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サキュパス症の外科治療

作者: nbt234

老人の低い歌声はモールを流れる商業的なジャズと奇妙に混じりあった。

フードコートのソファに寝そべった老人の魂は虚ろな目の向いた方に、漂っていた。

老人の肉体はその皮膚と同じように磨り減った古い作業着に覆われていた。

そしていま、するりと肉体から抜け出てしまった魂に、優しく語りかけるように老人は歌った。

何処からともなく、真っ白い制服に身を包んだモールの従業員が静かに老人のそばにきて、丁寧に老人に立ち去るように言った。話しかけられたことで老人の魂は肉体に戻り、そのまま従業員と目も合わさずに立ち去った。


ウェルスに住む人たちは美の力をうまく使う。もちろん使うのは美の力だけではない。目に見える力も目に見えない力も意識できる力も意識できない力も。

あらゆる点は面でウェルスの住民に俺たちは逆らうことができない。

下町のショッピングモールを思い出してみろ。

青白い蛍光灯に照らされた魚の切り身、疲れた中年女のレジ係りの汚れたエプロン、鋭い目つきで動き回る退職警官の警備員のいかめしい制服。


カレンは白地に砕けた波のプリントがしてあるニットのブラウスに同じ素材のタイトなミニを履いていた。

ウェルスの住民は真っ白い服を着ない。それは従業員の制服だからだ。こういうことは、規則があるわけじゃない。あくまで、自然に便宜上そうなっているだけのことだ。

実際に下町とウェルスには、なんの境も塀も堀もない。あっても見えない。

だが二つの街はしっかりと別れている。

貧富の差、能力の差、知識の差、そういうものがあまりにもかけ離れていると、交流というものは無意味になるのだろう。

それにも関わらず、下町の人間はウェルスに憧れる。子供達はウェルスのお姫様やスーパースターの真似をして遊ぶ。だが、多くの下町の人間にとって自分がウェルスの住民だったらという表現は、陳腐な例えのはなしにすぎない。

あるいは、おれにとってもそうだっただろう。カレンに会うまでは。


カレンは店員の呼び出しボタンを押し、洗練された態度で自分の注文をした。

こうして、目の前に比較するとよくわかる。カレンと従業員。ウェルスの住民と下町の人間。カレンとカレンを包み込むすべてが、若くて器量がいいだけの、従業員を圧倒していた。

それはカレンの堂々とした仕草に、あらわれるものだが、仕草だけではないと思わせるような力があった。


「下町のぼくちゃんにあえてうれしいわ。

カレンの声はおれの前頭葉を刺激した。

「マスターベーションを始めそうな顔ね。わたしと友達でいたいなら、チンパンジーみたいなことしないでね。

カレンは上品に顔を歪ませながら言った。

どうやったらあんな表情をつくれるのだろう。おれはカレンの精巧な顔の筋肉の動かし方にいつも見とれてしまう。おれはいまどんな顔をしてるのだろう。

おれのカレンへの受け答えは、能面のような愛想笑いとその反動の空威張りだ。おれはこの女に強く惹きつけられているが、この女に値する男ではない。おれの脳は矛盾をうまく処理できずに、体や感情にちぐはぐな命令をだした。どうやらカレンはそんなおれを見て、楽しんでいるようだった。

それでもいい。このままカレンに気に入られたら、ウェルスに居場所をもらえるかもしれない。そんな期待があった。そして今日は、それにむけた小さな一歩を踏み出す日だ。


「あなたに病院の場所を教えるわね。そこであなたは精神の不調を訴えるの。頭のオカシイふりはできる?

緑の小人が見えるっていうのよ。とにかく次の診察も予約して、通院証明書をもらいなさい。

そうしたら、ウェルスにある公営施設のパスポートを申請できるのよ」

カレンはおれの体をみて言った。

「パスポートができたら、スパに行きましょうか?お友達にあなたを紹介したいわ。」

おれは嬉しさをごまかすためにぶっきらぼうな返答をした。

そんなおれをみてカレンは顔をそらし笑いをかみ殺そうとした。

おれは気恥ずかしくて、視線を落とす。カレンの細く力強い足首。黒いエレガントなハイヒールはカレンの肩と連動しておれを笑っていた。


病院の形は六角形をモチーフに作られていた。内装も窓の形も、どこかしら六角形になっていた。

ウェルスの住民のセンスは理解できないものが多くある。それもなにかの意味のあることなのだろう。

おれは六角形のボールペンで問診票に緑の小人のことを書いた。


医者は初老といってもいい年齢だろう。綺麗な白髪を後ろになでつけていた。

顔には年相応の皺が刻まれていたが、その皺からは医者の笑顔が連想できた。

医者は白衣の下に灰色の古いセーターを着ていた。しっかりとした作りなので、ねんきを感じさせるが、だらしなく見えなかった。だがおれはそのセーターになにか違和感を感じた。なにか医者の笑顔と対照的なものを。古い悪習のような、それを隠す呪われた鎧のような不気味さを。


医者はおれの問診票を手に取り、優しい笑顔できいた。

「緑のこびとが見えるのですか?

おれは、はいと答えた。

「それは怖かったでしょう。

医者は心のこもった調子で言った。

「どういう時にその小人が見えますか?

「寝る前です。

「その小人はなにをしていますか?

「ぼくのベットの上で踊っています。

「どんな様子で踊っていますか?

「ダンスを見られるのが、楽しそうです。だんだんと激しく踊りのテンポがなります。

「そしてあなたは、射精してしまうのですね。

医者は当然のように優しい笑顔で言った。

おれは、はいと答えた。

医者はカルテになにか書き込んでいた。

「大丈夫ですよ、きっと治ります。

医者はおれの目をまっすぐみて、柔らかい笑顔をつくっていった。

「簡単な健康診断の用意をさせてくださいね。

そういうと、医者はとなりの部屋に行き、お盆にお茶をのせて戻ってきた。

「どうぞ」

おれは、医者の笑顔に見守れながら、六角形のコップの中の液体を飲み干した。


おれは目を覚ました。天井の六角形の壁紙から、ここがまだ病院だとわかった。

首は動かせなかったが、目の端に医者がてきぱきと道具を並べているのが見えた。

医者の顔から、さきほどの笑顔は完全に消えていた。そのかわりに目がランランと輝いていたので、別人を見ているようだった。

「サキュパス症の治療ですよ。

医者はこちらを見ることなく言った。

「現代のサキュパスが求めているものはですね、、ザーメンとは比喩です。そして外科手術というのも比喩です。、、、なんのための儀式かということでしたら、結果をみればわかることです。真理には、結果には、それをいれる容器が必要なのです。その容器が、儀式であり、手術であり、あなたの流す血なのです。

医者は細長い針をもってこちらを見た。

その針はぺんほどで、先端は尖っているが、根元は小指ほどあった。

医者は手袋をして、素早くおれのズボンを脱がしペニスを取り出した。

そして、もう片方の手でペニスを裏返した。それから尿道をペンライトで照らし、ペニスの真ん中ほどの尿道の管のうえにペンで印をつけた。

「サキュパス症の治療に外科手術をするのは一般的ではありません。わたしは何度も有用性を説いているのですがね。しかし、医者というものは、伝道師であります。あなたの口から福音が伝えられるでしょう。アーメン。

医者はそういっておれのペニスをしっかりと固定し、ペンで印をつけたところにむかって、針を突き刺した。身体は麻痺して動かなかったはずだが、喉の筋肉が収縮して、ピューと音がなった。

医者はちらりとみて、ニコリと笑い、どういたしましてと言った。

針の先は尿道を沿って、おれのペニスから尖った先端が見えていた。医者は銀の太いイヤリングのようなものを取り出し、針を抜くと同時に穴にねじ込み、牛の花輪のようなイヤリングを固定した。

「無理やりとろうとすると、化膿しますよ。切り株みたいなペニスになりたくないですよね?2、3月すると自然に取れます。サキュパスは銀を嫌いますからね。これであなたのサキュパス症は完全に治るでしょう。

医者はランランと輝く目でおれを見ながら言った。おれはその目をみながら、だんだんと麻酔が切れるのを感じ、下腹部に痛みが襲ってきた。


おれは下町までトボトボ歩いて帰った。途中で若い男女のグループとすれ違い、その中の1人がおれのズボンの股間の血の染みをさして笑った。

おれはこの先ウェルスに行くこともないし、憧れることもないだろう。これ以上考えるには疲れすぎていた。家に帰ってぐっすり眠りたいし、叶うならカレンにもう一度会いたいと思った。

おれの魂はペニスの皮から流れる血と一緒にゆっくりと流れ落ち、おれの肉体はそれに気づかずに歩き続けた。


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