36話:過去の夢、語られぬ真実
夢を見ていた。
最近よく見る、魔王討伐の旅の夢を。
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美しき赤い月の化身が蛇腹剣を鞭のように振るう。
紅蓮の髪を靡かせ、紅の眼を見開き、ただ俺を殺すために、嗤う。
その一撃を右手の手甲で受け、火花を散らしながら間合いを取った。左の手甲は既に意味をなさない程にボロボロだ。
避けられない攻撃は女神の加護である右手の手甲で受けるしかない。
迫る追撃。しなる刃に対して瞬時に背部のブースターを起動する。蛇腹剣の軌道から逸れ、すぐに体勢を整えた。
生身での爆発加速に全身の骨が軋むが、当たるよりはマシだろう。
焦るな。時間を稼ぐだけでいい。
司が魔王を倒すまで、コイツを引き付ければいいだけだ。
なに、簡単な仕事だ。今までの出来事に比べれば、尚更そうだろう。
だからと言って、そんな簡単に行く訳がないのだが。
「ねぇ、アレイ。身体が火照って堪らないの。くふふ……さァ、もっと遊びましょう?」
熱を帯びた艶かしい声でアイシアが嗤う。
まるで三日月のように避けた口元に、獲物を射殺すような瞳で。
折角の美女からの誘いだが、お前だけは御免だ。
怖いからこっち見んじゃねぇよ、馬鹿野郎。
ちらと下を見ると、遠くで司と魔王が真正面から殴りあっているのが見える。
一撃毎に地形が変わり、豪風が吹き荒れ、その様子は正に自然災害のようだ。
なんだあの怪獣大決戦。どっちも尋常じゃねぇな。
そんな激しい戦いの中、不思議と二人の会話が聞こえてきた。
「トオノツカサ。貴様は、強いな」
「…そうだね。だから、お前を倒しに来たんだ」
「ああ、素晴らしきかな勇者よ。異界から来たる者よ。だが、貴様は本当にそれでいいのか?」
「…何を言ってるの?」
天変地異を巻き起こす戦いを繰り広げながらも、お互いの口調は至って静かだ。
問い掛ける魔王に、司が眉をしかめている。
「ねぇアレイ、ちゃんと私だけを見て?」
掛けられた声に慌てて視線を戻す。
視界の端から迫る鋼鉄の蛇。咄嗟にブースターを起動し、蛇腹剣を避けた。
さらに振られた追撃に対して回転、加速させた右拳で殴り弾く。
あぶねえ。余所見なんてしてる場合じゃないな。
自分の迂闊な行動に肝を冷やす。
集中しろ。死ぬぞ、俺。
「お前は私を倒せるかもしれない。だが、その後はどうするのだ?」
「…何を言いたいか分からない」
「魔王を倒した者。それは、ただの化け物ではないか」
弾かれた蛇腹剣が逆方向から迫る。
速い。だが、反応出来ない事は無い。
この距離なら蛇腹剣の全体を見ることが出来る。そう簡単に当たりはしない。
もっとも、こちらに攻撃手段は無いが。
「王は良いだろう。貴様の仲間も同じくだ。だが、民はどう思うか」
「…俺は、それでも」
「魔王を倒した者。それは最早、同族として見られないのではないか?」
「…違う。違う、違う!!」
「アレイ! もっとこっちに来て! もっと私を感じて!」
アイシアの嗤い声が迫る。ああ、怖いな、ちくしょう。喧しいから黙ってろ。
アイシアも、魔王も。口を閉ざしてさっさとくたばっちまえ。
「貴様は、それで良いのか? たった独りでこの世界を生きていくのか?」
「………俺、は」
破壊音が、止まる。
視界の端で、動きを止めた司が吹き飛ばされたのが見えた。
その瞬間、俺の頭の中で何かが切れる音がした。
「アレイ、アレイアレイ! 私と一つになりましょう! くふ、ふふふふ!」
「うるせえっ! 邪魔だ退けぇっ!」
再度振るわれた蛇腹剣に対し、前方に向かって爆発推進。
鉄杭を撃ち出し、弧を描くを刃を粉々に吹き飛ばす。
即座に反転、ブースターをフルスロットルで点火する。
くそったれ。そんな戯言で止まってんじゃねえよ。
お前は今まで何を見てきたんだ。
俺達は今まで何をしてきたんだ。
どうして俺達はここにいると思ってんだ!
加速、加速、加速。
すぐに最大速度に到達するが、そこから更に加速する。
音速の壁に押し潰されそうになりながらも止まらない。
自身から溢れる青い魔力光が恐ろしい速度で流れていくが、知ったことか。
ーーー『装填』
ーーー『神造鉄杭 : 魔力圧縮完了』
ーーー『裁きの鉄杭 : Ready?』
右腕で鈍く光る相棒の声を聞きながら空を駆ける。
全てを捨て去り、ただひたすらに前へ。
「勇者よ、我が引導を渡してやろう。穏やかな死を迎えるが良い」
振りかざされた魔王の右腕。それを見ながら、更に加速した。
限界を超え、毛細血管が破裂する。青の魔力光に血の赤を混じらせながら、しかし速度を緩める事は無い。
もう誰もやらせない。殺させはしない。
守ると決めた。命も心も、その全てを。
俺は大人だから。子ども達を守る義務があるのだから。
だから、魔王が司の命を奪おうと言うのであれば。
「俺が貴様を撃ち貫く!」
「……なんだ? 羽虫が、邪魔をするな!」
俺の叫びに魔王が振り返る。歪な笑み。
他者をいたぶる事に悦びを感じている、そんな表情で、此方に向けて手を伸ばした。
即座に放たれたのは、数え切れない程の黒い魔力光の激流。
それを躱し、避け、直撃を免れない弾だけは左手で打ち逸らす。
生身の左腕がその衝撃に耐えられるはずも無く、見事に根元から弾け飛んだ。
強烈な痛みに、湧き上がる恐怖。死を間近に感じる、その中で。
しかし、速度は落とさない。
空色の魔力光を置き去りにし、こちらに伸ばされた手を掻い潜り、至近距離に到達。
神造鉄杭を突き付けた刹那、魔王の顔は驚愕に染まっていた。
弱者には弱者の意地があるんだよ。舐めてんじゃねえ。
俺の意志は、誰にも止められない。
狙うは胸のペンダント。魔王の核。
そこに『神造鉄杭』の先端を突き刺した。
一瞬にも満たない時間の躊躇い。俺が魔王を殺す事に対する影響を考え、そして。
知ったことかと、神をも貫く鉄杭を撃ち出した。
世界を揺るがす程の轟音が鳴り響く。
衝撃の余波で自分が吹き飛びそうになる中、足を踏ん張ってブースターを吹かして耐える。
黒い魔力光が飛散し、魔王の姿が足下から塵になって行くのが見えた。
「なるほど、私の死は貴様だったか。最弱が最強を倒すとは、洒落が効いているでは無いか」
「最悪の気分だくそったれ。おい、最後の言葉くらいは聞いてやろうか?」
「慈悲深い者よ。貴様の名は?」
「葛城阿礼。ブラック企業のサラリーマンだ」
「そうか。アレイ、我が終わったことを女神に伝えてくれ」
「……言われなくても伝えるが。まあ、分かった。じゃあな」
崩れゆく魔王に背を向けた時、既にその姿は塵芥となって消えていた。
視線を向けると、司が倒れて居るのが見える。
身動ぎ一つせずに、ぼうっと空を眺めているようだ。
見渡してみても、アイシアの姿はない。
魔王が倒されたのを見て退いたようだ。助かった。
だがもう、空っぽだ。
地面に倒れ込み、司と同じく青空を見上げた。
アガートラームの魔力光と同じ色。それが今はやけに綺麗に見える。
勝った。もう二度とやりたくねぇ。
遠くから聞こえる仲間達の声。
ああくそ、後で司に説教だな。
子どもに頼られるのも、子どもの後始末をするのも、子どもを叱るのも、みんな大人の特権だ。
まずはこの馬鹿みたいな最強に、拳骨を落とさなきゃならない。
そんな事を思いながら意識を手放し、そこで夢は終わりを迎えた。




