トラベリン・ライト
グリニッジ標準時一〇時四六分、月の裏側から六万一五〇〇キロメートルの位置に建造されたラグランジェ国際宇宙港は、多くの人と貨物で賑わっていた。
大きな窓を模したスクリーンには外部のカメラからのリアルタイム映像が映し出され、巨大な恒星間移動門や、真空中を行きかうタグボートやシャトルの認識灯が色とりどりに光っている。
それはクリスの故郷の歓楽街の、夜明け前の景色に少し似ていた。
深夜には熱帯の花のようにどぎつく咲き誇る街のネオンやホログラフサインも、その時間には落ち着いてまばらになる。どこか白けたさびしそうな風情で、一日で一番濃い夜闇の中、くだらなく変わらない一日がまた始まるのを待っている。毎朝目を覚まして窓から街を見下ろすたびに、そんな気がしていた。
「クリス・バーキンさんですね」
ジャンパーにジーンズ、デイバッグ一つという身軽な旅のいでたちのクリスが振り返ると、紺色の地味なパンツスーツの女性が書類カバンを持って立っていた。肩くらいの長さの黒髪で小柄で、まだ若く見えた。
「私はカト市役所福祉課子ども育成コーディネーターのセイラ・ツルです。バーキンさん、あなたを迎えにきました」
セイラと名乗った女性は、ここまでつき添ってくれていた女性客室乗務員とクリスに、携帯端末で身分証を提示した。
乗務員も社給の端末をセイラの端末にかざして確認をとると、艶やかな笑みを作った。
「ご足労いただき、どうもありがとうございます。本来なら当社の月行きシャトルのスタッフに引き継ぐところだったのですが」
「いえ。たまたま私用でこちらに来ていたので、ついでです」
乗務員から受け取ったクリスの搭乗データの確認を終えたセイラは、身をかがめて右手を差し出した。
「よろしく。バーキンさん」
「クリスでいいです」
軽く握った手を素早く放しながらクリスが言うと、「しっかりしてるのね」と感心したようにセイラは離しかけていた手を再び強く握ってきた。
近くで見るとセイラは化粧をしていなかった。クリスの身の回りの女は皆、濃い化粧をしていた。八十の老婆でさえも男の気を引くために紅を引き、まぶたを彩る。そういう街だった。
「おとなしくてとってもいい子だったんですよ。引き継ぎしてくれた、ポッドのスタッフも同じことを言ってました」
保護者もなしに十五歳以下の子どもがひとりで宇宙を旅することはほとんどない。クリスのように理由があってそうする場合、搭乗するシャトルやポッドの乗務員が面倒を見ることになっている。うるさい監督者がいないことから羽目を外しすぎて騒いだり、逆に不安から泣きだしたりする子どもが多いが、十一歳のクリスはそのどちらでもなかった。
「そうだったんですか。ひとりなのに偉いなあ」
セイラが目を細めたとき、月へのシャトルの搭乗受付開始を知らせるアナウンスが聞こえてきた。
「そろそろ行かなきゃ」
クリスがセイラを見上げて促した。
「お父さん、いい人だといいわね。うまくいくよう祈ってるわ」
女性乗務員の営業用ではない声が二人を見送るように聞こえ、クリスは一瞬立ち止まって内心毒づいた。
どうせなら、オレの復讐がうまくいくように祈っててくればいいのに、と。