夢を喰らう怪物〈上)
怪物、お前は確かに怪物だった。
ゴミ捨て場のようだった。雑多な物が法則性もばらばらに捨て置かれている。凹んだ金属バットに穴の開いたサッカーボール。敗れた服とぐしゃぐしゃに丸められた原稿用紙。
そこに怪物はいた。異形。かろうじて人型をとどめているが、ここにあるものを運び込む業者はお前のことをただ怪物とだけ呼ぶ。名実ともに怪物。それがお前だ。
日がな一日そこにいて、お前は寝もしなければ何かを口にすることもなく、それどころか横になったりもしない。お前がすることはといえば、ごみを壊すことだけ。ごみの山から凹んだ金属バットを取り出すと「野球選手」と一言しわがれた声でつぶやき、折る。そして折ったバットを無造作に放り捨ててしまう。
それからしばらくじっとしていたが、怪物は突然スイッチが入ったかのように動き出す。ゴミの山から服を取り出して「デザイナー」とまたしわがれた声らしきものを発し、破り捨てる。
サッカーボール。「サッカー選手」呟く。止まる。動く。原稿用紙。「小説家」呟く。止まる。動く。変身ベルト。「仮面ライダー」呟く。止まる。
お前はまた一つごみを拾うと、小さくしわがれた声を発し、それを壊して投げ捨ててしまう。そうしてまたしばらく動きを止める。怪物、お前はそれを繰り返す。朝も昼もなく、日がな一日、ずっとごみを壊し続ける。
業者がごみを捨てに来る。大体一日に一度、来る。「あれ。減ってないじゃないか」いつも業者は言う。お前はそれを挨拶だと思っている。
挨拶を返す。「減らした、ぞ」しわがれた声だ。怪物は動きを止めているが、そのとき何かを考えているし、話しかけられれば返答もする。
業者は「ほう。いくつ減らしたんだ?」と聞く。お前は答える。「四つ、だ」と。「丸一日で四つしか減らしてないのか? 一体一日に何個廃棄されると思っているんだ。持ってくる量より減る量のほうが少ないんじゃあ、いずれ溢れてしまう」
そう言われると、お前は、いつも考えていることを話す。「でも、取りに、来る人、が、いるかも、しれない」吃音が混じったしわがれ声。お前には話し相手がいない。考える時間はたくさんあるが、話す相手がいない。話し慣れるということがない。
大体毎回、怪物はそう言う。それに対し業者は、いつもこう返す。「いないだろ。お前は難しいこと考えず、ここのごみを全部片付けるんだ。それがお前の仕事だろ?」
いつもならここで会話は終わっている。だが、今日の怪物は違った。ほんの少し、いつもより長く考える時間をとったからだ。「今すぐ、じゃ、なくても、何年も、何十年も経って、捨てたものの、大切さに、気付く、かもしれない」だからそう言った。
業者はそれに驚きつつも、こう返す。「それで、一回捨てたものをまた取りに来るかもって?」
お前はうなずいた。ぎこちない動きで。
「そんな見た目のくせに、お前って本当に心優しいよなあ。楽しい奴だぜ、本当に」
「オレ、は、この仕事、あんまり、楽しくない」
業者は辺りのごみの山を見渡すと、言った。「ああー、まあ、それはそうかもしれんな」続けて言う。
「なんたってここは、捨てられた夢の処理場。諦められた夢を廃棄する埋め立て場だもんな。俺みたいな業者が捨てられた夢をせっせと運んで」「オレ、が、壊す。夢を、なかったことにする」怪物は業者の言葉を継いでそう言った。
「お前はあきらめた夢を壊すのが悪いことだと思っているかもしれんがな、ほかならぬお前が古い夢を壊してくれることで、その夢を捨てた人間は、新しく、別の夢を持つことができるんだぜ」
「そっ、か。そう、なのか。オレが夢を壊したら、その夢を持ってた人が、新しく夢を持てる、のか」お前は仏頂面でそう言う。
「そうそう。俺はまあ、立派な仕事だと思うよ。確かに他人の夢を壊すなんて仕事は胸糞悪いもんかもしれねえが、そのおかげで、新しい夢を見れるようになるんだから。一度捨てた夢にしがみついてみても、何にもいいことなんてありゃしねえもんだ」
言うだけ言うと、業者は車に乗り込んで帰って行った。お前はまた考えるだけの時間に入る。そうしてしばらく動かないでいたが、突然ごみの山を漁ると、ペンを取り出した。「漫画家」ペンを折る。また動きを止める。しばしの思索。また動き出したお前が拾い上げたのは警官帽だ。「警察官」あまり見ないごみだった。破く。止まる。思索。拾う。今度は泡だて器だ。しばらくそれを眺めていたお前は、やがて「パティシエ」と呟いて泡だて器を引きちぎってしまった。
そのとき、十歳かそこいらの男の子がお前のところにやってきて、声をかけた。動きを止めていたお前は、少年には銅像か何かの類に見えているかもしれない、というようなことを考えていた。お前は薄汚れている。
「あのう、すみません」しかし少年は、怪物がごみとは違うということが分かっていた。
お前は少し驚き、こう言う。「なん、だ。誰だ、お前は」相変わらずのしわがれ声で。そこで怪物は気づいた。「もしかし、て、諦めた夢、を、また見に来たの、か?」初めてのことだった。怪物、お前が感じたそれは嬉しさというものだ。
案の定そうだった。少年は言う。お前が望んでいた言葉を。「えーっと、あの、諦めた夢が、ここに集められてるって聞いたんですけど……」
「そう、だ。人間が諦め捨てた夢、は、すべて業者が集めて、ここに持ってくる。オレは、それを、壊してなかったことに、する」
「壊す? 夢を壊すとどうなっちゃうんですか?」少年は素っ頓狂な声で聞いた。
「その夢、の、もともとの持ち主は、諦めた夢を捨てて、新しい夢、を、見ることができるように、なる。らしい」この返答は業者の受け売りだということも、お前は重々承知している。
少年は問う。「それじゃあ、僕の夢も、ここにあるんですか?」
怪物は答える。「お前に、捨てた夢があるのなら。この中に、あるはずだ」なぜなら、諦め捨てられた夢は、ここに集められるから。
「そうですか。じゃあ、探してもいいですか?」少年は平淡な声で聞く。
「構わ、ない。オレは、一旦諦めた夢だって、見ても良い、と、思っている、から」なにより、一つ夢を壊すたびにじっと考えているだけの時間、その時間に話し相手が増えるのは良い。
少年は嬉しそうだ。「やっぱり、そうですよね。一度諦めた夢だって、もう一度見てもよいんですよね」
怪物は頷く。「お前の捨てた、諦めた夢、は、なんだ? 一緒に、探してやる」そして言った。気まぐれだった。
「本当ですか? 正直、見渡す限りいっぱいの夢……いえ、夢だったものの山の中から、一度捨てた僕の夢を見つけるのは難しいと思ってたところなんです」
お前は繰り返す。「お前、の、捨てた夢、は、なんだ?」
「僕の捨てた夢、ですか。そうですよね。実は、それがわからないんです」
「わからな、い? どうして? お前自身の夢、だろう」お前は不思議そうだ。だが、考えたところでお前には絶対にわからないだろう。そういうものだ。
「わかんないんです。確かに何かを夢見ていたはずなんですけど、それが何だったのかを思い出せない。僕は何を夢見ていたんでしょう。僕の将来の夢は、何だったんでしょうか?」
「オレに、聞かれても、困る」お前の返答は至極当たり前だ。
その日も業者はやってきた。「おーう、やってるねえ。……何か探しているのか?」
「夢を、取りに来たやつ、が、いたから」お前の声が弾んでいることに気づくには、声のしわがれが邪魔をしていた。
「マジ? 本当に取りに来る奴とかいたんだなあ。まあ手伝ってやるのもいいが、お前自身の仕事もおろそかにしないようにするんだぞ」
お前が頷くと、業者は帰っていった。そのままいつも通り思索の時間に戻る代わりに、いつの間にか近くに来ていた少年に声をかける。「思い、出せそうか?」
「ちょっと思い出せそうにないです。でも、これだけいっぱい夢が、夢だったものがあるんですから、必ず僕の夢だったものがあるはずです。たぶん、見たらこれだ! ってわかると思うので、やっぱり怪物さんは、自分の仕事のほうを優先してください。お仕事の邪魔をするのも申し訳ないですし」
お前は素直だった。ごみの山を漁り、新聞紙を取り出す。「新聞記者」そうしていつも通りに新聞紙を破こうとしたとき、「あー! 待ってください、それかもしれません! 僕の捨てた夢! なんとなく、そんな気がします。ちょっと貸してくれませんか?」
手渡すと、少年は新聞を矯めつ眇めつしてから「んー、んー? いや、やっぱこれ、ちょっと違うかも……。これは僕の夢ではないかもしれません。勘違いでした」お前は返された新聞紙を、いつもやるとおりに破り捨てる。いつものルーティンをこなしてから、今度は一葉の写真を取り出す。「カメラマン」
「あっ、怪物さん、それです! たぶんそれですよ、僕の探していたのって! なんとなくそんな気がします!」怪物は少年に写真を寄越す。「そう、か。確かめて、みろ」
少年はしばらく写真を眺めていたが、「ごめんなさい、気のせいでした……。確かに見覚えがある写真だと思ったんですけどねぇ。よぅく見てみると、写真に写っているのも知らない親子ですし、これは僕の夢、だったものじゃありません」怪物は写真を破いた。
今度はチョークを取り出す。「小学校の先生」と呟いてからお前は動きを止めた。「もしかし、て、これ、も?」お前は賢い。学習する。「チョークですか……はい、確かに見覚えがあるような気がします。でも、小学校の先生も、僕が描いていた将来の夢とは違うようです」怪物はチョークを踏み付けにする。
「少年、お前の夢、は、どういうものだったんだ? まったく何一つ、覚えていることがない、のか?」
「はい……。それが、ここにある夢だったものすべてが、僕の夢のような気がして手に取るんですけど、どれ一つとっても、僕の夢ではないんです。僕の夢は、いったい何だったんでしょうか」
「オレ、に、は、わから、ない」お前は首をひねる。考えることを拒否するのは、お前にしては珍しい。
「そう、ですよね。そりゃそうですよ。逆に怪物さんは、何か夢とかってあったりしましたか?」
「オレの、夢……?」
その日も業者はやってきた。「おーう、相変わらず夢が減らねえな、怪物さんよ。もうちょい働いてくれないと、マジでここら一帯が夢の残骸で埋まっちまうぜ」
「今、適宜壊しているところ、だ」
「そういや昨日言ってた、自分の夢を取り戻しに来たやつってのの夢は見つかったのか?」
お前は言う。「簡単、には、捨てた夢は見つからない、らしい」
「そうか。よっぽど大事にしてた夢だったんだろうな。
「な、ぜ?」お前はわからないことを聞くということを知っている。問うた。
「だってほら、大事な夢ほど、捨てるのって難しいだろ。なんで難しいかっていうと、デカいからだ。そしたらバラバラに分解して、小さくしないと捨てられやしねえ。だろ?」
「大きいゴミ、ほど小さく分解、する、から、見つけ、にくい?」
「そういうこと。まあがんばれよ、適度に仕事もしつつ、な。俺も、捨てた夢をもう一度拾いたいってんなら応援はするぜ」
誰かが叫ぶ。「プロ野球選手だあ? 無理だって無理無理、お前、現実を見なさいよ。お前は別に体格が恵まれてるわけでもなければ、足が速いとか、何か秀でたところがあるわけじゃあないんだからさ。野球推薦で高校選ぶとかじゃなくて、ちゃんと勉強して学校行かないと。大学も行っといたほうが良いぞ、堅実な職に就くんだ」
「そう、いえば。お前、は、なんで、一度捨てた夢、を、取り戻しに、来たんだ?」
「なんでって。なんでなんでしょう」
「新しい夢を見よう、とか、思わなかった、のか?」
「うーん。新しい夢を見よう、とか、思ったわけじゃないんです。新しい夢が見れないんです。僕は将来、自分が何になるのか。何になりたいのかが、わからないんです。だから昔の自分の夢を見つけたら、また新しく、将来の夢が見れるんじゃないか、と思って」
「一度あきらめた夢、を、もう一度志す、わけでは、なく?」
「だって捨てた夢だって、その人の一部でしょ? たとえ将来サラリーマンや公務員になったからって、少年の時にプロ野球選手や漫画家を目指していたことは全くの無駄になるわけじゃあありませんし」
怪物、お前は賢明だ。「たとえばサッカー選手になろうと思って練習する時間、は、サッカー選手になれなかった場合、無意味な時間、じゃ、ないのか?」
「そんなの、わからないじゃないですか。サッカーで培ったフットワークが営業で活かされるかもしれませんし、ドリブルとかリフティングの器用さが、なにかほかのことに活きるかも。よく言うじゃありませんか、僕のこの集中力は、スポーツで鍛えたものです、って」
「確、かに。それじゃあ、もう見ないから、って、夢を次々捨てるのは、間違い、なのか?」お前は困惑している。オレの仕事は間違っているのかと困惑している。
「さあ。それは僕にもわかりませんよ。なんてったって僕はまだ少年、未来は無限に広がっているんです。でも、たとえばYouTuberになるために高校はそういう専門学校に行く、であるとか。政治家になりたいから交友関係は全部切って、司法や政治学の勉強に費やすであるとか、そういう見当違いな努力は……」
「間違い、か?」怪物は自分が不安になってきた。自分がしていたことが間違いだったといわれた気がしたのだ。
「いいえ。何かの役には立つかもしれませんよ。でも、本気でYouTuberになるなら、専門学校で学べるようなことより己の発想力のほうが大事ですし、本気で政治家になりたいのに、他人との交流を切り捨てているようではいけないと僕が思ったってだけで」
結局お前は考えることをやめた。「よく、わからん」
「あはは、僕もです。結局将来は何を夢見ていようと、何かにはなるんです。それが夢見ていたものか、夢見ていなかったものかは別として。夢破れて別のものになったとしても、夢のために費やした時間は「なにか」になったときにもしかしたら役立つかもしれませんし、あるいは役立たないかもしれない」
その日も業者は来た。「あれっ、お前、全然減ってねえじゃねえか。ちゃんと壊してくれないと、ここに夢を捨てた人たちが、新しく夢を見れなくて困るだろ?」ここ最近、お気に入りの挨拶のようだとお前は思っている。