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ミッシング・ピース  作者: ぱせ
一章 涼子
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5


 四か月後、あたしはようやく退院できることになった。しかし、怪我は完治したものの、心は閉ざされたまま開くことはなかった。何百回、何千回と眺めた病室からの景色を見やると、雪がしんしんと降り出しているのが確認できた。

 少しだけ窓を開けると、冷気が頬に突き刺さる。季節は移ろいでゆくのに、あたしの時は止まったままだ。このまま、いくつもの季節を越えていくのだろうか。

「涼子、そろそろ行くわよ」

 母が促す。父の車が迎えに来たらしい。あたしはロングコートを羽織る。夏と違い、冬は厚着をするため左腕が目立たない。ずっと冬だったらいいのにと、本気で思った。

 医師や看護師たちに見送られて病院の駐車場へ向かうと父の乗る車の後部座席にあたしは無言で乗り込む。父がなにやら話しかけてきたが、耳には入らなかった。そして、母が助手席に乗り込むと、車はゆっくりと発進した。

 流れていく車窓を眺めながら、カーラジオから流れるアナウンサーの声に耳を傾ける。殺人事件のニュースを報じていた。自宅にいた夫婦が何者かに刃物で刺され殺害されたらしい。その家の一人娘は外出していて難を逃れたが、まだ犯人は捕まっていないとのことだった。

「怖いわねぇ」

 母が他人事のように呟く。実際、他人事ではあるのだが。

「ラジオ消して」

 凄惨なニュースに嫌な気分になり、そう言った。父はラジオを消すと、代わりにカーステレオでカセットテープを再生した。今時カセットテープかよ、と突っ込みたかったが、やめた。

 透明感のある女性の歌声が車内を満たす。確か、あたしが生まれるよりも前に流行った曲だ。曲名は『ミッシング・ピース』だっただろうか。父がこの歌手のファンだったと聞いたことがあるが、歌手の名前は思い出せなかった。

 ひとつ溜息を吐くと、窓ガラスが白く曇る。曇ったガラスの向こうに鮮やかな光がチカチカと明滅を繰り返している。街はイルミネーションに覆われていた。携帯電話を取り出して日付を確認すると、街が馬鹿みたいに浮かれている理由が分かった。ディスプレイに表示されている日付は十二月二十五日。今日はクリスマスだ。

 手を繋いで歩く若いカップルが街中に溢れている。皆、一様に幸せそうな顔をしていた。あの事故がなければあたしも今頃、あんな顔をして創一くんと手を繋いで歩いていたのだろうか。

 くだらない。再度、深い溜息を吐くと右手に収まっていた携帯電話が震えた。友美からのメールだった。

『退院おめでとう! 今度遊びに行くね。メリークリスマス!』

 顔文字付きの楽しげな内容だったが、返信せずに携帯電話をコートのポケットにしまった。

 自宅に到着し、玄関を開けると、そのまま自室へ向かう。久しぶりの自分の部屋は入院する前と変わらず、そのままになっていた。母が掃除だけはしていたらしく、埃などは積もっていない。

 机の上を見ると夏休みの宿題の山が積まれていた。夏休みが始まった頃は宿題の多さにうんざりしていたが、もう必要のないものだ。あたしはそれらを乱暴に掴むと、すべてゴミ箱へ投げ捨てた。

 ベッドの上に座り、そのまま後ろへ倒れ込むと病室のベッドとは違う、懐かしい感触がした。シーツがひんやりと冷たい。これからどうしようか、そんなことを考える。

 もうすぐ今年も終わりだが、年が明け、新学期が始まっても、あたしはもう学校へ行くことはない。高校にはすでに退学届を提出してある。二か月ほど前だろうか、あたしは高校を中退する旨を両親に伝えた。母は反対したが、父は意外にも「涼子がそうしたいなら、そうしなさい」と了承してくれた。

 からっぽになった。そんな感じだ。

 今は何もする気が起きない。でも、ゆっくり生きていこう。そうすれば、いつか心の傷も癒えて、昔の自分に戻れる日が来るかもしれない。そう信じて目を閉じると、少しだけ眠った。


 年が明けてしばらく経った頃、友美が自宅にやって来た。

 退院後、何度か来たがあたしは頑なに会おうとはせず、友美は鍵の掛かった部屋のドア越しに世間話を勝手に喋り、満足すると帰っていった。こんなあたしを未だに気にかけてくれる友人は、もう友美だけだった。

 今回もドア越しに話しかけてくるだけだろうと思っていたが、甘かった。

「涼子、あんた全然外出してないんでしょ、散歩に行こう」

 ドアの向こうから優しげに語りかけてくるが、あたしは答えない。

「そっか、行きたくないか……」

 今度は寂しげな口調で呟くのが小さく聞こえた。やがて声が聞こえなくなり、諦めて帰ったのかと思った直後、ドアに何かが思い切り衝突した。

 二度、三度、と衝突が続く。その度にドアは激しく揺れた。

「ちょっと友美! 何する気よ!」

 ただ事ではないと察し、さすがのあたしも叫ぶ。

「このドア、破る」

「は?」

 信じがたい台詞だったが、友美が本気だということだけは分かった。鍵を強引に破壊して部屋に侵入する気だ。なんて攻撃的な眼鏡っ子なのだろう。

 このままではいずれドアは破られる。さすがにそれは洒落にならないと思い、慌ててドアを開けた。友美は体当たりでドアを破ろうとしていたのだろう。まさに体が衝突する瞬間にドアを開けた為、友美は豪快に室内に転がり込んできた。

「やっと自分の意思で開けてくれたね」

 転がり込んだときに壁で打ったのだろう。額を手で押さえながら嬉しそうに笑う友美。どこが自分の意思だ。ほとんど脅迫じゃないか。

「さ、出かけよう」

 ウキウキした感じであたしに無理矢理コートを着せる友美。こうなっては仕方がない。観念して外出することにした。


 久しぶりの外の空気は冷たかったが澄んでいて、肺の中を清らかにしてくれる感じがした。街を歩くのは事故後、初めてだ。やはり他人の目が気になる。厚めのコートを着ているため、左腕がないことは見た目には分からないだろうが、すれ違う人のすべてがあたしを見て哀れんでいるように思える。

「涼子、大丈夫?」

 怯えた表情のあたしに、友美は心配そうに囁く。弱いところなんて見せたくない。あたしは唇を噛みしめ「大丈夫よ」と強がると、早足で歩き出した。

 あたしたちは本屋へ入った。三階建ての大きな本屋で探している本が必ず見つかる、あたしと友美のお気に入りの店だ。

 小説のコーナーに向かうと、好きな作家の本が何冊か平積みにされていたが、どれも読んだことがある本だった。入院中や引きこもっている間、本を読むくらいしかすることがなく、母や友美がよく本を買ってきてくれていたので、好きな作家の本はほぼ読了済みだ。

 買い溜めしておくか。

 どうせまた、家でモグラのように暮らすのだ。本はいくらあっても困らない。新刊のコーナーにあった見慣れない作家の本を三冊選ぶと、レジへ向かった。

 財布からお金を出すのに苦労した。片腕のない生活もまだまだ慣れない。引きこもり生活ではあまり苦労は感じなかったが、これからはどんな状況下でも右腕だけで乗り越えなくてはいけない。嫌でも慣れていくのだろう。店員から購入した本を受け取ると、辺りを見渡す。

 友美はどこにいったのだろうか。

 漫画のコーナー、週刊誌のコーナーと友美が行きそうな所を探したが見つからない。なんだか面倒くさくなってこのまま帰ってしまおうかと思ったとき、参考書のコーナーで友美の姿を見つけた。

 そういえば、友美は大学に進学したいと言っていた。希望する大学の偏差値が高く、今の成績では厳しいとドア越しに嘆いていたのを思い出す。こんな時期から受験勉強しなければいけないのか。それなのに友美は、その時間を割いてまで、あたしに会いに来ているのだ。熱心に参考書を選んでいる友美を邪魔するべきではないと、その場を離れ、別の階で時間を潰すことにした。

 この本屋の一角には自販機やベンチの置かれた休憩所のようなスペースがある。そこでジュースを飲みながら友美を待っていると、無料のパンフレットが置かれた棚を見つけた。どうやら、高校や大学の入学案内のパンフレットのようだ。その中にひとつ、気になったものがあったので手に取ってみる。

「特別支援学校……」

 昔、テレビのドキュメント番組かなにかで観たことがある。特別支援学校とは身体障害者が通う学校のことだ。手に取ったパンフレットを見ると『花鳥風月』と書かれている。学校名だろうか。だとしたら、かなり変わった名前の学校だ。

 ふと、名前を呼ばれた気がして顔をあげると、遠くの方で友美が泣きそうな顔であたしを探しているのが目に入った。その姿がなんだか可笑しくて苦笑するが、上手く笑顔が作れなくなっている自分がいる。あたしは持っていたパンフレットを折り畳み、コートのポケットに詰め込むと友美のもとへ向かった。

 本屋を出るとファストフード店に入る。ここもよく友美と入り浸っていた店だ。ジュースとフライドポテトのみで何時間も居座っていた頃が懐かしい。店側にしたら大迷惑だっただろうけど。

「そういえばこの間、学校で創一くんに会ったよ。初めて顔見たけど、結構カッコイイじゃん。涼子がいらないなら、私が貰っちゃおうかな」

 あっけらかんと言う友美を、じろりと睨みつける。

「こ、こわっ。冗談よ。冗談」

「あたしはもう関係ないし、友美がそうしたいならそうすれば?」

 きっぱりと言うとストローを咥え、コーラを吸い上げる。ほとんど中身が入っていなかった為、ずるずるずるっと派手な音をたてた。

「創一くんね、涼子が連絡くれるまで、ずっと待ってるって言ってたよ。会ってあげたら?」

「いや」

「意地っ張り。本当はまだ好きなくせに」

 友美は意地悪な顔をしながら、小さな声で呟いた。その声はあたしの耳に届いていたが、聞こえないふりをして窓の外を眺めた。

 創一くんのことをまだ好きなのかどうか、もう分からなくなっていた。

 いっそのこと、あたしのことなんか忘れてくれた方が楽なのに。そんな思いは通り過ぎていく雑踏の中に紛れた。


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