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第173話

「どうして……? なんで報われないの……?」

 聞きたいことはたくさんあったけど、喉に言葉がつっかえて出てきてはくれない。

 やっとの思いで絞り出した問いかけの言葉は、一番知りたい疑問とは全く関係ないものだった。

 きっと『知りたくない』という防衛本能が無意識に働いたんだろうな。

 そんな風に他人事のように自分の心理を分析する冷静な自分を頭の片隅に感じていれば、虎君は苦笑を濃くする。

 その笑い顔に呼吸が一瞬止まった。僕の問いかけは『疑問』とは程遠いのに、『疑問』の答えに近づく手伝いをしてしまう。そんな気がした。

「どうしてだろうな……。相手も桔梗のことを本当に大切にしているはずなんだけどな……」

 目を伏せる虎君はどうやら姉さんの好きな人が誰か、そしてその人がどんな人か知っているみたいだ。

 切なげな声で二人が一緒になることを願う言葉を零す虎君に、僕は考えないようにしていた『疑惑』をはっきりと頭に描いてしまった。

(姉さんがその人と幸せになってくれないと、姉さんを諦めきれないから……?)

 明確な単語は思うことも苦しくなるから避けた。

 でも僕はもう気付いてしまった。虎君は姉さんの事が好きだったんだ。と。……いや、好きなんだ。と……。

(さっき僕に言ってくれた『好き』は、家族としてだったんだ……。僕が姉さんの『弟』だから、だから僕の事を―――)

 大好きだと言ってくれた時、虎君は何故か苦しげだった。どうしてそんな顔をするのだろうと疑問を抱きながらも、虎君も同じ想いでいてくれたと浮かれた僕はその疑問を大して気にも留めなかった。

 でも今その疑問の答えが見つかった。見つけてしまった。

 虎君が本当に『大好き』だと言いたかった相手は、僕じゃない。

 虎君は僕じゃなくて、姉さんを想っていたんだ……。

「葵、そんな泣きそうな顔しないで……?」

 目を開いていたはずなのに、僕の頭には何も映っていなかった。

 意識してようやく悲しげに笑う虎君の顔が認識できる。でも、見たくなかった……。

(ああ、そっか……。虎君はずっと姉さんのことが好きだったんだ。でも姉さんには別に好きな人がいて、諦めることしかできなかったんだ……)

 でも、諦めようと思って諦めることができる想いならそれは本物の愛じゃない。本当に心から人を愛してしまったら、どんなに抗おうとも愛することを止めることなんてできないのだから……。

(虎君は本当に姉さんのことが……)

 何年も別の人を想い続ける姉さんを、虎君はずっと想い続けている。想いが本物だから諦めることができずに、ずっと……。

 その時、僕は思った。虎君と姉さんが仲違いした原因はこれかもしれない。と。

(そっか……。そうだったんだ……)

 すべてに合点がいった。おかげで仲違いした原因を教えてもらえなかった訳も分かって頭はスッキリした。

 クリアになった思考にある種の清々しさを覚える。でも頭とは反対に心はぐちゃぐちゃだった。悲しみや怒りはもちろんあったが、それ以上に自分の思い上がりに激しい羞恥を覚えた。

 たった数時間だが、僕は虎君も僕を好きだと、愛してくれていると真剣に信じていた。想いが届いたと浮かれていた。

 冷静に考えれば虎君の『愛』は『家族』としてのものであって『特別』という意味ではないと理解できたはずなのに、あの時の僕にはそこまで考えが及ばなかった。

 自分が愛している人の弟から告白された虎君は、きっと戸惑ったに違いない。困ったに違いない。もしかしたら、姉さんからその言葉を聞きたかったと落胆したかもしれない。

 でも、それでも僕を傷つけないように言葉を選んで何とか返事をしたら、『弟』は自分の真意を汲み取ることなく浮かれて見せた。その姿はさぞ滑稽だっただろうに。

 僕は、きっと虎君は僕を憐れに思って訂正しなかったんだと理解した。きっとあの時、虎君から『違う』と否定されたら僕は大泣きしていたに違いない。いや、絶対大泣きじゃ済まなかった。絶望のあまりホテルを飛び出していたかもしれない。

 虎君はそんな僕を想像し、同情して僕に付き合ってくれたんだ。

(はは……。虎君ってば優しすぎるんだから……)

 そんなんだから僕が勘違いしちゃうんだよ?

 なんて心の中で自嘲するしかない僕は、すぐに『僕』に価値は無いんだったと思い出した。

 虎君は僕だから優しくしてくれるわけじゃない。姉さんの『弟』だから、大切な人の『家族』だから、大事にしてくれていただけ。僕個人にはなんの感情も持っていない……。

 そんな結論に至ってしまった僕は、絶望に目の前が真っ暗になった。

(誰も『僕』のことなんて見ていない。虎君も、慶史達も、みんな、みんな……)

 そんなことあるわけが無いのに、深い絶望に飲み込まれた僕には考えを思い直すことができなかった。

「葵……?」

 ふと視界が陰る。何かと再び見ることに注力すれば、虎君が僕の目の前で手を振っていた。

「大丈夫か……?」

 心配そうに眉を下げて顔を覗き込んでくる虎君。

 大好きなその眼差しに、僕は泣いてしまいたかった。

「大丈夫、だよ……。ちょっとびっくりしちゃって……」

 嘘をつくなんて酷い!

 そう泣いて詰って虎君を責めることができたらよかったのに、僕は泣くことはおろか、悲痛な心を吐露する気力さえも湧いてこず、ただ真っ暗闇の中で笑うことしかできなかった……。

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