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メラバ  作者: 谷兼天慈
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最終回その3「華のように」

今回はハッピーエンドです。


これも読者さんのリクエストにより生まれたラストです。

タイトルは遊樹美夜(音羽雪)さん作曲の曲名を使わせていただきました。


雪さんの曲は↓で聴けます。

https://big-up.style/artists/690

 カタンという音を立てさせて、彼女はテーブルの上に判子を置いた。

 朝のリビング。

 真っ白なレースのカーテン越しに、柔らかな光が差しこんでいる。

 朝日は掃除が行き届いた清潔な空間を満たし、窓辺に置かれた観葉植物が殺風景な部屋を優しく感じさせていた。

「…………」

 彼女はひとつため息をつくと席を立った。

 判子の置かれた傍には一枚の紙が。

 それは離婚届だった。

 そして、もう一枚の紙がキッチリとその用紙の隣に並べられていた。

 ポールペンの字で書かれたそれは便箋だった。


『出ていく私をお許し下さい。

 もう疲れました、一人でいるのも、

 そしてあなたを待つことも。』


 それだけ。

 たったそれだけの言葉。

 あの人はどうするかしら。

 久しぶりに帰って来て、私がいなくて、そしたらこんな置手紙があって───と、彼女は思った。

 くすくす───思わず笑いが漏れる。

「信じられない。私ってほんとにこんなことできるんだ」

 ガタンと椅子を元通りに押す。

 几帳面な彼女。

 真面目な彼女。

 今までなんでもかんでも我慢してきた。

 それこそ、いい子でいなくてはならないという強迫観念にとらわれて。

「でももうおしまい」

 あ───と彼女は言った。

 独り言が習慣づいてどれくらいになるだろう。

 普段はそれほど気にしなかったけれど、これから大好きな人に逢うと思ったら、とたんに気になりだした。

「本当にこんな私でも彼は愛してくれるのかしら」

 多少不安がないわけではない。

 というか、不安でいっぱいだというのが正直な気持ちだった。

 もちろん、メールで書いたように、彼の容姿も何も気にしてはないし、自分と逢ってくれるということだから、おそらく女ではないとは思うけれども。

「女……」

 そういえば、と彼女は思う。

 あのメールの女の言ったことは本当だろうか。

 本当に彼とメール交換していたのだろうか。

 だが、彼女は首を振った。

「何もかも彼に逢いさえすればわかることだわ」

 何もかも───本当に彼は私を愛してくれるのか、そして私も彼を愛することができるのか。

 彼女は小さなハンドバックを手に持つとリビングを後にした、一度も振り返ることもなく。



 うっすらとお化粧をし、淡いピンクの口紅をつけた彼女。

 長い間、美容院にも行かずに家にこもったままだった。

 昨日は久々にカットをしてもらい、その髪型は、白いワンピースにとてもよく合っている。

 ここ数ヶ月でずいぶんと痩せてしまったので、ストレートタイプのすっきりとしたデザインがよく似合っている。

 頬紅のせいか、それともこれからのことに興奮しているのか、彼女の頬は上気したようにバラ色だ。

 彼女は大通りに出るとタクシーを呼び、ここらあたりで一番の市街地の名を口にした。

「Y駅前へやってください」

 車は静かにスタートした。

 しばらく物思いにふけっていた彼女だが、あっというまに目的地に着いてしまう。

 彼女は駅前の広場に降り立った。

 ここに来るのも彼女にとっては久しぶりだった。

 広場の中央には、列車が天に向かって走り立とうとしている銅像がある。

「この間来たのは、新婚間もない頃の旅行でだったわね」

 思い出す。

 この広場に今と同じように夫と二人でタクシーで降り立ち、この銅像を一緒に見たものだった。

 楽しい楽しい二人旅だった。

 一泊二日という短いものだったけれど、あんなに楽しい旅はなかった。

「…………」

 銅像を見上げていると、思わず涙があふれそうになった。

 慌ててハンドバックからハンカチを取り出し、そっと目を押さえる。

 これからカヲルに逢うというのに、せっかくキレイにお化粧したというのに、崩れてしまったら台無しだ。

 彼女は辺りを見回した。

 朝とはいえ、それほど早い時間ではない。

 サラリーマンの姿もほとんどないし、学校に遅れたのか急いで構内から飛び出してくる制服の女の子や男の子がたまにいるくらいだ。

 彼はもうついたのかしら?

 それとも今ついた列車に乗っているのかしら?

 結局最後までどこに住んでいるのかは教えてもらえなかったけれど、そんなに遠いところではないということだった。

 昨日のあの女からのメールの後、彼からもメールが来て、この駅前で待ち合わせをしようということになった。

 私は白いワンピースを、彼は白いユリの花束を目印に持ってくると言っていた。

「あら…そういえば不思議ね」

 彼女はひとつ気づいたことがある。

 彼女に白いワンピースを着てくるようにと言ったのはカヲルだったということに。

 よく考えたら、白いワンピースを持っていなかったらどうするつもりだったのだろうと。

 そう彼女が首を傾げたとき。

「…………」

 人の気配に、彼女は後ろを振り向いた。

「!!」

 そこには背の高い男が立っていた。

 目を細め、優しそうな眼差しを向けている。

 手には白いユリの花束が。

「…………」

 彼女は声が出せなかった。

 目を見開いて見つめるだけで。

「しもらー」

 男が口を開いた。

 その声は低く耳に心地良い。

 バサリと音を立てて、彼女は持っていたハンドバックを落とした。

「誕生日おめでとう。君に愛を込めてこの白いユリを贈るよ」

「……どうし、て……」

 やっと、振り絞るように彼女は言った。

 彼は視線を落とし、

「怒っているかい? 僕がカヲルだったってこと」

「あなた…」

 彼女の目の前に立っていたのは、彼女の夫だった。

 白いユリの花束を持ち、少しはにかんだような、しょげたような表情で立っている。

「ごめん、黙ってて」

「ごめんじゃないわよっ」

 彼女は安心したと同時に無性に腹立たしくなってきて、

「あのメールの女は誰よっ」

 と、夫に──いや、カヲルに詰め寄った。

「メル友は君だけじゃなかった。何人もいたんだよ。その中にはもちろん女性もいたよ」

「好きだって、彼女にも言ったの?」

 一転しておそるおそるその言葉を口にする彼女。

 だが、それに正直に答える彼。

「言ったよ…でも違うんだ!」

 彼女が何か言おうとしたのを遮って、彼は続けた。

「友達としてだよ。友達に対する好きは愛とは違う。僕が愛しているのは君だけだ、信じてくれ」

「…………」

 彼女は黙ってしまった。

「最初はわからなかった。まさか、しもらーが君だったなんて。けど、だんだんと君の悩みとか聞いていくうちに、もしかしてって思うようになった。で、決定的だったのが、君が本名や住所をメールしてきたとき。心臓が止まるかと思ったよ。まさか、こんな偶然があるなんてね」

「偶然……」

 彼女は呟いた。

「そう、奇跡といっても過言じゃないくらいの偶然さ」

 彼は少しづつ彼女に近づきながら喋り続けた。

「あんなに広大なネットの世界で、お互いがお互いを知らないまま知り合って、そして惹かれ合って、愛し合って……まるで物語のようじゃないか」

「カヲルったら……」

 あ──と驚く。

 自然にカヲルという名前が出た。

 まるで普通にチャットで話しているみたいに。

「しもらー」

 彼は優しく低い声でそう言った。

 ああ、この声。

 確かに夫の声だけど、夢で聞いたカヲルの声もこれだった。

 そして、夢の中のカヲルの顔も、この顔だった。

「それでも君はまだこれを破らない?」

「あっ!」

 彼は、手にした紙切れをひらひらさせていた。

 それは離婚届の用紙だった。

 彼女がサインと判子をした離婚届。

「どうして、あなたが……?」

 驚く彼女に彼は、悪戯っぽい微笑を浮かべて、

「荷物をね、いったん家に持って帰ったんだ。そしたら、やっぱりこれが置いてあったから、だから持ってきた」

 彼の言葉を聞いていくうちに、再び彼女の目に涙があふれてきた。

「あなた……あなた、あなた……」

 そして次の瞬間、彼女は彼の胸に飛び込んでいた。

 泣き顔もそのままで。

 彼はしっかりと彼女を抱きしめた。

「愛してるわ、カヲル──あなた」

「僕もだよ。すまなかった、淋しい想いをさせて」

 彼は自分の手に持たれたユリの花束を見つめつつさらに言った。

「白いユリは君の誕生月の花だ。君にはいつまでもこの花のように純潔でいてほしい。僕だけを見つめ、僕だけを愛してくれ」

 彼はさらに彼女を強く抱きしめ、彼女もそれに応えた。

 そんな二人を、傍を通りすぎる人々は時には好奇心からちょっと足をとめて見つめ、ときにはチラチラと横目で眺めつつ足早に通り過ぎていく。

 すると、何を思ったのか、彼は抱きしめる彼女の耳元に囁いた。

「今度また、カヲルとしもらでCHAT_SEXしよう」

 それを聞いて、がばっと身体を引き剥がそうとする彼女。

 だが、彼は彼女を放そうとしなかった。

「…………」

 そこには、深い微笑を浮かべて自分を見つめる愛する人の顔が。

 それに応え、彼女もニッコリ微笑んで、

「もっとテクニック磨いてね」

 そう言って再び彼の胸に顔を埋めた。


 彼女の生まれた夏。

 これからどんどん暑くなっていくだろう。

 梅雨も明け、空は夏特有の青さを見せていた。

 そんな真っ青な空は、いつまでも二人を、そして白いユリの花束を見下ろしていた。

 夏はこれからである。

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