陰陽師2020
推古ダイゴは、白いアタッシュケースを腰まで持ち上げ、"立ち入り禁止"と電光表示された柵をまたいだ。
ケースの側面に埋め込まれた六芒星型LEDの金色の光が、雨に濡れたアスファルトをぼんやりと照らす。
後に続くのは、異様な影。極端に巨大な上半身に、それを支える太く短い脚。左胸と両肩に埋め込まれた、ケースと同じLED六芒星の光が、無骨でありながらもどこか和服を連想させる造形を浮かび上がらせた。
影が右足を持ち上げると、すべての重量をうけた左足が軋んで、悲鳴のような音を立てた。脹脛からアキレス腱のように伸びる三本のピストンが伸縮し、膝の関節から蒸気が排泄される。地面から離れた右足は柵を乗り越えようと前に出されるが、高さが足りずに柵を蹴倒し、その上に着地した。
柵はバキンと音を立ててまっぷたつに割れ、砕けた内部基盤の破片が濡れた地面を滑って、ダイゴの革靴に当たって止まった。
「またやらかしやがったな、リック!狩衣は現場に入ってから着ろって何度も言ってるだろう、次やったら首だ!覚悟しておけ!」
「ああ、今度から気をつけるよ」
リック・聖徳は背後を振り返り、壊れた柵を一瞥すると、頭部を覆う烏帽子のようなフルフェイスヘルメットの奥でフンと鼻を鳴らした。
「まったく……」
ダイゴは呆れた様子でその建物の前に立つ。白いフレームに強化ガラスがはめ込まれた巨大な四角い囲いの奥に、すっぽりと覆われた古びた民家が見えた。
彼は屈み込むとアタッシュケースを地面に置き、定位置に指を引っ掛けて横に開くく。その動きに連動して肘から先が白いガントレットに覆われた。これが彼の狩衣だ。
彼はアタッシュケースを閉じて、立ち上がり六芒星LEDの埋め込まれた白い扉の前に立つと、中央の小さな指紋認証パネルに親指を押しつけた。
パネル上部のランプが赤から緑に変わる。扉はギシッと音を立て、一センチだけ横に動くと静止した。氷の破片がパラパラとダイゴの腕に落ちてくる。
「おいおい、冗談だろ……」
ダイゴは少し後ずさりながら、頭上を確認する。
電灯のような装置が囲いに向かって、冷気を投げかけていた。
「誰だ、こんな結界の貼り方をしたバカは!冷却器は結界の中に入れなきゃダメだろうが!扉が凍りついて開かなくなっちまったぞ!」
「おれじゃねえぞ」
ダイゴがリックを睨む。
「おいおい、マジだぜ?」
「まあ、リックさんはやってないでしょう。結界を貼るなんて器用なことできませんよ、彼は」
ブカブカのつなぎを着て、野暮ったい黒縁メガネをかけた若い男がリックの横に立っていた。
「遅いぞ、新人。初陣だというのに…… いつの間に来たんだ」
「今です。電車が遅れまして」
「嘘つけ、おまえが実家の住所で申請して交通費騙し取ってるのは知ってんだからな」
「えーっと、それじゃあ……」
「言い訳はいい!さっさとお湯を持ってこい」
「あ、はいはい!了解しましたよ!」
その男、飛鳥ナツが壊れた柵を踏みつけて小走りに去っていくのを見送ると、ダイゴは扉を振り返った。
「おい、なにやってんだ」
リックが扉の前に立っていた。
「お湯なんかでチマチマ溶かさなくても、おれなら開けられる」
そういうと、巨大な腕を振りかぶる。
「おい、バカ!そんなことしたらどうなるかくらいわかるだろ!」
「どうなるんだ?」
リックがおどけて聞いた。
「扉が壊れるんだよ!」
「そうか」
ガシャーン!
答えると同時にリックのパンチが炸裂し、扉は弾け飛んで囲いに覆われた民家の玄関を破壊して倒れた。
「おいおいおい、正気か!?」
ダイゴは苛立たしげにボサボサ頭をかきむしる。
「あんた薬でもやってんのか!?高いんだぞ!!ただでさえ政府の役人がうるさいってのに、また金がかかる!おまえも一度視察に立ち会ってみればいい、二時間もグチグチ意味のない話を聞かされるんだ!ああ、頭が痛くなってきた」
「ダイゴさん、持ってきましたよ」
手にバケツを持ったナツが戻ってきた。
「もういらない。このバカがやってくれたからな。それはおまえにやるよ、新人」
「え、お湯なんてどうしろってんです?」
「頭からかぶればいいんじゃないか?でなきゃ自分で考えろ」
ダイゴは破壊された扉を通って冷気の立ち上る民家の中へ入っていった。
「そういや、おまえ、お湯なんてどこから持ってきたんだ?」
リックが尋ねる。
「海からくんできたんですよ。それで、車のヒーターで温めたんです」
「ご苦労なこった」
リックはバケツを持ったまま突っ立っているナツに肩をすくめて見せると、ダイゴの後に続いた。
「ひどい有様だな」
「半分はおまえのせいだ」
二人は木片が散らばったフローリングに踏み込む。壁を這うように配線されたコードが切れてバチバチと火花を散らしていた。右側にリビングへと続く開け放たれた扉。正面には二階へと続く階段があった。
「どっちだ。その、"問題の部屋"は」
「二階に行ってみるか?何もないと思うがね」
「そりゃ、どういうことだ」
「二階はすでに取り壊されてる。部屋は一つしかない」
「全部壊しちまえばいいのに」
「壊せないからおれたちが来てるんだろ」
西暦2020年。環境破壊と電子技術が急速に発展し、ありとあらゆるものが最新の技術を取り入れ効率化されていった。1000年以上前から続く陰陽師とて例外ではない。
推古ダイゴは、関東地方に存在する幾つかのチームのなかの一つ、甲信越地区を担当するチームのリーダーだ。
基本的に各地方には、五行、すなわち、木・火・土・金・水のエレメントに基づいた五つのチームが存在する。
彼のチームのエレメントは"金"。機械を用いた活動を中心とし、冷徹で強固な心によって、どんな状況にも動じずに、落ち着いた対応をするのが基本思想だ。
そして、その日彼らに与えられた任務はPA(超常現象)の調査依頼だった。
新潟県の海沿いにある小さな村でそれは起こった。
その村は漁業で栄えてきた村で、数十年前までは、新鮮な食材を求めて近隣の旅館や料亭から訪れた人々で賑わいを見せていた。
しかし、専用の遺伝子組み換え魚を簡単かつ大量に養殖できる特殊設備の普及とともに、ごく限られたブルジョアを除き高いオーガニックを買うものはいなくなった。一般需要を失った漁業が廃れるにつれて住人は新たな仕事を求め、都市部へ移動。いまや人口は1000人を切ろうとしていた。
無人のまま放置された民家も多く、県は、経年劣化による自然倒壊の恐れのある建物の解体に着手した。
工事は順調に進んだかに見えたが、とある民家で問題が起きた。
二階部分を解体するまではスムーズに行われた。しかし、いざ一階のリビングの解体に取り掛かると、建設機械に不具合が生じ、修理のために内部に入り込んだ作業員の一人が突如誤作動を起こした機械に巻き込まれ死亡したのだ。
工事は一時中断され、不調が起きた機械は調査に出されたが、結局原因は分からずじまいだった。
その後、二度目の工事が行われたが、今度はリビングに立ち入った数人の作業員が動く家具に襲われ、数人が負傷。早々に引き上げることとなった。
政府はこれをPAと認定し、陰陽師に調査を依頼したのだ。
「そんなことも知らないなんて、おまえ、依頼書を読んでいないな?」
「ああ、おれには必要ない。ぶっ壊すのがおれの仕事だからな」
ダイゴは破壊された玄関を振り返った。
「まあ、あんたがものを壊す天才だってのは確かだよ」
リックは呆れるダイゴをよそに開け放たれたリビングルームに踏み込んだ。
「あ、おい、気をつけろよ」
「ヘヘッ、わかってるって」
リックはダイゴを振り返ってヘラヘラと笑いながら、机の上に置かれたオルゴールを掴んでテレビに投げつけた。
「ああ、まったく……」
その時不思議なことが起こった。ガシャンと音を立てて割れたブラウン管テレビの破片が、まるで水平に落ちるようにしてリックに向かって飛んでいったのだ。
リックは狩衣の腕部アーマーで軽々と振り払う。
「PAだ!」
いつの間にかダイゴの後ろにいたナツが叫んだ。
「あれ、おまえなんでびしょ濡れなんだ!?」
声に振り返ったダイゴが、ナツを見て声を上げた。ナツは初めて遭遇するPAに衝撃を受け、呆然としている。
「まさか、本当にお湯を被ったのか!?おいおい、勘弁してくれよ」
「え、あ、はい!」
ナツはダイゴの声でハッとして我に返ると満足げな表情で答えた。
「カンロク長官に先輩の言うことには従えって言われましたから」
「はぁ、どいつもこいつも…… おい、リック、そこから動くなよ」
ダイゴは床にアタッシュケースを置き、開くと、中から2つの部品を取り出し組み立てた。三脚に固定されたカメラのような見た目のそれは小型のプロジェクターだ。横にある空間に押さえつけるような形で左手を置くと、腕を覆う狩衣から電力が供給され、暗い室内に壁や家具にそった蛍光緑のグリッドが投影される。
そのプロジェクターから照射される光は霊体に反射する特別な周波数に調整されたものだ。
リックの背後の何もない空間に人型のグリッドが浮かび上がる。
「リック、後ろだ!」
リックは振り向きざまに片腕を横に伸ばし、人型のグリッド、すなわち霊体に叩きつける。霊体は、体をくの字に曲げ吹き飛び戸棚に衝突する。ガシャンと音を立ててガラスが割れた。グリッドがなければ、ひとりでに戸棚が割れたように見えただろう。
これがPAの正体だ。
「ヘヘッ、見つけたぜ、幽霊野郎」
リックはガシャンガシャンと音を立てながら霊体に歩み寄り、その頭を掴むと高々と持ち上げて横凪に壁に叩きつけた。
床に倒れ込む霊体の上にしゃがみ込みマウントをとると殴りつける!右!左!右!左!トドメをさすべく両腕を振り上げる!
しかし、その一瞬の隙をついて霊体が動いた。指先をヒョイと動かすと、それに連れて戸棚から皿が一枚回転しながら飛び出し、プレジェクターのスタンドパーツにヒット!支えを失ったプロジェクターは横へ倒れるとバチッと火花を飛ばして機能を停止した。部屋に闇が戻る。
「まずい!」
ダイゴは叫びながら左手をアタッシュケースから引き剥がし、外へ向かって走り出した。
プロジェクターの光が消えた今、霊体の姿を見ることはできない。
部屋中の家具が渦を描くようにして飛び回り、リックへ襲いかかる。
「クソが!」
リックは強引に突き進む。椅子が肩に叩きつけられるが、狩衣の内部バネが衝撃で作動、アーマーが打ち出され、威力を倍にして返す。椅子は一瞬のうちに空中分解、バラバラに飛び散って壁や床に叩きつけられた。
結界の外で待っていたダイゴにリックが追いつく。
「新人は!?」
「畜生、まだ中だ!」
ナツは旋回する家具の中に呆然と立ち尽くしていた。
「新人!!逃げろ!!」
ダイゴが叫んだ。
ナツはハッとして我に返る。
恐怖を顔に貼り付けて、ゆっくりとダイゴを振り返る。
そのまま前のめりに倒れるようにして、よろめきながら走り出した。
「ヤバかった、マジヤバかった」
結界の外へ逃げたナツは、呼吸を整えながら興奮気味に言った。
「大丈夫だったか!?」
彼は両手を広げ、自分の体を見回すと、驚いた顔をして言った。
「無傷です。一体どうなってるんです?」
「ほう、それで逃げてきたと?」
威厳を纏った老人が落ち着いた深みのある声で言った。
古典的な非機械式の金地の狩衣がその地位の高さを象徴している。
彼の名はカンロク。元チームリーダーであり、今は関東支部の長官だ。
彼が担当していたチームのエレメントは"金"。すなわち、ダイゴたちの先輩に当たるチームだ。
「冷却器は作動していますが、結界を開け放ってしまいました。わたしとしたことが…… 申し訳ございません」
ダイゴは深々と頭を下げる。
「結界については、問題なかろう」
「え?」
「あやつはあの部屋が壊されるのを防ごうとしている。あそこから離れることはない」
「地縛霊ですか」
「そうだ」
カンロクは立ち上がり、窓の前へ行くと灰色の空に目を向けた。
「ただ乱暴に、力で押し込めたのではダメだ。相手を知り、理解することでしか真の勝利は得られない」
彼はゆっくりとダイゴへ向き直ると、静かに微笑んだ。
「でも、よかったわ。あなたに怪我がなくて」
縁側に座った青い浴衣の女性がネオンで照らされた夜の町並みを眺めながら言った。
「ああ、ぼくなら大丈夫さ。アジサイに心配をかけさせるようなことは絶対にしないから」
開け放たれたリビングの椅子に座り、アジサイの後ろ姿を見つめているのは、涼しげな紺の浴衣を着たナツ。
ノンアルコールビールを一口飲むと、缶を机の上に置く。変わりにタバコの箱を手に取って、椅子から離れアジサイの横へ立った。
「タバコはもうやめたんでしょう」
「ああ、そうさ」
彼は一本口にくわえると、その場に腰掛け、箱を無造作に投げ出した。
アジサイはナツとの間に転がる小さな箱に目をやった。
「フフ、あなたらしいわ。そのほうが似合ってる」
「そうかい、そりゃよかった」
穏やかな静寂が訪れた。
街の灯りに霞んだ月が、タバコ代わりのラムネ菓子のパッケージを白く照らした。
畳敷きの事務所で二人は正座をし向かい合っていた。
「深山コウジ、六十八歳。元地引き網漁師で三十年前に新潟市に夜逃げして以来、日雇いの仕事でなんとか食いつないできたようです。確かにあの家の住人として記録が残っていました」
ナツが手に持ったタブレット端末をダイゴに手渡す。画面の中で鉢巻を巻いた日焼けした男が顔をしわくちゃにして笑っていた。ダイゴは二本の指で画像を縮小した。海を背にしたコウジの横には薄水色の浴衣を着て潮風に髪を乱した一人の女性がどこか困ったような笑みを浮かべて立っていた。
「彼女は?」
「深山タカコ、コウジの奥さんです。しかし、彼が三十歳の時に行方不明になっています。子供もいません。今は仕事もせず、生活補助を受けながら一人で暮らしているようです」
ダイゴは、ボサボサ頭を掻きむしり顔をしかめて、立ち上がった。
「新人、車を出せ」
巨大なロングノーズトラックが人通りのない車道を疾走する。黒光りするボディに黄金の宮を積んだそれは特殊霊柩車だ。長いトレーラーの側面には蛍光LED六芒星が埋め込まれている。
左ハンドルの運転席に座るのはナツだ。アクセルをいっぱいに踏み込む。メーターは100キロを超えていた。助手席は無人。ダイゴとリックは白い小箱が山と積まれたトレーラーの中だ。
「まったく酷いもんだぜ」
自身の狩衣を詰め込んだ箱の上に足を組んで座ったリックが不満そうにつぶやく。
「中に乗せてくれたっていいじゃねえか」
ダイゴはリックと向かい合う形で小箱のひとつの上に腰掛け、修理したてのアタッシュケースの中身をひとつひとつ手にとって確認しながら応えた。
「見ない装備だな」
リックはダイゴが手に持った、甲の部分にボックスを備えたガントレットを見て言った。
「置き型が壊されたんでね」
「プロジェクターか」
その時、ガタンとトレーラーが大きく跳ねるように揺れた。衝撃で後部ハッチのロックが外れ、扉が空き放たれる。二人は投げ出されないように、姿勢を低くし、片手で頭を守る。
「どうした、新人!!」
リックが叫ぶ。二人は視界の済に、後部ハッチから爆発炎上しながらゴロゴロと転がって遠ざかっていく軽自動車を捉える。
「怒ってる!!」
ナツが窓から顔を出し、叫ぶ。
「なにがだ!!」
「地蔵だ!地蔵がブチ切れた!!」
甲高い音を立てながら、特殊霊柩車はドリフトする。トレーラーは大きく振り回され、体勢を崩したリックは、狩衣の箱とともにダイゴの横の壁に叩きつけられた。
「畜生!」
その時、二人の目の前の壁が、ガン、ガンと音を立て、丸く盛り上がり始めた。
「おいおい、まずいぞ!」
ダイゴは地面を蹴って壁ギリギリに後ずさる。
「クソー!!」
リックは衝撃で中身がぶちまけられた狩衣の腕部装備に手を伸ばす。あと一センチ……!その間にも壁は形を歪ませていく。
ガシャン!
ついに壁が破壊され、赤い布切れを纏った小さな地蔵が高速回転しながら、ミサイルのように飛び込んできた。
真っ直ぐにダイゴを目掛け突撃する地蔵。
ガツン!
凄まじい衝撃が空気をゆらす。
吹き飛ばされたのは地蔵。
巨大な右腕を持つ異様なシルエットがダイゴに背を向け立ちはだかる。
軋む肘関節から蒸気が吐き出された。
「リック!!」
壁に叩きつけられた地蔵は床でジタバタともがく。
「クソッタレ地蔵が!」
リックは地蔵に歩み寄る。姿勢を低くし、上半身を大きく捻る。
「くたばれ!」
右腕が繰り出される。地蔵を捉えた瞬間、腕部装甲が軋む音を立て、一瞬すべてが静止する。
そして、吹き飛ばす!!
地蔵は壁に穴を開けて投げ出され、破片と蛍光ピンクのエクトプラズムを血痕のように撒き散らしながら道路を転がり動かなくなった。
「なんだったんだ……」
ダイゴは足元に落ちた赤い布切れに気がつき、拾い上げた。
金色の糸で刺繍された"交通安全"の文字。
「ネズミ捕りに引っかかっちまったみたいだな」
彼は布を放り投げながら鼻で笑った。
陰陽師が放つ強い霊力は、まれにその地に染み付いた強い思い、残留思念を暴走させる。
生まれながらに持つ霊力には個人差があるが、ダイゴの場合は特に強かった。
彼の狩衣のガントレットも小型の霊力発電機であり、その霊力を最大限に活かすために開発された専用装備だ。
「もうすぐ到着しますよ!」
ナツが大声で呼びかけた。
新潟市郊外。切り立った崖の上に古びたプレハブ小屋が建っていた。表札は"深山コウジ"。
「本当にこんなところに住んでるのかねえ?死んでんじゃねえのか」
ダイゴはリックを無視してインターホンを押した。劣化したプラスチックがパキっと音を立てて割れ、壁から剥がれてボロっと落ちた。
「死んでそうだな」
「誰だ」
その時、ガタガタの扉が横に開き、干からびた老人が現れた。
ダイゴとナツは思わず後ずさる。
「深山コウジさんですか?」
「質問に質問で返すな無礼ものめ。表札くらいは読めるだろうが」
「失礼しました。我々、陰陽師と申します」
「うちは無宗派だ」
「宗教の勧誘ではございません。あなたが昔住んでいた村のことで、聞きたいことがありまして」
「帰ってくれ」
コウジは扉を閉めようとしたが、ボロボロの扉は歪んだ枠に引っかかり、ガタンと跳ねるとレールから外れ、外に向かってバタンと倒れた。
ダイゴは倒れた扉をチラッと見ると、笑みを浮かべた。
「お話をしてくださいますよね」
コウジは観念したようにため息をつくと、部屋の奥へヨロヨロと入っていく。
三人は顔を見合わせると、あとに続いた。
室内には簡素な机と椅子がひとつづつあるのみで、ダイゴたちは立ったまま話をすることになった。
「で、何を聞きたいんだ」
コウジが机に肘をついて不機嫌そうに切り出した。
「あなたの家のことです」
ダイゴが答える。リックとナツは手持ち無沙汰にきょろきょろと部屋の中を見回していた。
「家のこと?見てのとおりだ、クソッタレ」
「今の家じゃありません。昔住んでいた家です」
「……」
コウジは黙り込む。
「なぜ黙るんです?」
「黙りたいからだ」
「わかりました、では、質問を変えましょう。奥さんは今どこに?」
「知らん」
コウジはダイゴを睨みつけ、ぶっきらぼうに言い放った。
「実はあなたの奥さんに会いましてね。今日は彼女に頼まれて来たんですよ」
コウジは鼻で笑った。
「バカを言うな。あいつはあの村で死んだんだ」
「死んだ?警察の記録によると"行方不明"となっておりますが。どうやら奥さんの事件のことをよくご存知のようですね?もしかして、彼女を殺したのが誰なのかもご存知なのでは?」
コウジは机を叩いて立ち上がり、顔を真っ赤にして怒鳴りつけた。
「おまえらにこれ以上話すことはない!さっさとおれの前から失せろ!クソッタレどもが!」
三人は逃げるようにしてプレハブ小屋の外へ出ると、霊柩車の荷台に乗りこんだ。
「これで、はっきりしたな。彼女はあの家にいる。どういうわけかコウジに殺されてな」
「これからどうするんです?」
「深山タカコに会いに行こう」
特殊霊柩車は夜の町並みを駆け抜けていく。
トレーラーの中には、すでに狩衣を纏ったダイゴとリック。
「狩衣は現場に入ってからじゃないと着ちゃいけないんじゃなかったのか?」
ニヤニヤしながらリックが言う。
「見ろ、もうここは現場だ」
背後のハッチが開け放たれる。ダイゴ達の接近を察知したのか、開け放たれた結界の入り口から、電子レンジが飛んできた。
リックは、荷台から飛び降りながら電子レンジを叩きつけ、破壊する。
「盛り上がってきたぜ!」
ナツはダイゴたちが外へ出たのを見ると、スイッチを押した。特殊霊柩車の電飾が血の赤に輝き、宮に搭載された巨大スピーカーからロックアレンジされた祭詞が流れる!
『今年今月!今日今時!』
リックが飛び来る家具を叩き落としながら結界の内側へ向かって疾走する。その背後に貼りつくようにして、ダイゴも室内への侵入を果たす。
『時上直符!時上直事!』
リックが両腕を盾のように構え、背後に安全地帯を作る。ダイゴは腕を真っ直ぐに伸ばすと駆け出した。
ガントレットから照射されたグリッドで霊体が浮かび上がる。
『時下直符!時下直事!』
霊体はプロジェクターを破壊すべく攻撃を集中するが、その隙に背後からリックが掴みかかる。霊体の首に手をかけ、絞め上げた。
制御を失った家具たちは、ヨロヨロとダイゴをそれて床や壁にぶつかって止まった。
「随分とあっけないな!」
「リック!上だ!!」
天井に張り付いていた配線が剥がれ落ち、蛇のように蠢いてリックの首に巻き付いた。
霊体は力が弱まった拘束をやすやすと振り払うと、ダイゴに容赦ない攻撃を仕向ける!
『山川禁気!江河谿壑!』
「あれを使え、新人!!」
運転席で様子を伺っていたナツの耳に、ダイゴの叫びが響いた。
彼は運転席の天井から伸びるレバーを引いた。
『千二百官!兵馬九千……』
祭詩ロックがフォードアウトし、宮のギミックが作動する!車体中心に位置する龍の頭部の飾りが斜め上に伸び、その口から強力な高圧放水が行われる。あっという間に結界内部は水浸しになった。
二階が撤去された室内に、水が降り注ぐ。
その瞬間、すべての家具が彼らを避けるように旋回し始めた。凄まじい轟音を立てて飛び回っていた家具たちは、霊体を中心に円を描くような位置で宙に浮かんだまま静止した。突如として静寂が訪れる。やがて、ラジオノイズがかかった弱々しい声が、おそるおそるつぶやいた。
「あなたなの?」
「……」
「あなたのにおいだわ。そこにいるのね。やっと帰ってきてくれた……」
ダイゴの作戦は成功した。フラッシュバックする記憶。
『そういや、おまえ、お湯なんてどこから持ってきたんだ?』
『海からくんできたんですよ。それで、車のヒーターで温めたんです』
『無傷です。一体どうなってるんです?』
『深山コウジ、68歳。元地引き網漁師で……』
二人の声をバックに海を背にして写真に写る、笑顔の男女が目に浮かぶ。
海水だ。潮の香りがナツを攻撃から守ったのだ。それは、深山コウジのにおいであり、取り乱す深山タカコに理性を戻す唯一の方法だった。
「おれが悪かった。許してくれ」
ダイゴは言った。
「……あなたは悪くないわ」
それはダイゴにとって意外な返事だった。彼は、タカコのコウジに対する憎悪の感情がPAを引き起こすに至った原因だと考えていたのだ。
「教えてくれ。どうしてそこまでしてこの家を守る?」
「ここはあなたの家だから。あなたとわたしの……」
霊体はゆっくりと両手を横に伸ばした。
「ここで一緒に暮らしましょう。あなたとわたしで、永遠に……!」
霊体が更に両手を上げていくに連れて、バキバキと床板が剥がれ、宙へ浮いていく。
リックとダイゴは後ずさる。
部屋の中央は完全に床板を失い、黒黒とした穴が口を開けた。
「これは」
ダイゴが固唾を飲む。
穴の中にあったのは、座禅を組んだ姿勢の薄水色の着物を着たミイラだった。
「即身仏……!」
「いずれにせよわたしは死ぬ定めだった。もともと体が弱かったわたしは、疫病におかされ、寝たきりになり、目もほとんど見えなくなった。それでもあなたは愛してくれた。わたしは決めたのいつまでもこの家であなたと暮らすと。そのためにいうことの効かなくなった体で、なんとか地下に入り込んで、即身仏になった。すべてはあなたと永遠に暮らすため!そのためにはこの家を壊されるわけにはいかないの!」
徐々に調子が強くなっていく。
「まずいぞ、ダイゴ。思念が強すぎる!」
リックは腕を盾のように構え、ダイゴを守るように立ちはだかる。
「見える…… 見えるわ……!」
霊体の姿が虹色に輝き、可視化する!その目から蛍光ブルーのエクトプラズムがほとばしる!
ダイゴとリックは、結界の外へと走り出した。
「騙したのね…… あなた達に邪魔はさせない……」
徐々にその体は巨大化していき、ついには天井に背中がつく!
「この部屋は…… この部屋は……!」
体からあふれたエクトプラズムが部屋を覆い尽くし、壁がメキメキと音を立てて歪み始めた。
「新人!車を出せ!!」
二人が荷台に飛び乗ると、ほぼ同時に特殊霊柩車は急発進する!
背後で結界が解体され、木片を着物のように身にまとった巨大なエクトプラズムの塊が現れた。
「畜生、家と合体しやがった!」
「なんなんですかあれは!?」
ナツが悲鳴を上げる。
「新人!ここで逃げ出すのか!!」
リックが叫ぶ。
「おまえの出番だ、男ならやれ!!」
「クソッタレーーー!!」
霊柩車は突如、180度ターン!バチンとロックが解除され、遠心力で投げ出されたトレーラーは回転しながら飛んでゆく。キャブだけになった特殊霊柩車は加速し、巨大ゴーストに向かっていく。衝突する直前でトレーラーのグリルパーツが展開。巨大な拳が出現し、右脚を貫いた。
飛び散るエクトプラズム!
バランスを崩し、傾くゴースト!
その背後でターンを決め、再びゴーストに向かっていく。
ゴーストは緩慢な動作で振り返り、霊柩車を薙ぎ払おうとする。
グリルの拳が開き、指先で地面を押して飛び上がる。空中で車体前半部が90度回転し、左腕と頭部が出現、上半身を形成する。
更に着地直前で後部が二本の脚に変形し、華麗な前転着地を決めた。
これこそが飛鳥ナツの狩衣、巨大ロボット型式神、ヘルキャスケット666だ。
俊敏な動きで、間合いを取り、敵の目の前に立ちはだかると言い放つ。
「かかってこいよ、クソゴースト!こいつが地獄への直行便だ!」
ヘルキャスケット666の巨大な右腕が、巨大ゴーストの右脚に空いた大穴に指を通し、ガッシリと掴む!
地面を踏みしめ、引きちぎる!!
膝下を失ったゴーストは断面からエクトプラズムを吹き出しながら、前のめりに倒れる。片腕で体を支えながら、反撃に出ようと空いた腕を振り下ろす。
アスファルトが砕け散り、砂煙が立ち上る。
ナツは無事だ。ギリギリのところを回避、地面にめり込んだゴーストの腕に掴みかかり、背負い投げを繰り出す。
ゴーストは半分ほど地面に埋まり、動かなくなった。
「やったか……!」
もうもうと立ち昇る煙の中から、巨大な影が起き上がる。
ナツは、地面を滑るようななめらかな動きで後ろへ下がり、距離をとった。
「そんな!?」
巨大ゴーストは無傷。それどころかちぎれたはずの右脚も再生していた。
右腕が振り下ろされる。ナツは素早いサイドステップで回避。しかし、容赦のない左腕のなぎ払いが襲いかかる。着地後の隙を付かれたヘルキャスケット666はなすすべもなく吹き飛ばさる。空中で虚しくもがく機体をさらなる追撃が襲い、地面に叩きつけられた。砕け散るアスファルトと黒い装甲。
巨大ゴーストの両腕が、とどめを刺すべく振り上げられた。
「畜生、ここまでか……」
ナツの脳裏に蘇るのは、冷たい夜の風と青い浴衣を着た女性の寂しげな後ろ姿。
(アジサイ…… ごめん)
巨大な腕が降ってくる。狩衣はもう動かない。光が視界を真っ白に染め上げ、衝撃が抉れた大地を砕く。
ホワイトアウトした世界に声が響く。
「馬鹿野郎……」
ナツは、おそるおそる目を開ける。そこにあるのは狩衣を着た男の背中。
「諦めてんじゃねえぞ!!」
リックが攻撃を受け止めたのだ。衝撃を受けた彼の狩衣はバキバキと音を立てながら崩壊していく。
「ナツ!」
ヘルキャスケット666の上に乗って膝をついたダイゴが叫ぶ。振り上げた彼の両腕は青い閃光に包まれている。
「受け取れ!」
その腕が、ナツの狩衣に触れた瞬間、ドンという衝撃とともに機体を閃光が駆け抜けていく。光を失ったLED六芒星に再び強い光が灯された。
「あとは任せたぞ!ナツ!!」
完全に狩衣が崩壊し、ついに力を失ったリックは吹き飛ばされた。
「うおおおお!!」
凄まじい雄叫びとともに起き上がるナツ!!
「いいか、コアを破壊しろ!即身仏をぶっ潰せ!!」
ダイゴは機体から飛び降りた。
ヘルキャスケット666は、地面を蹴って飛んだ。
それを叩き落とそうと振り回されたゴーストの腕を掴み回転し、その上に着地すると、頭部目掛けて駆け出した。
肩まで到達すると、空高く飛び上がる。
巨大ゴーストの視界から、黒光りする機体が消えた。
「くたばれ、ミイラ野郎!!」
ヘルキャスケット666は頭上だ。空中で身をひねり、勢いをつけて回転する。落下エネルギーと回転エネルギーを真っ直ぐに下に伸ばした巨大な右腕の先に集中し、叩きつける!
「必殺!ヘルドリルクラッシャー!!」
巨大ゴーストの頭を貫通し、エクトプラズムを撒き散らしながら、削り進んでいく!
そして、ついに、その中心部へと到達する。そこにはエクトプラズムと木片に包まれた即身仏があった。
長い年月を経てミイラと化したそれは腕が触れた瞬間、枯れ葉のようにあっさりと砕け、チリとなった。
そのままヘルキャスケット666は完全にその体を貫き、地面に着地した。
「地獄へ堕ちろ」
一気に開放された思念は爆発し、エクトプラズムを撒き散らした。すべては蒸発し、あとには、バラバラの木片だけが残った。
ダイゴはリックを助け起こし、その様子を見守っていた。
「……臨兵闘者皆陣列在前」
蛍光ピンクの雨に濡れて佇む巨大な鉄の鬼の中で、一人の陰陽師が静かに九字をつぶやいた。
翌日、ダイゴは一人、深山コウジの元を訪れていた。
「それじゃあ、全て知っていたんですか」
干からびた老人は寂しげにひび割れた窓の外を見つめる。
「すいませんでした。てっきり、あなたがタカコさんを殺したとばかり……」
「いや、おれが殺したんだ」
「え……?」
「おれが殺したんだよ」
コウジは椅子を軋ませて立ち上がると、ガムテープと角材で修理された扉の前へ行き、ガタガタと音を立てながら引き開けた。
「タカコはおれのために死んだんだ。それなのにおれは怖くて逃げ出しちまった。ずっと待っててくれたのに。タカコ、悪かったな。今行くからな」
しっかりとした足取りで老人は扉の向こうへ消えていく。
「コウジさん!」
ダイゴは慌てて後を追う。
すでに深山コウジの姿は消えていた。
「タカコさんはあなたは悪くないと言っていました」
ダイゴの叫びが虚しく崖に響き渡った。
その声が老人に届くことはない。
彼は行ってしまったのだから。
かすかな潮の香りを残して
もともとシリーズものにする予定でしたが力尽きたものです。