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キャッチボール

■ キャッチボール ■


 梓の父親は、東証一部上場会社の社長であった。

 ゆえにその屋敷も、大邸宅といっても過言でないほどの広さを誇っていた。

 その広さに最初は、戸惑っていた梓であった。

 自室からリビングに移動してきた梓。

 ソファーに腰を降ろして新聞を広げて読んでいる父親がいる。

 今日は日曜日、会社が休みでくつろいだ表情だ。

「お父さん、おはよう」

「ああ、おはよう。梓」

 声を聞きつけたのか、ダイニングキッチンから母親が顔を出す。

「梓ちゃん。起きたのね、悪いけどちょっと手伝って」

「はーい」

 明るく返事をして、ダイニングキッチンへ向かう梓。

「おはよう、お母さん」

「おはよう、梓ちゃん」

 梓は女の子であり、母親が朝食の手伝いをさせるのは当然である。

 そして、素直に従う梓であった。

 精神的には他人でも、身体的にはこの両親の娘である事には違いない。養ってもらっている以上、言われた事には忠実になるしかない。


 食事を終え、後片付けも済んで、リビングに戻る梓。

 そして父親を捕まえて催促するのだ。

「お父さん、キャッチボールしようよ」

「またかい? しようがないなあ」

 といいながらも、嬉しそうな表情を見せて立ち上がる父親であった。

 世間では父娘断絶の風潮があるなかで、娘の方から声をかけてきてくれて、頼りにされている実感というのは、父親冥利につきるというものだ。どんなに仕事で疲れていても、可愛い娘の相手をしていれば心は癒される。

 梓が父親とキャッチボールを始める発端になったのは、リビングの暖炉の上に飾られていたバットとグローブだった。

 不審に思った梓が尋ねてみると、父親が高校時代に甲子園出場を果たしたときの記念の品だというのだ。

「お父さん、甲子園に出たの!」

「ああ、そうだよ。もっとも一回戦で敗退しちゃったけれどね」

「ポジションはどこ?」

「投手だったよ」

「すごいなあ」

「一回戦で敗退しちゃったんだよ」

「でも、県大会を勝ち抜いたということじゃない。やっぱりすごいよ」

「まあ、そういうことになるのかな」

 梓、グローブをはめてみる。

「あは、ぶかぶかだ」

「そりゃ、そうさ。投手やるような男の手は大きくなくちゃだめだからね。梓は普通の女の子だから小さいのは当たり前さ」

「ちょっとお父さんの手を見せて」

「うん、お父さんの手かい」

 梓、広げた父親の手の平に自分の手の平を合わせてみる。

「わあ! お父さんのほうが倍くらいおおきい」

「ははは、大人の男だからね」

 梓の白くてしなやかな細い指と、日焼けしたごつくて太い父親の指との違いが一目瞭然であった。

「そうだ! お父さん、梓にグローブ買ってよ」

「グローブをか」

「うん。お父さんとキャッチボールしようと思って」

「キャッチボール?」

「だめ?」

「まあ……梓がどうしてもというならいいけど。梓の手なら、子供用だろうなあ」

「ありがとう、お父さん」

 といって抱きつく梓。

「これこれ、梓」


 というわけで、休日ごとにキャッチボールをはじめたわけである。


 今でこそ仲睦まじい父娘であるが、転落事故以前の父親は、家庭を省みない仕事一途であった。そんな父親不在の寂しさを紛らそうとする梓の意識に、あの不良達につけ込まれる要因があったといえる。

 事故を契機として、娘に変化が現われたのを期に、父親も次第に変わってきていた。キャッチボールしようと、娘の方から歩み寄ってきたり、喜んで抱きついてきたり、父親を尊敬し笑顔を向けるようになったのである。娘とのスキンシップの交流がはじまって、父親の方にも再び愛情が戻ってきた。

 仕事一途の生活から、朝夕は一緒に食事を取るようにもなって、梓との会話が楽しくなっていた。娘がこんなにも可愛くて、いとおしいものだったとは、改めて再認識する父親であった。


 庭に出てキャッチボールをはじめる父と娘。

「お父さん、いくよ」

「よし、こい!」

 父親が片膝ついて梓の投球を受けている。

「お父さん、今度はカーブ投げてみるね」

「いいぞ、来い」

 梓ゆっくりと投球モーションを起こし、下手スローからボールを投げ出す。

 その手から離れたボールは勢いよく父親のグローブに収まる。

「うーん。なかなかいいぞ」

 ボールを返球する父親。

「しかし、梓がここまで上達するとは思わなかったな」

「お父さんのお蔭だよ。それに、お父さんの子供だし」

「そ、そうだけどさあ。やっぱり女の子だもんな、限界は越えられないだろう」

「限界?」

「そうさ。男なら百五十キロの球速も出せるけど、女の子ではせいぜい百二十キロしか出せないからな」

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