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ミッシング・ピース  作者: ぱせ
二章 琴里
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2

 

 本格的な冬が訪れ、街がにわかに活気づく。

 今日は十二月二十四日。クリスマス・イブだ。なんだかウキウキとした気分になる。弾むような足取りでイルミネーションの中を歩いていた。今日は電車で繁華街へやって来たのだ。

 明日はクリスマスということで、いつもお世話になっている両親にクリスマスプレゼントでも渡そうかと思い、買い物に来たのだった。

 その際、何人かの友人を誘い、両親にプレゼントを渡すことを勧めてみたが『あり得ない』と苦笑しながら断られた。わたしにが何が『あり得ない』のか理解できなかったが、今時の女子中学生なんてそんなものだろうか。

 そんなわけで、結局は一人で買い物にやって来たのである。

 どうせ一人ならとトートバッグにはスケッチブックも入れてきた。しかし、天気予報では今日は冷え込みが厳しくなると報じていたのため、外でのスケッチはきっと無理だろう。わたしは肌を裂くような北風に首をすくめ、人混みの中へと身を投じる。

 メインの大通りまで移動すると大通りに隣接した広場に巨大なクリスマスツリーが見えたので、好奇心から近づいてみた。クリスマスツリーの周りはカップルで溢れかえっている。幸せそうな人の波を縫うように歩いていくと、街路樹の下で激しく抱き合っている男女がいた。顔面が熱くなるのを感じながら、わたしは早足で逃げるように広場から脱出する。居心地がいいとは言い難かった。大人は過激だ。

 わたしは男の子と抱き合っている自分の姿を想像してみる。今、想いを寄せるような相手はいないので、男の子の顔は鉛筆で黒く塗りつぶされていたが、すぐに耳まで熱くなるのが分かった。ぶんぶんと頭を振って妄想を掻き消す。その姿が滑稽だったのか、すれ違った女性に少し笑われた。


 洪水のような人の波に流されながらなんとか辿り着いた百貨店で買い物を済ませると、一息つこうとドーナツ専門店に入る。夕飯が食べられなくならないように、ドーナツ一個とココアのみを買ってテーブル席に座ると、若干の疲労感に襲われたので背もたれに身を委ねる。

 店のレジの方をぼんやりと眺めると『お持ち帰りの方はこちら』と書かれたカウンターに、ドーナツがたくさん乗ったトレイを持った客が列を作っている。可愛い制服を着た店員数名が忙しなく働いていてなんだか大変そうだ。

 そのまま右に視線を向けると、隣の家電売り場に展示されている大型液晶テレビの画面に目を奪われる。ニュース番組だろうか。崩壊した街の様子が映し出されていた。見覚えがある。

 五年ほど前に起きた震災の映像だ。わたしの街は少し揺れただけだったが、震源地となった街は被害が甚大で、脱線した列車、倒壊した家屋、崩れ落ちた高速道路などの、この世の終わりのような状態になった街並が連日放送されていた。

 映像が切り替わり、震災の被害から見事に復興した街の映像が映し出された。何事もなかったのではないかと思わせる綺麗な街並に、感動すらおぼえた。

 人間とはすごい生き物だと思う。踏まれても踏まれても、すぐに起き上がる力強い様はまるで雑草のようだ。枯れてしまったらそれで終わりの綺麗な花よりも、わたしは雑草の方がいいなとそんなことを考えながら、チョコがコーティングされたドーナツを頬張った。


 百貨店の中でウィンドウショッピングをしているうちに、時刻が午後五時を回っていた。久しぶりに繁華街に来たことでテンションが上がってしまったのだろうか。時間を忘れるほど夢中になっていた。

 とにかく、すぐに帰らないと。決められた門限はないものの、帰りが少しでも遅くなると心配した両親から携帯電話へ連絡が入る。あまり心配はかけたくない。百貨店から出ると、空は暗闇に包まれていて、イルミネーションが一層、輝きを増していた。

 足早に駅に向かうと昼間よりもさらに人で溢れかえっていた。小さな身体を活かして、雑踏の中をするすると走り抜け、駅構内に滑り込む。

 券売機で切符を購入すると、電光掲示板を見上げる。次の電車の到着時刻まで一分を切っていた。ホームへと続く長い階段を全速力で駆け上がる。

 電車がとっくに発車した後、わたしは息も絶え絶えにようやくホームに辿り着いた。運動が苦手なわたしの体力がホームまで持続するわけもなく、階段の途中で力尽きてしまったのだ。仕方がないので、五分後にやってくる次の電車を待つことにした。

 FRP製の一人掛けのベンチに腰掛けると、冬の冷気にさらされていたベンチは凍ったようにひんやりしていた。わたしは膝の上に載せたトートバッグの中をのぞき、可愛くラッピングされた二つの包みを確認する。先ほど購入した両親へのプレゼントだ。首もとが寒いと言っていた父にはマフラー。外出するといつも冷たい手を擦っている母には手袋を贈ることにした。両親の喜ぶ顔を想像するとこちらまで嬉しくなる。

 ふいにちらちらと白いものが目に入り、ホームから街を眺める。

 雪だ。雪が降り始めた。街のイルミネーションと真っ白な雪の共演はイブの夜をさらに盛り上げるのだろう。クリスマス・イブに雪が降った場合でもホワイトクリスマスというのだろうか。

 そんな小さな疑問は、視界を遮るように滑り込んできた電車によって脳内から消えた。


 白い息を吐きながら自宅近くまで来ると、携帯電話で時刻を確認する。母が心配してメールか電話をしてくると思い、電車を降りてからずっと携帯電話を手に握っていたが、着信はなかった。時刻は午後六時十五分。

 前方に自宅が見えてきたので、安心感からか歩く速度を少し緩める。ずっと早歩きの状態だったので明日は脚が筋肉痛かな、と考えながら自宅の方向に目を向けると、家の門扉を開けて出ていく人影が見えた。

 父か母だろうか。人影を目で追うと、街灯がその人物の姿をくっきりと照らした。運送会社の作業着を着た男性だ。作業着はやたらと汚れている。中肉中背で目つきが悪いが、ごく普通の青年のようだった。男性は一瞬、後ろを振り返る動作をした後、自宅前の道を右方向へ足早に去っていった。

 荷物の宅配かな。別に珍しい光景ではないので、あまり気にしなかった。それよりも、両親が心配していないかの方が気になっていた。

 門扉を開けると、きいっと小さな悲鳴に似た音がした。庭に視線をやり、居間の窓を見ると電気が消えている。変だ。この時間なら母が必ずいるはずだし、父も帰ってきている時刻だ。ドアノブを捻って手前に引く。鍵が掛かっていない。

 玄関に入ると、家に中は闇と静寂に支配されていた。足下になにかが当たるので見ると、三和土に父と母の靴が置いてある。なんだ、やはりいるんじゃないか。玄関に腰を下ろしてブーツを脱いでいると、ふと思い出した。前にもこんなことがあった。

 三年ほど前の、わたしの誕生日だ。帰宅すると、今日みたいに家中が真っ暗だった。わたしが恐る恐る居間に向かい「お母さん? お父さん?」と不安げな声を出すと。突然、電気が点き破裂音が二発響く。

「誕生日、おめでとう!」

 声を揃えて高らかにそう言いながら、クラッカーを持った父と母が笑顔で現れたのだ。なんて古典的なサプライズをするのかと、そのときは苦笑してしまったのだが、すごく嬉しかった記憶がある。

 また同じサプライズを行うつもりなのだろうか。しかも、クリスマスに決行するならまだしも、今日はイブだ。気が早いのか、それとも裏をかいたつもりなのかは分からないが、せっかくだから乗ってあげようと思い、玄関の電気を点けずに家に上がった。

 分かり易く、わざと大袈裟に足音をたてて居間の方に向かう。なんだか生臭い匂いが鼻をついた。これはなんだろう。

 居間に足を踏み入れると、何かぬるっとしたものを踏み、それが靴下に染み込んできた。これもなにかの演出だろうか。クラッカーの音に備えていたが、父と母はまだ登場しない。本格的に怖がらせるつもりのようだ。

 もしかしたら、こちらが電気を点けるまで待っているのだろうか。わたしはスイッチを手探りで見つけると、意を決して居間の電気を点けた。

 一瞬、その光景の意味が分からなかった。居間全体が赤い。壁、床、テーブル、ソファが赤く染まっている。クリスマス用の飾りかと錯覚したほどだ。赤いものはわたしの足下にも流れてきていた。さっき踏んだのは、どうやらこれだ。靴下が赤いものを吸っていた。赤というより赤黒いこれは、血だ。

 血の跡を目で辿っていくと、ソファの裏から流れてきているようだった。震える足でそこへ向かう。歩みを進める度に、血に濡れた靴下が嫌な音を立てる。なんだか息が苦しい。上手く呼吸ができず、息遣いがおかしくなる。

 ソファの裏側をゆっくりとのぞくと、父と目が合った。

 父は目を見開いた状態で仰向けに倒れており、顔はこちらに向いていた。あちこちに刺し傷があり、着ている服が真っ赤に染まっている。

 もう一人、うつ伏せに倒れているのは紛れもなく母だ。背中には包丁が、まるでそこから生えているかのように深々と突き刺さっていた。

 肩から提げていたトートバッグが血溜まりの中に落ち、中身が散らばる。ラッピングされたプレゼントの包みが血を吸い上げ、じわじわと赤い色に変わっていく。

 目の前で起きていることが現実のものなのか判断できず、思考が止まったように感じる。自分が息をしているのか、自分の心臓が動いているのかも分からず、その場に立ち尽くす。

 そして突然、意識の糸がぶつんと切れた。


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