九
「……は?」
ベッドの横にパジャマのままで立ちつくすクリスは、怒りと寒さだけではない別の嫌な予感に身体が震えるのを感じた。
「ここ、近所でも有名な幽霊屋敷だったんだよね。実際出たことあるし。ほら、子どもとか動物ってそういうの見えるっていうじゃない。一人で大丈夫?」
昼間はまだ耐えられる。夜になっても、そういうことを考えたり思い出したりしさえしなければ大丈夫なのだが――。実は、クリスはその手の話が大の苦手だった。
そんなものは出ないと経験的に知っているなじみのある場所ならともかく、勝手もわからない家の暗い部屋でこんな話を、しかも真夜中に聞かされて、一人きりでいられるわけなどない。
実際出たことあるし、というユージンの科白が、頭の中でエコーしている。
「そういうわけだから、気をつけてね。おやすみ、クリス」
何にどう気をつけろというのか。
部屋から出て行こうとする薄情な黒いセーターの裾を、クリスは掴まずにはいられなかった。
「なに?」
ユージンがのんきそうな口ぶりで、振り返りもせずに言う。
「……あの」
開いたドアから、返事を急かすように冷たい空気が流れ込んでくる。
「だから、なに?」
「………………行かないで」
ようやく絞り出した返答から数秒ほど間があって、ユージンがこちらを向く。表情は暗くてよく見えない。ドアは後手に閉じられた。
「条件が二つある」
「条件?」
後に回した手の中の青い携帯端末を、クリスは握り締めた。
「一つは、俺をベッドで寝かせろ。君も寝たけりゃ寝てもいいが、通報とかそういうのは無し。こっちも変なことはしないからさ」
意外とまともな条件に、クリスは一人になりたくない一心で頷いた。ユージンが笑ったような気がした。
「じゃあ、ベッドに入って」
端末を離さずに、クリスはベッドに滑り込んだ。続いてユージンも入ってくる。マットレスが重みで沈み、クリスはベッドの端で身体をこわばらせた。
クリスに背を向けてごろりと転がったユージンは、それきり身動きもせず、何も言わない。
「ねえ、もう一つの条件って何?」
「あ? もう一つ? は……俺、昨夜寝てないわけよ。早く眠ら…せ……」
オルゴールのネジが切れるように、ユージンの言葉は途中で途切れた。
「ねえ」
呼びかけても返事はない。やがてゆるやかな寝息が聞こえてきた。
横を向くと、後ろ向きのユージンの後頭部が見えた。クリスと同じ、まっすぐな黒髪が枕に落ちている。
断りもなく抱きすくめられて、驚きもしたし腹も立ったが、不思議と生理的嫌悪感はなかった。
ふわふわしたセーターの布越しに、母親とは違う、硬い感触の胸がクリスの頬に押しつけられた。女用ではない香水に、かすかにタバコの匂いが交じっていた。
窓の向こうには、トーマスの部屋の明かりが光って見える。
気がつくと、冷たくなっていたベッドは二人分の体温で温まり始めている。
クリスは横になったまま、今日端末に登録したばかりの連絡先を表示させた。
――トーマス
――セイラ
結局どちらも呼び出さないまま、温かさとともに忍び寄ってきた眠気に負け、クリスは再び目を閉じた。




