出た。
「彼のことが苦手?」
クリスは即座に首を縦に振った。
「嫌い?」
今度は躊躇した。
嫌いとまで言ってしまっては、じゃあなぜこの家にいるのかと聞かれてしまうかもしれない。問いつめられたら余計なことまで白状してしまうかもしれない。
そう考えると、うかつに頷くことはできなかった。
それに、少しだけ気にかかっていた。ユージンは自分のことを気に入っているという昨夜のトーマスの科白と、彼の手の温かさが。
「彼のことは、嫌いなわけじゃないんだね?」
確認するようなトーマスに、クリスは「多分」と答えた。
その答えは、多分、嘘だけれど。




