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第226話

 夕暮れに寮を出た僕と慶史は、バスと電車を乗り継いでおよそ四時間かけて虎君の住むマンションに辿り着いた。

 その道中で僕達が交わした言葉はほとんど無く、ずっと重たい沈黙。

 どんなに居心地が悪くても言葉を交わさなかったのは、僕の決意が鈍ってしまわないようにという慶史の配慮だろう。

 慶史は携帯を片手に僕を振り返ると、「このマンションの902号室だよね?」と確認してきた。

 僕は頷きを返しながら、きっと茂斗に虎君の住所を聞いたんだろうなと推測する。そして、慶史達はずっと僕をここに連れてきたかったんだろうなと漠然と思った。

 僕の手を引いてマンションの入り口でインターフォンを押す慶史。オートロックってこういう時面倒だよね。なんて軽口を零す慶史に、僕はそうだねと力なく同意した。

『誰だ?』

 インターフォンから聞こえたのは、虎君とは違う男の人の声。

 慶史はそれに「ヤバっ、間違えた!?」っと焦って携帯とディスプレイに表示されている呼び出し先の部屋番号を見比べる。

 僕は慶史の手を引いて、間違えてないよと首を振った。

「海音君、だよね?」

 慶史に変わってインターフォンのカメラの前に立って話しかければ、『葵っ!!』って感極まったような声が返ってきた。

『今開ける!!』

 そう言った海音君の言葉通り、エントランスのドアが開く。

 僕は慶史と一緒にドアをくぐると、そのままエレベーターホールへと向かった。

「さっきのって、マジで海音君? 声、全然違ったけど」

 俺の知ってる海音君の声じゃなかった。

 そう疑う慶史だけど、まぁ無理もない。慶史が知ってる海音君の声は小学校の頃で止まっているだろうから。

「海音君だよ。しょっちゅう聞いてる幼馴染の声を間違えたりしないから安心してよ」

 怪しい男なんじゃ……。なんて疑ってる慶史。僕は大丈夫だと苦笑い。

 確かに海音君とはそんなに頻繁に会っているわけじゃないけど、凪ちゃんのお兄さんだし会う機会が無いわけじゃない。大切な幼馴染の一人だから、その声を間違えたりしない。

 そう言った僕に慶史は納得したのか、ちょうど一階で止まっていたエレベーターに乗り込んで九階のボタンを押した。

「海音君が居るってことは、虎君のこと、本当だったんだね……」

「そうだよ。先輩、本気でヤバい状態なんだよ。先輩のご両親がマンションの管理人に言って鍵開けてもらうのがもう少し遅かったら、脱水と栄養失調で入院しててもおかしくない状態だったんだよ」

「そんな……」

 九階に到着してエレベーターを降りる慶史の言葉に、僕は返す言葉を失った。

 虎君のお父さんとお母さんはたまたま年明けに日本に戻ってきていたらしい。いつもは戻ってこないタイミングだったけど、今回は何故か世界ツアー前に一度我が子の顔を見ようと言うことになったらしい。

 でも、せっかく帰ってきた虎君のお父さんとお母さんは元気な虎君の姿を見ることができなかった。あまりにも精気を感じない息子に、次の週から始まる世界ツアーをキャンセルするとまで言ったらしい。

 でもそれを止めたのは、虎君の幼馴染であり親友の海音君。海音君が、虎君が正気に戻った時に死ぬほど後悔して死ぬほど申し訳なく思うことを見越して、自分が責任をもって面倒を見るからと二人を仕事に送り出したらしい。

「それからずっと海音君が先輩の面倒見てるのは知ってたけど、この時間にまだいるってことは泊まり込んでるのかもね」

 後一時間足らずで日付が変わる時刻。今日は月曜だから、明日も平日で大学の授業だってあるはず。それなのに海音君が虎君のマンションに居ると言うことは、そういう事なのだろう。

 慶史が淡々とした口調で僕が今まで耳を貸さなかった真実を語り、僕はその言葉に『嘘だ』と言いたかった。

 でも、否定の言葉は口からは出てこない。

 そんな僕を他所に、慶史は虎君の部屋を探していて……。

「あった、ここだ」

 携帯と部屋番号を照らし合わせて確認すると、慶史は僕を振り返って手招きをした。

 その手に導かれるまま、僕は虎君の部屋のドアの前に立った。

「押すよ?」

「う、うん……」

 インターフォンを押すと確認され、僕はそれに頷きを返す。

 慶史がインターフォンを押した後、ドアの奥から僅かにチャイムの音が聞こえた。

 ドキドキと心臓が早く鼓動していて、口から心臓が飛び出そうだった。

 そして僕の中では未だに逃げたい気持ちと真実を知りたい気持ちがせめぎ合っていて、今この瞬間、逃げたい気持ちが勝ってしまいそうだった。

 でも、僕が逃げる前に、それを許さないと言わんばかりにドアが開いた。

 奥から出てきたのは、虎君じゃなくて海音君だった。

「葵っ! 葵……、よかった……。やっと、来てくれた……」

 僕の姿を確認するや否や、海音君の目尻に浮かぶ涙。

 もう半分諦めかけていたと言った海音君に、僕は震える声で「虎君は……?」と尋ねた。

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