六
広いだけが取り柄とユージンが言っていただけあって、家は大きかった。
リビングを出て廊下を曲がり、玄関に戻った。最初に入った応接室の奥にももう一つ部屋があり、そこで建物の右翼は終わっていた。
「こっちだよ」
玄関の二階に上がる階段には、黒く塗られた鋳鉄がつる草のように絡んだ手すりがついている。きょろきょろしながら階段をあがっていたクリスは、躓きそうになった。
「大丈夫? 気をつけてね」
即座に差し伸べられる手が何となく居心地悪い。でも悪い気分ではない。
階段を上がりきったところに、木で作られた簡単な扉のようなものがついていた。扉といっても大きなものではなく、せいぜいクリスの胸くらいの高さで、大人でなくても乗り越えるのは難しくはない。
「これ、何ですか?」
トーマスにはなんとなく話しやすく、質問もしやすかった。
「ああ、これは猫の脱走防止柵だよ。お客さんが来るから一階には出さないようにしてるんだ」
「猫、何匹いるの?」
「八匹」
「八匹!」
「ユージンのせいでね。おかげで知り合いには『猫屋敷』って呼ばれてるよ」
ドアを開ける仕草で柵を動かして廊下に入ったトーマスは、窓を背に立ち止まった。
「僕の部屋は一番奥のあそこ」
右手を指さす。応接室の奥の部屋の、ちょうど真上あたりだ。
「あそこにいなければ手前の書斎で仕事をしてるよ。君の泊まる部屋はこっちにあるよ」
今度は左手に向かって歩き出す。
「ここがトイレ」
と歩きながら一つめのドアを軽く叩いた。
「ここは二階のバスルーム。バスルームは一階にもあるから、好きなほうを使ってね」
次のドアを叩く。
「ここは空き部屋」
そのまた隣のドアを叩く。それから廊下を右に折れ、最初のドアの前に立つと振り返って尋ねた。
「猫を見る?」
「見たい!」
クリスが言うと、ドアを少し開いて右足だけを素早く突っ込んだ。そのまま、クリスを手招きをする。
「今、部屋に閉じこめてるから外に出したくないんだ」
クリスがドアからのぞき込むとがらんとした部屋にボロボロのソファーが2つと、奥の壁際にいくつかの棚のような変なものがあった。棚といっても太い棒に板きれや小鳥の巣箱のようなものがくっついていて、何なのかわからない。
猫たちはソファーや棚の上でそれぞれくつろぎながらも頭だけ上げて、警戒心と好奇心の入り交じった瞳でこちらを眺めている。
トーマスはドアを静かに閉めて、先に進んだ。
「ここがユージンの部屋」
またドアを叩いた。その先に左に曲がる短い廊下があって行き止まりになっていた。
「そしてここが君の部屋」
行き止まりの手前にドアがある。
「実はまともなベッドがあるのはここだけなんだ。用意してあげるから、ちょっと中で待ってて」
言われたクリスが部屋に入ると、ベッドとナイトテーブルと作りつけのクローゼットのある殺風景な部屋だった。ひとけがなくて、寒々しかった。
おまけに、むきだしのベッドマットは汚れている。ベッドに腰かけてよく見ると、茶色のがびがびしたものがこびりついていた。
こんなベッドに寝るのはイヤだなあとクリスが眺めていると、パッドやシーツや毛布を山のように抱えてトーマスが入ってきた。そしてクリスの視線の先のガビガビを発見し、絶句した。
「猫のゲロが……。だからドアはちゃんと閉めるようにあれほどいつも言っているのにあの人はっ!」
持ってきたものを乱暴に床に置くが、もともと柔らかいものなのでちっともそうは見えない。トーマスは上着を脱いで、シャツの腕をまくった。
「仕方ないな。今夜はユージンのベッドを使ってもらうことにして、と」
それからクリスの背を押すようにして一緒に廊下に出る。
「僕はあの後始末をするから、君はリビングでテレビでも見ててくれるかな。それから、設定してないから番組の年齢制限は自分で守ってね」
浴室のドアを開けながら念を押す。掃除道具が中にあるのだろう。
「わかったよ。トーマスさん、早くきてね」
クリスはまんざら嘘でもなくそう言った。トーマスの近くの空気は暖かい気がしたのだ。
パスワードが解析不能だったことといい、一人でいるとどうもこの家からは拒絶されているようで心細い気持ちになる。
本当は自分が嫌いなのに相手こそが自分を嫌いなのだと思い込むというような、心理的防衛機制――つまり自分がこの家を拒絶しているから拒絶されているように感じる可能性も考えたものの、ここは自分の居場所じゃない、という強い違和感はぬぐえなかった。
暗くなり始めた窓から見える空の色が、見慣れたものとは違いすぎるからだろうか。
もっとネオンがきらきらしていなくては、夜は寂しすぎる。




