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ミッシング・ピース  作者: ぱせ
六章 涼子
34/36

5


 翌日。もうすぐ夏休みは終わるというのに、この夏一番の暑さではないかと思う程の天気だった。じりじりと焼けるような日射しを浴びながら、あたしと琴里は校門に立っている。その理由は、黒木さんがまだ学校に来ていないからに他ならなかった。

「来てくれるかな」

 あたしの問いに、琴里はただただ道の先を見つめるばかりだ。頑ななまでの真っ直ぐな瞳は必ず来ると信じている証なのだろう。

 蝉時雨がいっそう激しさを増し、耳に突き刺さる。携帯電話で時刻を確認すると、間もなく十三時になりそうだ。来てくれないのだろうかと、不安ばかりが募る。

「交代するわ。涼しいところで休んでらっしゃい」

 柳井さんがあたしたちに冷えた缶ジュースを渡して言った。琴里はふるふると首を横に振って、ここで待ちたいと主張する。

「だーめ、熱中症になっちゃうわよ。それにもう体育館に心くんが来てるから、話でもしておいで」

 渋々了解した琴里とともにその場を離れ、体育館へ向かう。体育館の重い扉を開けると、冷たい空気が火照った体を冷ましてくれた。よく冷房が効いた館内には、校長先生の姿しかなかった。

「く、黒木さんは来たかね?」

 校長先生は珍しく、スーツ姿でめかしこんでいる。

「まだですけど、緊張してるんですか?」

 スーツがあまりに似合わないので笑いを堪えながら、訊ねると「うん」と子供みたいに言った。その仕草がなんだか妙にかわいい。顔は相変わらず恐いけど。

「みんな、舞台袖にいるよ」

 そう教えてもらい、舞台袖へ向かう。校内行事で使用するものかなにかで溢れた狭い舞台袖にアユムくんとひかりちゃん、そしてパイプ椅子に座り、ギターのチューニングをしている心くんがいた。

 しかし、あの心くんがよくライブをすることを了承してくれたなと思う。聞いたところによると、最初はきっぱりと断られたが何度もしつこく交渉し、最終的にはひかりちゃんの発した言葉『目が見えない私には、音楽くらいしか楽しみがないの』が、決め手となったらしい。

 ただし、一曲のみという条件付きだ。ライブが終了してから黒木さんが来たら、作戦は失敗する。なんとか時間を稼ぎたい。

「ライブ、もう少し待ってもらってもいいかな」

「なんでだよ、客はお前らだけだろ」

 しまった。ストレート過ぎた。

「……お前ら、なにか企んでないか?」

 怪訝な顔であたしたちをじろりと一睨みする。まずい。心くんが疑い始めた。なんとか誤魔化さないといけないが、もうすでにそんな雰囲気ではなくなっていた。みんな俯いてしまっていて、なにかを隠していることは火を見るより明らかだ。

 その時、静寂を切り裂くかのように携帯電話が鳴り響く。あたしの携帯電話が、ポケットの中で着信を報せていた。柳井さんからだ。

 通話ボタンを押して、耳に当てると黒木さんが来たとの連絡だった。

「わかりました。暫く外で待っていてもらって下さい」

 そう伝えて携帯電話を閉じると、あたしは決心して心くんを見据えた。

「ライブのお客さんは、あたしたちじゃないわ」

「どういうことだ?」

 動揺もせず、冷静に訊き返してきた。

「お客さんは、たった一人。心くんのお母さんよ」

 無表情な心くんの顔色が初めて変化する。大きな賭けだったが、その掛けは失敗したかもしれないと後悔した。浮かんだ表情は、喜びとは相対するものだったからだ。

「なに勝手なことしてんだよ! 誰が母親に会いたいなんて言ったんだ! 捨てられた子供の気持ちも考えないで余計なことするんじゃねえよ!」

 立ち上がり、大声を上げる。手に持っていた黒いギターが床にごとんと落ちた。

「黒木さんの気持ちも考えてあげてよ! あの人がどんな思いであなたを手放したと思ってるのよ! どんなに苦しい思いをしたか……!」

 言葉に詰まる。黒木さんの寂しそうな瞳を思い出して、また泣いてしまいそうだった。

「とにかく、俺は会わないから」

 舞台袖にある裏口から出ていこうとする。

「もっと素直になればいいじゃない! 自分の本当の気持ちから逃げないでよ! 黒木さんは子供を手放した自責の念にさいなまれていたけど、我が子に罵倒されるのも辞さない覚悟で今日来てくれたの! それは心くんに会いたいという素直な気持ちから逃げなかったからよ!」

 あたしの言葉によってなのか、それとも車椅子のアユムくんが裏口のドアの前で行く手を塞いだからなのかはわからないが心くんが足を止めたので、あたしはさらに言葉を継いだ。

「本当はお母さんに会いたいくせに……!」

「馬鹿いえ。十五年もほったらかしにされて、いまさら会いたいわけがないだろう」

 こちらに向き直り、冷たい瞳を突きつける。

「そんな悲しい嘘はやめて」ひかりちゃんが悲壮な声で心くんの言葉を否定した。

「嘘だと?」

「そうよ、だっていつもお母さんの曲を歌っているじゃない。ストリートライブをしていたのも、もしかしたらお母さんの耳に止まるかもしれないと思ったからでしょ?」

 ひかりちゃんの鋭い指摘に、心くんはなにも答えずに目を伏せた。図星だったのだろう。いつか母親が聴いてくれるかもしれないと、路上で歌い続ける姿を想像すると、なんだか胸が詰まる。

 そんな思いとは裏腹に、心くんは床に転がっているギターに近づいていくと憎々しげな視線を向け、つま先でこつんと蹴飛ばした。

「これ、母親が残していったものなんだ。こんなもの、もういらないから返しておいてくれないか」

 その言葉と行動に不穏なものを感じ、「どういうつもりよ」と睨みつける。

「それと、伝えておいてくれよ。俺なんて、生まれてこなければよかったって」

 お腹の辺りから脳天へと、かっとしたものが突き抜けた。本心で言っているのならば許せない。いや、例え本心ではなくても許せない。あたしは無意識に右手を振り上げていた。

 ぱんっと乾いた音がした。

 だが、あたしの手は振り上げたまま止まっている。あたしよりも先に心くんの頬を平手で張ったのは、意外なことに琴里だった。

 琴里は心くんをじっと見据えたまま、ぽろぽろと涙を流していた。

「……とりあえず、黒木さんには体育館の中でライブが始まるまでずっと待ってもらう。でも心くんが本気で会いたくないなら、もういいよ。勝手にそこの裏口から逃げだせばいい」

 あたしはそう言い捨てると、泣いている琴里の肩を抱いてその場を後にした。

 きつい言い方をしてしまったかもしれないと、少し後悔した。心くんの気持ちを考えないで、勝手なことをしたのも事実だ。でも、こうでもしないとあの母子は一生すれ違ったまま、会えない気がするのだ。

 四人で体育館の入り口まで移動すると硬い表情の黒木さんがいた。その横には緩んだ顔をした校長先生がいる。

「お久しぶりです」

 ひかりちゃんが嬉しそうに声を掛けると、黒木さんは驚いた。

「もしかして、ひかりちゃん?」

「はい」

「なるほど」

 微笑みを浮かべてこちらを見た。あたしたちが事情を色々と知っていた理由が判ったからだろう。

 とにかく、中に入ってもらうことにする。舞台の前にはパイプ椅子が一脚だけ置かれていて、それはもちろん黒木さんの席だ。

「始まるまで、少し時間がかかるかもしれません。それでも待っていてくれますよね?」

 椅子に腰掛けた黒木さんにそっと訊ねると、何かを察したのかゆっくりと頷いた。相当な決心でここにいるのだろう。強い瞳にゆるぎない意志を感じた。

 あとは心くん次第だ。あたしたちは体育館の壁際に並んで待つ。舞台袖にまだ心くんはいるのだろうか。それとも、すでに裏口から出て行ってしまっただろうか。それをここからでは窺い知ることはできない。


 十五分が経過した。

 舞台上に置かれた椅子は無人のままだ。それでも、黒木さんはその無人の舞台から目を逸らすことはない。

 規則的な空調の音、外からわずかに聴こえる蝉の声。そして、一向に事が進展しないその風景は、まるで同じ時間が何度も繰り返されているかのようだ。ゆっくりと進んでいく時計の針だけが、それが錯覚であることを示してくれる。

 信じてずっと待っていてくれる人がいるのだから、もっと素直になったらいいのに。何も恥かしいことではない。『意気地なし!』と心の中で罵ってみるが、それは自分に跳ね返ってくる。あたしも一緒だ。大好きな人がずっと待ってると言ってくれたのに、未だに素直になれていない自分。実は、創一くんにはまだ連絡できずにいた。

 軽く頭を振って、もやもやしたものを振り払う。

 それから、さらに十五分。

 さすがに不安が湧き上がる。ちゃんと説得すれば良かったのだろうかと、そんな思いが頭の中をちらちらと過ぎっては消えていく。

 今からでも遅くはない。説得しに行こうかと一歩前に踏み出したが、それを察した誰かによってシャツの袖をぐっと掴まれ、阻止された。

 振り向くと、琴里だ。静かに首を横に振っている。信じて待てと、そういうことだろう。あたしは頷くと、踏み出した一歩を元の位置に戻した。

 それにしても、琴里の人を信じる力はどこからくるのだろう。正直、世の中は信じるだけでは生きていけない。でも、不思議だ。琴里の信じたものは、必ずその通りになるのだ。

そして、今回も。

 あたしは安堵の息を洩らす。恐らく、笑みも零れていただろう。

舞台上に響くゆっくりとした足音。舞台袖から、黒いアコースティックギターを抱えた心くんが現れたのだ。

 食い入るようにその姿を見つめる黒木さんだが、心くんは照れているのか、強がりなのか、目を合わせようとはしない。そして舞台中央に置かれたパイプ椅子に無造作に腰掛けると、ギターを膝の上に置き、左手でネックを掴む。

 暫く、俯いたまま固まった。ピックを持つ右手が震えている。緊張しているのが、こちらにも伝わってきた。

 やがて、大きく息を吐きだすと弦を静かにストロークし、演奏が始まった。柔らかなギターの音色に空調の音も、蝉の声も飲み込まれていく。心くんは息を吸い込み、少し低めの声で歌い始めた。この曲を選ぶだろうと、誰もが思っていた。

『ミッシング・ピース』だ。

 心くんの歌声を初めて聴いた時とは、明らかに違っていた。以前は、寂しさや悲しみが込められた静かな叫びのようだったが、今この体育館に響いている歌声は、聴く人に安心感を与える優しい歌声だ。

 ミッシング・ピース。失くした欠片。人は何かを失いながらも前に進む。何かを失いながらも強くなっていく。何かを失いながらも生きていく。そんな、勇気をくれる歌詞だ。

 黒木さんは涙を流しながら聴いていた。声を出して泣いてしまうのを、口をハンカチで押さえて必死で堪えている。それでも、一瞬たりとも心くんからは目を離したりはしなかった。

 空気を震わせるギターの余韻が高い体育館の天井に吸い込まれて消えた。

 たった一曲。時間にしておよそ五分。わずか五分で、十五年の溝が埋まったような気がしたのは、あたしだけだろうか。

 ささやかな沈黙があり、俯いていた心くんは立ち上がるとギターを椅子の上に置く。そして、スローモーションのようにゆっくりとした動作で視線を黒木さんへと向けた。

「俺の歌声は、ちゃんとその耳に聴こえたかな」

 黒木さんも立ち上がり「ええ、聴こえた」と答える。

 心くんは舞台正面の階段を一段ずつおぼつかない足取りで下りていく。

「俺の姿は、ちゃんとその目に映ってるかな」

「映ってるわ」

 階段を一番下まで下りきると足を止めた。すると顔を歪め、ぼろぼろと大粒の涙を零しながら言った。

「俺、あなたの息子でいてもいいかな……」

「こんな母親だけど、いい?」

 心くんは嗚咽を漏らして、大きく何度も頷く。

「母さ……」

 黒木さんのもとへと駆け寄ろうとした足が膝からがくんと崩れ落ち、床に倒れ込む。その音が館内にやたらと大きく反響した。

「心!」

 倒れた心くんに、真っ先に駆け寄ったのは黒木さんだった。

 あたしは状況がよく飲み込めず戸惑い、立ちすくむ。琴里が駆けていく後姿と、「校長先生、救急車を!」と叫ぶ柳井さんの声で、心くんの病気が悪化したのだと気付いた。

 震える足で、琴里に続いて駆け出す。

 どん、どん、と心臓が激しく胸を叩く。心くんの倒れた場所までほんの数メートルにも拘らず、ひどく遠くに感じる。途中で足がもつれて転びそうになりながらも、なんとか辿り着くと、仰向けの心くんを黒木さんが抱きかかえていた。その周りをあたしと琴里と柳井さんが囲む。呼吸が苦しそうだが、意識はあるようだ。

 救急車はまだ来ないのか。まだ一分か二分しか経っていない。いくらなんでもそんなに早く来ることがないのは分かっている。それでも、助けを求めるように入口の方へ視線を向けると、入口の辺りで慌てた様子で電話している校長先生、車椅子に座ったまま祈るような姿勢で泣いているアユムくん。その横で床にへたり込んでしまっているひかりちゃんが、涙で霞む視界にぼんやり見えた。

「母……さん?」

 か細い声がしたので再び視線を戻すと、心くんが懸命に手を伸ばしていた。力のこもっていないその手を黒木さんが両手で包みこみ、自分の頬に当てる。

「ごめん、ごめんね……。健康な身体に産んであげられなくて……。だめな母親でごめんね……」

 泣きじゃくりながら、自分を責め続ける黒木さん。その言葉を否定するように力なく首を横に振る心くん。

 もし、神様がいるのなら、なぜこんな仕打ちをするのだ。せっかく会えた母子をまた引き裂くつもりなのか。それが悔しくて、あたしは右手を目いっぱい強く握りしめる。爪がジーンズ越しに太腿に食い込んだ。

「……いや……」

 この場にいる誰とも一致しない、聞き慣れない声がした。

「死んじゃいやだぁっ!」

 驚いたことに、泣き叫ぶその声の主は琴里だった。琴里の声が戻ってきたのだ。よく通る澄んだ声は、体育館に大きく響き渡る。

 その声に反応した心くんが、うっすらと目を開くと、柔らかな光を宿した瞳で琴里を見つめる。

「……きれいな、声だな」

 そう言って、笑った。

 穏やかな顔で、優しい顔で、幸せそうな顔で笑ったのだ。

 昔、誰かが『人は笑うために生きている』と言った。

 その言葉が正しいのなら、もういいじゃないか。笑顔を手に入れた心くんを助けてくれてもいいじゃないか。悲しいことは、もうたくさんだ。

 だが、その対象の定まらない言葉は誰に届くこともない。

 体育館の高い窓から射し込んだ真っ直ぐな光が心くんの顔を撫でると、ゆっくりと瞼が閉じられた。

 いつの間にか止んでいた蝉たちの喧騒が耳の奥へ流れ込んでくると、まぼろしのような時間が終わったことを告げるチャイムの音が校舎から聴こえた。


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