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32話:雨の降る中で


 ファム達に見送ってもらい森人の里を出て数日の間、旅は順調だった。

 魔物が出る訳でも無く、珍しく穏やかな時間が続いている。

 今日もそろそろ休憩を取ろうかと思った矢先に、ぽつぽつと雨が降りだした。


 空を仰ぎ見ると、雲が厚い。土砂降りになるな、これ。

 雨の中を進むのは野生の獣や魔物の接近に気付き難いだけでなく、足を取られて馬の体力を無駄に使う。

 こんな時は無理をせず、馬車を休ませるに限る。


 幸いな事に大きな樹があったので木陰に馬車を停め、樹の枝にロープを張って簡易テントを張る。

 もしかしたら今日はここで野宿かもしれないな、と思いながら、馬の倉を外して水を飲ませてやった。


 焦りはあるが、無理をして怪我をしたら意味がない。仕方ないかと、携帯コンロで茶を沸かす事にした。

 少しでも進めただけ良しとしよう。


 焚き火を燃やしながら、馬車に積んでいる薪の量を確認する。

 まだ充分な量があるし、しばらくは大丈夫そうだな。

 ただ、薪が湿気ていると魔法を使っても火の着きが悪い。なので種火だけは携帯用燃料を使う必要がある。

 こっちは補充できないから節約して使わなければならない。

 少し不安に思い、心が逸っているなと苦笑を漏らした。


「リリア、茶でも飲もうか」

「あ、はい。カップを出しますね」


 デフォルメされた愛らしいウサギの描かれたカップを受け取り、沸き立てのハーブティーをカップに注いで渡す。

 俺のカップにも同じく注ぐと、吹き冷ましながら一口飲んだ。ほう、美味いなこれ。

 森人の里で干し肉と共に分けてもらった物なのだが、疲労回復効果があるとの事だったので遠慮なく分けてもらった。

 腹と心、二重の意味で温かさを感じて気持ちが落ち着いてくる。

 持つべきものは友と言うが、正にその通りだな。


「このお茶、美味しいですね」


 カップを片手にリリアが呟く。

 この娘はふとした所作に育ちの良さが見えるが、最近はそこに冒険者らしさも交じって来た。

 ハーブティを口に運ぶ仕草はいかにも貴族なのに、その後は厚手の布越しに下から鷲掴みだ。

 そのチグハグさが面白く、つい零れそうになる笑いを噛み殺す。


「そうだな。とりあえず、これを飲んだら飯の支度をしようか」

「そうですね」


 久々にゆったりとした時間だ。

 焦っても何も変わらないのは分かっている。

 だが、アイシアの事を考えるとどうにも落ち着かない。


 まるで恋する乙女だな、とため息を吐いた時、リリアが小さな声で喋りだした。


「私は、世間知らずでした」

「……いきなりどうした?」

「いえ、なんというか。アレイさんと知り合えたお陰で命拾いしましたし、こうして世界を見ることができてるなあ、と」

「まあ、そうだな。確かに運が良かった」

「はい、本当に。運が良かったです」


 茶を啜る音と、雨がテントに落ちる音。

 旅の途中とは思えないくらい、静かだ。


「リリアは、アスーラに着いたらどうするんだ?」

「そのままアレイさんに着いて行きます……と言いたいところですが、実は迷っています」

「そうなのか?」

「はい。足手纏いという自覚はありますから」

「……いや、そうでもないと思うが」


 道中を振り返ってみるが、当初の懸念とは違い別に足を引っ張られている事実は無いように思う。

 旅の知識は俺が、生活全般の魔法はリリアが担当していると言うだけだ。

 水や火、夜営場所の確保に関しても、かなり助かってるし。


「私は一人では旅が出来ません。でも、アレイさんは違います」

「そりゃ最初の内は誰でもそうだ。さっきの話じゃないが、学べる現状は運がいいと思った方がいい。

 こうやって学べる機会はあまりないだろうからな」

「そういう物でしょうか……それならしばらく、学ばせてもらいます」

「ああ。それに、火興しや水は助かってるからな」


 はい、と頷き、ハーブティーを啜る。

 リリアにとっては初めての長旅だ。小さな不安が幾つもあるのだろうし、知識が着いてきたから己の不甲斐なさを嘆く所もあるのだろう。

 しかし、実際のところリリアはよくやっていると思う。

 元々が貴族のお嬢様だ。不満も不服もあるだろうに、文句の一つも言わない。

 仲間たちとの旅を思い返してみても、リリアは大したものだと思う。

 心根が強く努力家で、それでいて思いやりに溢れている娘だ。

 俺はたまにこうしてフォローしてやるだけでいい。後は自分で成長していく。

 踏み込みすぎるのも良くないし、このくらいの距離感が丁度良いのだろう。


「まだ時間はあるんだ。町に着くまでじっくりと考えたらいいさ」


 今後をどうするか決めるのは彼女自身だ。

 どのような道を選ぶかは分からないが、手助けくらいはしてやりたいと思う。

 せっかく知り合ったんだ。俺が出来る範囲でなら、何とかしてやりたい。


「アレイさんは、どちらがいいですか?」

「うん? どちらって言うと?」

「私が居た方が良いですか?」

「……難しい話だな」


 正直なところ、かなり助かってはいる。

 魔術に関しては特にそうだが、それでなくても話し相手いるのはありがたい事だ。

 一人旅だと、どうしても心が荒んでいくしな。

 だが、彼女の身の危険を考えると、どうなんだろうか。

 本人は冒険者を続けたいようだし、適性はあると思うが、何分危険な職業だ。

 魔物と遭遇する機会は多いし、こうやって野営することもある。

 何なら新しく発見された未踏のダンジョンに足を踏み入れることもあるだろう。

 そんな不安定な職に就きたいと言われると、手放しに賛成は出来ないのが事実だ。


 これが赤の他人だったらまだしも、俺はリリアの事を随分と知ってしまっている。

 だからこそ、未来のある彼女を危険な地に連れて行くかどうか、悩みどころではある。


 良い経験にはなるだろう。

 だが、相応の危険も伴ってくる。

 となれば、やはり。


「リリアがどうしたいかによるな。何を選ぶにしても、俺はその手助けをするだけだ」


 本人の意志を尊重する。それしかないだろう。

 俺は保護者でもないし、彼女は既に成人している。

 本人が進みたいと思う道があれば、それを阻むべきではない。


「……いや、そういう事じゃないんですけどね」

「ん? じゃあどういう事だ?」

「えぇと。もうこの話はいいです。ただ、諦めませんからね」

「おう、そうか……よく分からんが、頑張れ」

「頑張ります。昔から諦めだけは悪いので」


 小さくガッツポーズを取る姿に少し癒される。

 やはりよく分からないが、やる気があるのは良い事だ。

 とりあえず、まだ雨は止みそうにもない。

 これを飲んだら早めに野営の準備をするとしようか。


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