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佐伯惟教と田原親賢の憂慮

作者: 蓑火子

天正六年(1578年)初春、豊後国府内城下にて

佐伯惟教 大友家老中 松尾城攻略担当 五十代前後

田原親賢 大友家老中筆頭 四十代


天正六年(1578年)初春、大友家は、日向国縣の松尾城を攻略した。虜囚の身となった土持親成の命を、その義兄である佐伯惟教が救わんとする。


・土持親成の助命

親賢

「佐伯殿がなぜここにいる。松尾城はどうしたのか。」

惟教

「すでに平定なった松尾城は、田北殿にお任せしてありますし、私の嫡男惟真が兵の統率に当たっています。こちらへは田原様へ火急の用事があったため参上しました。どうぞ私の話をお聞きください。」

親賢

「城代として着任中のあなたがその任務から離れるほどの要件か。」

惟教

「この度の戦役の敵将、土持親成の以後の処遇について、私の考えをお聞き入れ頂きたく。」

親賢

「処遇も何も、土持はすでに捕囚の身で、早晩、我が領内へ送られる手はず。あなたが良く知っている通りで、土持を捕えた本人でもあるあなたに重ねて話せることも無い。以後の処遇については大殿の御沙汰が全てを決めることになる。これも当然あなたが知る通りで、特段、我らの関わる事はない。全ては予定通りということだ。」

惟教

「私の考えとは、その予定を曲げて彼を助命するべきである、ということです。それがなんのためにかと申せば、今後の日向攻略のために、土持を生かしておく必要があるという…」

親賢

「あなたの結論はわかった。しかし事前の降伏に応じず戦いに敗れた将の処置としては、現在の予定は然るべきもの。改めて言うが、城代として着任中のはずのあなたがその任務から離れるほどの要件ではない。それに、これは大殿と御隠居がご決定あそばしたもの。いらぬ口を挟めば不忠との謗りを受ける事だろう。」

惟教

「お言葉ですが、我ら老中衆、このような時に意見申し上げるために大殿に仕える者どもでもあります。特に日向一国を平定するという一大事業、この大友家の大事には、大殿が御判断を下す材料となる意見を揃えておく事は主従の本筋でもあります。田原様、どうぞ私の話をお聞きください。今、私と同意見の者は家中には多くありませんが、言い方を替えれば異なる見方を田原様に提示する事にもなるのです。以後の戦略を考えるに、きっと田原様の無駄にはなりますまい。そして田原様は大殿の伯父御でいらっしゃる。まだお若く戦場の経験をこれから積んで行かれる大殿は田原様に尋ねられる事も多いはず。知識という財産を得る過程に、私の意見が多少の役に立てば大変名誉な事です。」

親賢

「なんともこれは、常に寡黙な佐伯殿にしては珍しい。そこまで言うのであれば、よろしい。では、あなたがあくまで土持の助命に拘る理由を伺おう。また、ご不興を承知でも、進言する理由はどのあたりにあるのか、それも説明してほしいがその前に一つ、土持があなたの妹婿であるという事は除外して話を進めるように。」

惟教

「承知いたしました。もとより、彼が私の妹婿故に助命を乞うのではではありません。繰り返しますが、日向攻略を良き形で進めるためのものであります。」

親賢

「良き形で進めるとは具体的にいかなることか。」

惟教

「この度、当家は日向縣の松尾城を攻めたて土持領を蹂躙いたしました。戦のきっかけは薩摩勢に追い詰められた日向伊東氏から、出動を要請する矢の催促があったためです。」

親賢

「そう、そして今回、連中の窓口はあなたであった。」

惟教

「我が佐伯の地は豊後日向の国境にあるため、伊東殿が御隠居の庇護の下で府内に暮らす以上、彼ら駆け込むのに都合が良いのでしょう。そして、日向側の国境である縣の土持家は伊東家と領土紛争を抱えています。」

親賢

「伊東の使者も、命がけで縣を越えた事だろうな。伊東殿は日向における分国の諸権利の大部分を大殿へ譲ったから、日向に辛うじて残る伊東の家臣はもはや大友の家臣という事だ。当然、彼らは豊後を目指す。」

惟教

「当家におけるこの戦は、伊東と土持の争いに巻き込まれ、伊東に肩入れした事に始まります。調停者として日向に入り振る舞わなければ、一方を贔屓し一方を貶める事になります。すると贔屓された側は増長し、裏切る事すら躊躇わなくなるでしょう。それに伊東殿はかつて隆盛にある時、剛胆なお振舞で西国中に聞こえた方です。分国を大友家へ譲ったとて、今後どうなるかはわかりません。今の時点で、土持を殺してまで肩入れする必要はありますまい。」

親賢

「いや、大友宗家には肩入れする理由がある。伊東殿の息、義益殿の御正室は御隠居の姪御だし、その母御は土佐一条家の御正室であった。閨閥で繋がっているのだ。三年前、一条家は土佐を追われ、やはり豊後へ逃げ込んできた。伊東家に一条家、いずれも名門であり、保護者たる大友家が扶助せねばならない確固たる理由があるのだ。この理由を蔑ろにすれば、それこそ大友家は信用を失うだろう。ところで、あなたは殺してまで、という条件を述べている。この点、詳細に述べてほしい。私は、土持を生かしておいては伊東殿が不満を持つしかあるまい、と考えるが。」

惟教

「田原様ご存じの通り、土持は伝統的に大友家に敵対するものではありません。また、府内へ人質を差し出していた事も有ります。今回、主に所領の問題から薩摩勢と結んだ土持を倒しました。以後は、土持を従属させその財産を保護してやることを約束し、薩摩勢との縁を切らせた上で与力にするのが適当ではありませんか。この処置には伊東殿も不満を持つでしょうが、すでに伊東殿は分国を失っている有様です。後日、日向平定が為った後、旧領の飫肥を与えるだけで、復帰に感謝こそすれ、問題は起こさぬと考えます。縣は土持へ、財部には豊後勢を入れれば釣り合いもとれましょう。一度落ちるところまで落ちた日向の二大勢力を傘下に収めれば、薩摩勢と争うのにこれほど心強い事はありますまい。また日向を抑えれば、四国へ進出する足掛かりが増える事にもなります。」

親賢

「なるほど。聞けば誠にもっとも、道理ではあるが、その案について障害がいくつもある。」

惟教

「はい、御隠居の御意向ですね、良く存じ上げています。」

親賢

「その通り、縣を隠居の地とするとともに、切支丹の基地としても設えるというお考えだが、実はこれだけではない。今回の松尾城攻略によって、御隠居はお考えを一部修正されたのだ。」

惟教

「そのことは存じ上げませんでしたが、それは?」

親賢

「攻略なった縣は土地も豊かで南蛮船が立ち寄りやすい格好の海岸を備えているという事、また神社仏閣の焼き討ちも上首尾に進んでいるという二つの報告を受けられた御隠居は、縣に切支丹の国を建設すると、あの賢しげにふんぞり返った伴天連に約束をしてしまったという事だ。これは私が大殿から直接伺った。」

惟教

「それは、ご隠居先と定めた縣にて、城下を新たなる宗門により整え、南蛮の物売りが賑やかさを一層にする、とのお考えなのでは。」

親賢

「違う。切支丹の定めによって、切支丹のみを集めた国にするという事だ。恐らく、一向宗徒が加賀一国を治めたようにな。これが実現した場合、土持が縣に復帰する可能性など皆無になる。では、土持に代わりの領地を与えるしかないが、敗戦の将である彼にそのような事は通常ありえないだろう。生かしておく理由がなければ、灰となった神社仏閣と同じ運命を辿るしかあるまい。」

惟教

「今のお話が動き出せば、私が今お話しした事情などは全て一顧だにされないということになりましょう。」

親賢

「その通り、まして、土持の首を打てば、御隠居の計画もより一層やりやすくなるというだけだから、助命嘆願は難しいだろう。」

惟教

「大友家は毛利家との筑前豊前を巡る大いなる争いに際しても、救える者は救ってきた伝統があります。休松の戦いで我らに苦杯を飲ませた秋月種実や筑紫広門、かつて我らの同胞であった高橋鑑種殿、そしてこの私。」

親賢

「惟教殿。」

惟教

「このような実績伝統に裏打ちされた大友家の貴ぶべき血統実力があるからこそ九州諸国の守護職を頂き、九州探題の地位を持ち、都の主が織田信長に代わったとて尊崇されているのです。」

親賢

「まあ織田信長はそうかもしれない。しかし、鞆の浦の公方様は毛利と事を構える我らを今や非難する一方だぞ。薩摩勢にも我らを討つべく勧めているということだ。当然薩摩勢と通じた土持もこのこと知らぬはずがない。命を助けても、裏切るかもしれない。またあなたは、救える者は救ってきた伝統というが、私は余り理解できていないな。そんなもの、当家にあったかな。かつて秋月の親父の方や立花鑑戴は処刑されたし、近年、原田親種も自殺に追いやったし、これまで謀反を起こした連中はほとんど命を失っている。要は情勢の許す範囲では、謀反に対して死をもって報いてきた。先ほどあなたが述べた連中については、情勢が我らの味方ではなかったというだけではないかな。それにあなたは自分の名前も挙げたが、二十年前の件であなたは無実の身であったと聞いている…しかし、このような事情を持ち出してまで土持を擁護するとは、まああなたもそこまで必死になることはないのではないか。」

惟教

「田原様、ただでさえ城を攻めるだけでなく、城下の神社仏閣を焼払い余計な恨みをかってしまっているのに、この上、土持を殺せば、縣の住民たちからの怨念を覚悟せねばなりません。この点、御隠居はお気づきでないのかもしれず、思い起こさせる義務が我々にはあるのではないでしょうか。確かに、田原様ご指摘の通り、情勢が許す限りに救える者を救ってきたのでしょう。しかし、これには救う側にその必要もあったからだとは思いませんか。現在、両筑豊前が平穏であるのは、毛利との長い戦いが已み、その土地の実力者たちが大友の治世を認めざるを得ない状況があるためであって、決して、戸次殿や吉弘殿が睨みを利かせているためだけではないのです。諸国の実力者たちは、納得さえすれば大友の治世に協力してくれるのです。無論、毛利との戦がまた始まるような事態があれば彼らが謀反を起こす事もあるでしょうが、そのような弱みを我らが見せない事こそが重要なのではないでしょうか。勝利してなお譲るとは、慈悲であると同時に勝者のみの特権でもあります。毛利家と和睦して既に九年、いくつかの小さな謀反を含めても大友家領内は秩序を維持していますが、縣での誤った処置により、この秩序が瓦解してしまうとも限らないではありませんか。我ら武者による裏切りは、恐れからよりも蔑みから生じる事が多いもの。御隠居の引っ越しにせよ、切支丹への便宜忖度にせよ、このまま計画を推し進めれば恐れと蔑み、諸国の人々がどちらの気持ちを胸に抱くか、余りにも明らかです。」

親賢

「佐伯殿が大友家に復帰したのは毛利との戦が収束に向かう頃であったと記憶しているが、あなたもただ朴訥としているだけでなく、色々考えていたのだな。勝利してなお譲る、か。」

惟教

「私とてその恩恵に浴しています。伊予に十年も亡命していた私に対して、旧領復帰に老中就任という破格の厚遇が、復帰の条件でした。」

親賢

「かつて大内輝弘を周防へ送り込んだ件だが、毛利に対して圧倒的優位に立つ契機になった。その後和睦が成ったが、言われてみれば、これは勝利者たる我らが歩み寄った結果なのだろうな。そう思い返せば、確かに伝統かもしれない。」

惟教

「今、田原様が思い返された件も私の復帰の件も、今は亡き吉岡様、臼杵様が御隠居とよくよくご相談されて決まった事だと伺っております。他国に広く名声轟いたこのお二人の後を努めなければならないのは、僭越ながら田原様と私しかおりません。」

親賢

「年長の老中という事では朽網宗暦殿がいるではないか。あの人はもう喜寿が近いはずだが。」

惟教

「宗暦殿は伴天連と余りにも親しく公平を欠きます。それに御隠居に諌言できるほどの力はお持ちではありません。吉岡鑑興殿、田北鎮周殿は未だ若すぎますから適当ではなく、志賀道益殿は…」

親賢

「ああ、道益殿については私も適当でないことはわかっている。色々と噂もあるが、彼は悪い人ではない。これは私の姪の夫だから言っているのではないよ。つまり、立場、経歴、感情の面から、老中衆の中では私とあなたが最も適任というわけだね。なるほど、これが不興を得ることになっても進言するに十分な理由という事か。」

惟教

「御推察恐れ入ります。」


・大友父子について

親賢

「土持処断を発端とする佐伯殿の深慮、理解できたつもりだ。ここまで話を聞いて私も同意見である。それを進言しなければならないという事もだ。さて、御隠居と大殿にお聞き入れ頂くにはどうするべきかな。正直に言えば、切支丹に関するもめ事、といおうか意見の不一致で、御隠居からも大殿からも、私は歓迎されていない。はっきり言えば、疎んじられている。噂は隠せぬし、あなたも聞き及んでいるだろうが、御隠居が臼杵から縣へ移ろうとしているのも、御台…つまり私の妹から遠ざかりたい念も大きいだろうと考えられる。」

惟教

「大殿は田原様を強く信頼しておいでです。田原様からお願いして、大殿に御隠居へ進言して頂くというのはいかがでしょうか。」

親賢

「確かに大殿はわたしを信頼してくれているが、まだお若い。御隠居に背いてまでわたしの意見を容れてはくれないだろう。大殿とて、御隠居に対して下手をうてば、ただではすむまい。ご兄弟の親家様や弥十郎様に負けじと伴天連どもに良い顔をされているのは、家督の地位を失わぬためであろう。御一門の線からの説得は無理だ。といって、老中衆全員で依頼をしても効果はあるまい。」

惟教

「田原様。」

親賢

「考えてみれば、今は亡き豊後二老はその活躍により大友家督を盛り立て、大いなる権威と力を備えさせたが、今となってはそれに意見できる者が居なくなってしまった。主君の力が大きくなるに従い家臣の存在は薄くならざるを得ないのかもしれない。今や若き家督は、老中衆ではなく御隠居にご配慮されている。そして無論、大殿に原因があるわけではないのだ。わたしは時に不安を覚える。御隠居に失政があった場合、引き続き名ばかりの御隠居であれば大友家は二つに割れてしまうのではないかと。分り易く言えば、家督の首をいつでも挿げ替える事ができる専制君主と、伝統的な大友家の二つにだ。その時、新参者たちは所領、一門、生活のため専制君主に従わざるを得ないだろう。」

惟教

「新参と伝統という事であれば、すでに家中は二つに割れております。切支丹宗門には、伝統の中にこそ生きる我々のような者どもを引き付ける力まではないようですが、御隠居の権威にすがる手段の一つにはなっているでしょう。その必要のない者たち、戸次殿や田原常陸介殿に代表される真の実力者は未だ恐らくどちらの側でもないはず。分断を避けるには、この実力者を如何にひきつけ続けるかですが…」

親賢

「戸次殿、田原常陸介殿、どちらも私にとっては厄介な人物たちだ。このお二人の内どちらかをあなたが頼るという事であれば、私はこの件に協力はいたしかねるということを断っておく。それにしても、この分断という目を背ける事が許されない家中の問題について、あなたは土持を助命する事で解決に持っていこうとしているのか。」

惟教

「土持を助命する事は、いくらかこじ付けのようでも、中間勢力の温存、切支丹傾斜への抑制、侵略者でなく仲裁者としての日向入りという三点からも、中庸を行くものです。そして一度土持を生かした以上、そのように事を薦めなければ一貫した政を行った、とは言えないはず。問題解決の先鞭をつける事になると確信しています。さらに言えば、現在の大友家の対外戦略は閉塞しております。毛利家との和睦により、龍造寺家との和睦により、軍事的可能性は南下する事以外には見出し得ないのも事実。鞆の浦の公方様が薩摩勢に当家討伐を命じているのであれば、天下を押え内裏より認められた織田信長と通じてこれと戦うのは大義名分も立ち外聞も良く、閉塞を打ち破る唯一の道と言えます。」

親賢

「正直に言えば、土持の命一つ、そこまで大風呂敷を広げた話とは誰も思っていないだろうがな。しかし聞けばもっともな話だ。」

惟教

「土持を殺すという事は、織田信長の路線とも、鞆の浦の公方様のお考えとも、異なる我が道を逝く事になります。その場合大友家は孤立し、薩摩勢と龍造寺勢、また毛利勢が織田勢を打ち破ることがあれば、最悪三方向からの攻勢に対処しなければなりません。その上、大友家の分裂というおまけつきです。これに対処できると言う者は狂人でしかありません。」

親賢

「はは、対処できると言いそうな人物なら心当たりはあるがな。無論、その手の性格の者はこの任務から除外せねばならない。説得するならば、我らがお話をする以外、道はないようだな。しかし、あの御隠居が相手なのだ。まずもって成功はおぼつかないだろうよ。」

惟教

「では、よりよい方策を模索するしかありますまい。」


・切支丹宗門について

親賢

「かつて、吉岡殿か臼杵殿か覚えていないがどちらかから聞いたことがある。御隠居は、切支丹宗門について、宗旨に『主人を裏切ってはならない』という教えがあるので、謀反や裏切りを防ぐための有効な手段として考えていると。実際、切支丹となった者で大友家に謀反を企てたものを私は知らない。だが奇異な南蛮人が持ち込んだものだし、入門に際して先祖の御位牌を焼けと命じることなど、私は納得できていない。神道仏教を奉ずるこの国の伝統と余りにも違う。切支丹が豊後に到来してまだ日も浅いが、だからこそ、私は神道仏教の切支丹に対する優位を確信している。いくら南蛮人が珍奇な舶来品や国崩しを取扱って我らに莫大な利益をもたらすとしても、大友宗家の方々が奉じている程度では、大した影響力は持ち得ないだろう。何せ信者の数が違うから。そして先ほどのあなたの言葉ではないが、このような時のために、我ら老中衆がいるのだから。よって、縣に切支丹の国を建てる、これを転じて縣に切支丹を封じ込めてしまえば、我らにとっては大変良い結果を得るかもしれない。」

惟教

「切支丹は謀反を起こさないと聞きますが、周囲の切支丹でない人々は気味悪がって離れていくものなのでしょう。そう言えば、かつて周防の国主であった大内殿も、切支丹に好意的であったそうです。土佐を追われた一条殿も同じく。切支丹に肩入れするという事は、そうでない人々を他方へ結集させてしまう代償を得るのでしょう。」

親賢

「だからこそ、私は切支丹宗門に反対をしているのだ。御隠居には全く聞き入れて頂けないが。」

惟教

「そういえば、京の織田信長も切支丹には好意的だという話があります。」

親賢

「その話、私も伴天連から聞いたことがある。切支丹となった家臣も数多くいるという。」

惟教

「大友家は織田家とは友好関係を維持しておりますが、一つにこの辺りに理由があるのかもしれません。織田家は今や天下を抑えております。そう至ったのも無論、切支丹を保護したからではないでしょうが、都との折衝に、伴天連は活用できるのでしょう。」

親賢

「御隠居も同じような事を言っていたが、相手は比叡山を焼いた恐るべし者だ。仮に織田信長が謀反を避けるために切支丹を優遇したとしても、大内殿や一条殿のように謀反に合わないとも限らないかもしれない…佐伯殿、今の話は聞き流すように。」

惟教

「では、先の話に立ち返って、土持殿の命を助けるために、思い切って切支丹宗門の力を借りる事はできないものしょうか。御隠居や大殿の歓心を得るため、土持殿に対して、生き残った一族総出で切支丹に改宗して頂くというのは。そうなれば、土持殿が縣の一画に住まいを残すことも、御隠居は御承知されるかもしれません。なにせ、切支丹は謀反を起こさないのであれば。」

親賢

「それが実現できるのなら有効かもしれないが、土持家は宇佐の神官の出自だ。これを誇りにすること、大変なものがあるはず。果たして承知するとは思えないが。」

惟教

「南蛮人の教えに耳を傾けた禅僧が、争論を構えてやり込められて切支丹へと身をひるがえした例もあると聞きます。私はその宗旨について詳細は存じ上げませぬが、きっと不可能ごとではありますまい。」

親賢

「ふん、そうなっては私にとっては不愉快な事。だから申すわけではないのだが、恐らく土持は肯じることはない。これは古からの誇りの問題なのだ。我らはみな祖先の縁により土地と財産を確保し、それを目減りさせることなく子孫に伝えていかねばならない。土持も同様だろうが、今や縣の城下は焼失し、神社仏閣は尽く破壊され、風雨にさらされようとしている。御隠居や大殿の意志によって、そうなっているとはいえ、失敗した惣領として、先祖に面目が立つまい。全てを失った土持が、最後に残った心の自由まで捨てるものだろうか。きっと捨てはしないぞ。それまで捨てては、生きる奴隷ではないか。最も、切支丹は大臼の奴隷になることを説いているのであったな。その生き方は、連中らが説く言葉通りではある。」

惟教

「その他高名な方に宗旨替えをご説得して頂くことはできませんか。宇和島の一条殿や、あるいは親家様などは。」

親賢

「そのような事、御隠居や大殿を越えて、私から頼むことなどできるはずがない。こと宗門の件については、私にはなんの力もないのだ。口惜しいことだがな。不愉快極まりない事だが、伴天連どもに依頼してみるというのはどうだろう。」

惟教

「伴天連たちが最も頼みにしているのが御隠居である以上、その意に沿わない事を為し得るとは思えません。」

親賢

「あの連中は大臼の教えを広めるためだけに存在しているというからな。あの連中から見て異教の徒である土持が死ぬことで布教の機会を得られるのなら、喜んで人間の命を見殺しにするのだろう。伴天連は、大臼の前では全ての人間は等しい存在だ、とのたまっていたのだがな。」

惟教

「繰り返し申し上げ誠に恐縮ですが、親成殿を処断するのはあまりにも拙いやり方です。彼が薩摩勢と結んだのは、伊東氏に奪われていた財部の地を取り戻すためです。ここ至ってしまっては致し方ありませんが、彼を生かしておけば、以後の薩摩攻めでもきっとお役に立つでしょう。逆に彼を殺してしまえば、故無く殺したと言われても仕方がなく、縣の民心は決して恨みを忘れますまい。そも、ご隠居が日向を切支丹の国にするというのであれば、なおさらではないでしょうか。」

親賢

「佐伯殿、ここまで頭を捻ってみてもはや良策は無いように思えるが、私にどうせよと言われる。」

惟教

「どうやら御隠居に土持殿の助命を願い出る事、土持殿に宗旨替えを勧める事、並行して行うしかありません。御隠居へは私が諫言申し上げる次第、田原様にはそれに至った根拠、考え、予想の後詰をお願いいたします。」

親賢

「承知した。全てあなたの考えの通りにしょう。だが佐伯殿、土持の生殺与奪は、御隠居ただお一人が握っており、根本的にはすでに我らではどうにもならない。今一度、私の考えを申し述べよう。すなわち今や、老中たちが一味同心して意見できた時代ではない。吉岡、臼杵など今でも褒め称えられる我ら老中衆の先達が、配慮と労苦の末に作り上げたのが今の大友家家督の力だ。そして目下のところ、あなたが指摘した通り他国との関係は全くもって不調だが、これも完全な失政とは言えないから、今をもってその権威は絶対的である。故に、家臣如きが容易に意見できるものではないのだ。家臣を超えた特殊な地位にいる恐れ知らずの戸次殿ならば不都合なく意見できるだろうがな。」

惟教

「ですが、今後も失敗を重ねれば、御家の大事に関わることになりかねず、そうならないためにも、今のうちに手を打っておかねばなりません。そして、それができるのは我ら老中衆だけではありませんか。」

親賢

「私は十数年この役職を務めているからこそ痛感するのだが、大友宗家の力が強化されたことによって、皮肉なことに相対的とはいえ老中衆の影響力は低下している。戸次殿は主に私を佞臣の筆頭として頻繁に非難しているが、老中衆の力が弱いからこそ、あの御仁は筑前に留まり続けているとも言える。誇りも権勢欲も人一倍のあの戸次鑑連が老中で無いという事実、それこそが、現状の老中の様を残酷なまでに示しているのだ。老中になる旨味が、かつてほどには無いのだよ。よって佐伯殿、老中の役割について、過度な期待はしない事だ。しかし、あなたの行う助命活動、全力で支えよう。あなたの言う通り、老中の職責を果たすことを約束する。人事は尽くし、後の土持の命運は、天に祈るよりほかあるまい!」


・処断

同月、捕囚の土持親成は、田原親賢の領内へ入る直前で、大友宗麟からの命令により、速見郡浦部にて切腹を命じられた。結局、佐伯惟教の活動は無駄に終わった。春に続き同年11月、日向深くに進出した大友家は島津家と戦い、致命的な大敗を喫した。そして名望を失った大友家は、譜代外様を問わず数限りない家臣の裏切りによって、それまで九州にて辛うじて維持できていた覇者の座から転落する。


(了)


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