第197話
ジッと僕を見据える慶史の眼差しは真剣そのもので、冗談とかからかいとかそういう感情は一切なく、慶史の中の『真実』を僕に伝えていることはよく分かった。
でも、僕は慶史の口から出た言葉に怒りが抑えられなくなる。
「『何』を言ってるの!?」
反射的に慶史の手を振り払い、声を荒げる僕。
慶史は「だから!」ともどかしいと言いたげに頭を掻きむしると、さっきと同じ言葉を一言一句変えず繰り返し口にした。
「あの人が好きなのは葵なんだよ! 分かる? 家族じゃなくて、恋愛対象としての『好き』」
『ライク』じゃなくて『ラブ』ってこと。
重ねられる言葉を僕はありえないと思う。思うのに、細胞が喜びを覚えているように心が躍った。
それがとても苦しくて悲しくて……。
「なんでっ!? なんでそんなこと言うのっ!?」
僕は耳を塞いでこれ以上無駄な期待を抱かせないで欲しいと悲鳴にも似た叫び声をあげていた。
「! 葵?」
「無責任すぎるっ。僕にまた勘違いさせて、ぬか喜びさせて、それでまた虎君に振られたら、慶史はどうするの?」
言いながらも、これはただの八つ当たりだと思う僕。でも情緒が不安定すぎて、喚き散らした後に訂正する理性は残ってはいなかった。
それどころか僕はなおも慶史に八つ当たりしてしまう。そもそも慶史達が変なこと言わなければ真実を知って傷つくこともなかったんだ。と……。
「虎君が僕を、男の僕を好きになるわけないってちゃんと分かってたのにっ」
「葵……」
「みんなが無責任なこと言って僕に期待させたからっ、だから、だから―――」
「分かったよ。……ごめん、葵」
勢いに任せて出た言葉はもう取り消せない。
それを本当の意味で理解したのは、慶史の笑い顔を見た時だった。
(! や、やっちゃった……)
もう言わないから。そう目尻を下げた慶史の笑顔は悲し気な色で染まっていた。
きっと慶史には僕の今の暴言はただの八つ当たりだと分かっている。でも、分かっていても感情もそうだとは限らない。
言葉の刃の威力がどれほどのものか、それは僕だって知っている。
親しい間柄になればなるほど、刃は鋭くなって深く刺さってしまう。
僕はそれを知っているはずなのに、自分の辛さに浸って親友の心に何度も刃を突き立ててしまった……。
「け、慶史っ……」
「ん……。大丈夫。……でも流石にちょっとへこんだから、ごめん」
頭に上っていた血が一気に下がる音を聞いた気がした。
慶史は僕を残し、談話室から出て行ってしまった……。
「―――っ、僕の馬鹿っ!」
誰でもいいから思い切り殴って欲しい。『お前は悲しみに浸って悲劇のヒロインを演じている愚か者だ』と罵って欲しい。
でもそんな人、誰もいない。
今此処には、僕の為に怒ってくれる人はいない……。
(慶史がその役をしてくれていたのにっ……)
僕の為に怒ってくれる大切な親友なのに、何故僕は言葉を止められなかったのか。
慶史が不用意な言葉で僕を傷つけるわけがないと分かっていたのに、どうして……。
悲しみは心を曇らせ、正常な思考を妨げてしまうということだろうか?
いや、理由なんてどうでもいい。
僕は慶史を傷つけた。
それだけが唯一分かっている真実だ。
「でも、でもっ、どうしても聞きたくなかったんだ……」
テーブルに突っ伏した僕は、慶史にとっての真実はもう二度と聞きたくない言葉だったからだと保身に走る自分に気が付き、慌ててテーブルに額を数回打ち付けた。
鈍い音が静寂に響き、額から脳に伝わるのは痛みだ。
僕は最後にテーブルに頭を打ち付けた後、そのまま額をテーブルに擦り付けて声を押し殺して泣いた……。
虎君が姉さんを好きになるのは当然のことで、僕のことは弟として大切にしてくれている。
それだけで満足したいのに、どうして心はこんなにも思い通りにならないんだろう?
分かり切っている真実に勝手に傷ついて、そして僕を心配し励ましてくれた友人達を心の底で悪者にして、自分だけが可哀想だと憐れんでいた。
そんな自己中心的な嫌な奴を、いったい誰が好きになってくれるのだろう?




