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第113話

「瑛大の見送り、もう済んだの?」

「うん。さっき虎君から『もうすぐ着く』って連絡あったし」

 いつもの癖でリビングに顔を出したら、夕飯の準備をしてる母さんに呼び止められてしまった。

 あんまり喋りたい気分じゃなかった僕は空笑いを浮かべて質問に対する答えだけを返して部屋に戻ろうとする。

 けど、流石母さんと言うべきか、僕の様子が変だってすぐにわかったのか、「ちょっと待って」って料理の手を止めて僕に制止を求めてきた。

「何?」

「どうかしたの? 元気ないみたいだけど、瑛大と喧嘩でもしちゃった?」

 わざわざキッチンから出てくる母さんは、いつもの僕らしくないって心配そうな顔。

 『いつもの僕らしくない』って何が? って思いながらも、僕は心を見透かされたくないから「そんなことないよ」って笑い返した。

 でも、母さんの視線から逃げるように顔を背けてしまったのは無意識とはいえ失敗だった。こんなの『何かありました』って自分から白状してるようなものだから。

「こら。お母さんに嘘吐かないの」

「つ、いてないよ」

 案の定、僕の嘘を見破った母さんはため息混じりに「母親に嘘を吐ける子には育てた覚えないんだけど?」って苦笑い。

 同じ視線だから俯いても僕の表情は母さんには丸見えだし、嘘を吐いてることもバレてるし、どうやってやり過ごそうか考えても良い案は浮かんでこない。

 けど、母さんはやっぱり僕の母親であり、僕を守ってくれる大人だった。僕が言い澱んだ理由をなんとなく察してくれたから。

「仲直りし辛いことなら、援護射撃、もらうのよ?」

 ポンって頭に乗った手は、僕がいつももらうそれよりもずっと小さい。それなのにとても大きいと感じたのは、なんでだろう……。

 僕は母さんの優しい声に、「考えとく……」って頷いた。本当は『そうする』って言いたかったけど、僕の知らない僕の一面に幻滅されたくないから、どうしてもその言葉を言えなかった。

「お願いし辛いなら、お母さんからお願いしてみようか?」

「! いい! それはやめてっ!! 虎君には知られたくないっ!!」

 母さんからすれば善意の提案だったんだろうけど、絶対に秘密にしておきたい僕には最悪の提案だ。

 気が動転しすぎて、思わず手を振り払うと「余計なことしないで!」って怒鳴っちゃった……。

「! ご、ごめんなさい……」

「虎には秘密にしておきたいこと、なのね……」

 すぐに我に返って謝るものの、母さんは悲しそう。

 物凄く悪いことをしてる気がして、罪悪感に胸が痛くなった。

「……なら、茂斗にお願いしたら?」

「! うん……、そうする……」

 酷い態度をとったのは僕なのに、母さんはどこまでも優しい。

 虎君に言えないなら茂斗に相談するよう進められて、僕は思いがけない名前が出てきて「考えもしなかった」って苦笑を漏らした。

「葵は本当に虎が好きね」

「そ、かな……? 『お兄ちゃん』が好きって、普通のことでしょ?」

「その『お兄ちゃん』には一応茂斗も当てはまるのよ? それに頼りになる『お姉ちゃん』も葵にはちゃんといるでしょ?」

 からかわれてるのか、それともまだまだ子供なんだからって呆れられているのか、わからない。

 けど、僕にはこれが普通のことだよって母さんに伝えたら、母さんは分かってるって言いながらも本当の兄弟の存在も忘れないでって困ったように笑った。

(忘れてないけど、でも、なんか違うんだよなぁ……)

 だって何かあった時に一番に話したいって思うのは茂斗や姉さんじゃなくて、虎君なんだもん。

 もちろん茂斗と姉さんが頼りないって訳じゃない。でも、虎君に話したら、相談したら、全部全部上手くいく気がするし、実際上手くいってきた。

 だから、本当は今回のことも虎君に相談したい。

 でも……。

(瑛大が知ってる僕の一面を知って、虎君が変わっちゃったら怖い……)

 いつも僕を優先してくれる虎君。いつも僕の味方でいてくれる虎君。

 それはずっと変わらないって思ってた。信じてた。

 でも、僕には僕の知らない一面があるって知ってしまった。そしてそれは瑛大しか知らない一面で、虎君すら知りえない僕の残酷な一面だから、それを知っても『虎君は変わらない』って強く信じることはできない……。

 幸いなことに瑛大は告げ口をするような性格じゃないから、寮までの帰り道に瑛大が虎君にすべてを話してしまう心配はない。

 けどそれに安心する自分に気づいた時、瑛大の言葉は正しかったんだって痛感してしまって悲しかった……。

(虎君……。僕、優しい人になりたいよ……)

 虎君が『自慢の弟』だって言ってくれる『葵』になりたい。ううん、なれるように努力するから、だからどうか僕を嫌いにならないで……。

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