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ミッシング・ピース  作者: ぱせ
五章 心
26/36

2


 今日もまた、いつもの場所で弾き語りを行っていた。相変わらず薄暗い一角は、そこだけが時間の流れから取り残されたようにゆったりとした空気が漂っている。今日はいつもとは違い、目の前で嬉しそうに視線を送ってくる女の子も、遠くで退屈そうな視線を送ってくる女性もいない。いるのは眠そうな目をした少年のみだ。

 五メートルほど離れた距離が二人の間に存在する壁の厚さでもある。きっと、話し掛けられたくないのだろう。それはこちらも同じだ。彼とは自分と同じ匂いがする。人との関わり合いが煩わしく、世間から切り取られた存在。そういう人間同士は気が合うかと思われがちだがそうでもない。どちらからも接触しなければ二人の距離は縮まらず、平行線のままなのだから。

「なあ」

 ふいに声がした。眠そうな目の少年に声を掛けられたのかと思ったがそうではない。少年は驚いた顔でこちらを見ていたからだ。声の主は俺だった。なぜ、話し掛けたのだろうか。話すきっかけを作った本人が黙っているのもおかしいので、仕方なく思ったことをそのまま口にしてみた。

「なんで、俺の歌なんか聴きに来るんだ?」

 その問いに少年は表情を変えずに「ついでだよ、用事は他にある」と呟いた。

「用事って、こんな夜中にか?」

 明らかに自分よりも年下の少年が、夜中になにをしているというのだ。夜中に遊び回るような不良少年にも見えない。訝しげな視線を向けると少年は空を見上げた。釣られて俺も空を見上げる。雲ひとつない綺麗な星空が広がり、少し欠けた月が鈍い光を放っている。

「星を探してる」

 その答えに少年の顔へと視線を戻した。気取った比喩だと俺は眉をしかめる。しかし、その言葉は比喩などではなく、そのままの意味だと分かった。

「流星を探してるんだ」


 少しだけ話をすることになった。

少年は自分よりも一つ年下で『穂村』と名乗った。穂村は俺と同じように植え込みの前に腰を下ろすと、また空を見上げる。

 その表情はただ単に星が好きだからというものではなく、強い意志を秘めたもののように感じられた。

「なんで流星を探してるんだ?」

 俺はギターをケースにしまいながら訊ねてみる。

「願い事をするためだよ」

 穂村は空を見上げたまま答えた。

 流星に願い事。確かに流星に願い事を三回すると願いが叶うという有名な逸話がある。しかし、当然そんなものに明確な根拠などなく、本当に願いが叶うわけもない。そのような乙女チックな噂を本気で信じているのだろうか。

「でも、流星の発光時間なんて、ほんの一秒程度だろ。願い事をする時間なんてあるのか?」

 我ながら夢のない現実的な言葉だ。夢見がちな人間に現実を突きつけると、途端に機嫌が悪くなることがある。不用意な発言をしてしまったかと思ったが、穂村は顔色一つ変えなかった。

「普通の流星はそうだね。一晩中空を見ていれば、いくつも見ることができるよ。でも、ごく稀に数秒にわたって発光し続ける流星があるんだ。ぼくが探してるのはそれさ」

 そんな流星があるとは初耳だった。そもそも俺は普通の流星すら見たことがない。のんびりと空を見上げるなんてしたことがないからだ。

 俺も穂村と同じように夜空に目をやって流星を探してみる。真っ暗な空にいくつか光の粒のような星が瞬いているが、星が流れる気配はない。

 暫くの間、ぼんやりと眺めていると見覚えのある並びの星を確認できた。

「あれって、北斗七星だよな」

 そう言って、北東の空を指差す。気の遠くなるような場所にあるものに指を差すのは、なんだか愚かな行為にも思えたのですぐに手を降ろした。

「そうだよ、有名だね」

 穂村は自分の胸の辺りを指でトントンと叩いた後、その指を俺の代わりに空へ向けて指差す。

「北斗七星のカーブをそのままのばすと、東の空にオレンジ色の星が見えるだろう? あれが、うしかい座のアルクトゥルス」

 なぞるように動かす指を目で追うと、確かにオレンジ色の星を確認できた。

「カーブをさらにのばすと、おとめ座の白い星スピカ。アルクトゥルスとスピカにデネボラを結ぶと、大きな三角形になるだろう? これが『春の大三角形』だよ」

 穂村の示した三つの星が線で結ばれ、夜空にきれいな三角形が描かれた。

「詳しいな」

「受け売りの知識だよ」

 微笑んでいるのか、悲しんでいるのか、どちらともとれる曖昧な表情を穂村は見せた。

「知り合いに天体に詳しい人でもいるのか?」

「うん。母親がね」

 身体がびくんとなる。母親の話をすることなんて日常会話では普通のことだ。それなのに『母』というキーワードは胸の奥に棘が刺さるようなシクシクとした痛みを与える。

「いつもベランダで夜空を見上げながら、星の話を聞かせてくれる優しい母親だった」

 穏やかな顔で穂村は言ったが、『だった』という言い方に不穏なものを感じとる。穂村の母親はすでに過去の人なのだと、短絡的にそう思った。

「いないのか、もう」

 また余計なことを口にしてしまう。今日の俺はどうもおかしい。なぜこんなにも饒舌なのだろう。

「いるけど、いないって感じかな」

 意味不明な回答に俺は首を傾げる。続く言葉を待ってみるが、穂村は言い淀んでいるようだった。

「話したくないなら話す必要はねえよ。相談に乗ってやれるほど聴き上手でもないし、それほど興味もない」

 そう言い放つと、穂村は驚いた表情の後に軽く噴き出して笑った。

「なんだよ」

「いや、はっきり言うんだなと思って」

 曇った顔に笑顔が戻ったことで妙な安堵感があった。この感覚を俺は知らない。

「ぼくの母親は遷延性意識障害でずっとベッドの上なんだ」

「せんえんせい……?」

 突然出てきた難しい言葉に戸惑う。

「簡単に言うと、植物状態ってことだよ。もう三年も意識がない」

 遠くの方で歓声が上がる。穂村の言葉で上がった歓声ではないことは分かっているのに、なぜか不快な気分になった。駅の入り口辺りで騒いでいる連中を睨みつけるように眺めるが、向こうはこちらの存在にすら気付いていないだろう。

「すまん。辛いことを話させたな」

「話さなくていいって君は言ったのに、勝手に話したのはぼくなんだから謝ることはないよ。それに」言葉を詰まらせると、また笑顔が消えた。「辛いのは母さんだ。ぼくが我儘を言わなければ」

「我儘?」

「誕生日に天体望遠鏡を買ってもらう約束をしていてさ、カタログを見たりしてどの天体望遠鏡を買ってもらうか入念に選んだんだ。誕生日の前日なんて、わくわくして眠れなかったよ」

 自分には経験のないことだ。親に何か買ってもらったことなど当然ない。俺はちらりとギターケースに目をやる。唯一、親にもらったものと言えば、このギターだろう。これは母親が使っていたものだ。とても大切にしていたらしいが、俺の為に置いていったのか、それともただ単に忘れていっただけなのか定かではない。

「でも」

 穂村の声がしたので会話へと意識を戻す。

「母さんが買ってきたのは違う望遠鏡だった。性能もデザインもほとんど変わらないからその望遠鏡でもいいのに、ぼくは何が気に入らなかったのか、取り替えてきてくれって言っちゃったんだ」

 小さな頃にはよくあることだろう。デパート等で子供が駄々をこねて親を困らせている場面をよく見かける。それと同じだ。

「強い雨が降ってる日でさ、視界が悪かったんだろうね。店に望遠鏡を取り替えに行く途中で母さんは車にはねられた」

「それで、意識不明に?」

「ぼくが我儘を言わなければ、あんなことにはならなかった」

 穂村は首をもたげて肩を震わせている。その顔に浮かぶのは後悔、苦痛、自己嫌悪といった十二歳の少年には似つかわしくない黒々としたものだ。どうしたら彼の気持ちを少しでも楽にしてやれるのか。そんな考えが頭をよぎる。できるだけ人と関わらないように生きてきたのに、どうしてそんなことを思うのだろう。やっぱり今日の俺はおかしい。

 溜息をひとつ吐くと、口を開いた。

「責任を問いだしたらきりがないだろ。確かにお前の我儘で母親は外出したけど、雨が降ったのはお前のせいか? 事故を起こした運転手が前方をよく確認しなかったのはお前のせいか? 違うだろう?」

 穂村は黙って耳を傾けている。

「お前がなにを背負いこもうが俺の知ったこっちゃないけどさ、何もかも抱え込んで何かが変わるのかよ。お前が苦しむことで母親が目を覚ますわけでもないだろう?」

 少しだけ語気に熱がこもった。なぜ感情的になっているんだ。こんな説教っぽいことを言えるような人間じゃないだろ、俺は。

 うなだれて頭をぼりぼりと掻いていると、思いもよらない言葉が隣から飛んできた。

「ありがとう」

 何を言われたのか、一瞬理解できなかった。それが言われ慣れない感謝の言葉だと分かると、今度はぎょっとしてしまった。

「なんだか、ほっとした。今まで、ぼくに同情して当たり障りのないことしか言わない人ばかりだったけど、はっきり言ってもらえて救われた気がするよ」

 身体の芯にむずがゆい感覚がある。これはなんだろう。

 穂村はまた穏やかな顔に戻っていた。そして再び空を眺める。

「もしかして、お前が流星に願いたいことって」

「うん。母さんが目を覚ましますようにってね。そんなことしたって無駄だってことは分かってるけどさ、ぼくにはこれくらいしかできないから」

「母親の為に何かできるだけでもいいじゃないか」

 そう呟くように言うと、穂村は不思議そうな顔をした。

「俺には両親がいないんだ。父親は生まれてすぐに死んだし、母親は俺を捨てて逃げた」

 できるだけ明るい口調で言った。同情などされたくない。

「そうなんだ……」

「だから、お前のことが少し羨ましいと思った。俺は親に我儘を言ったこともないし、親の愛情がどういうものかも知らないしな」

「恨んでる? 母親のこと」

「どうかな」

 曖昧な返事をすると俺は立ち上がり、伸びをした。周りを見渡すと、ストリートミュージシャンやそれを囲む人々の数はまばらになっている。

「俺の歌のどこがいいのか分からないけど、また聴きに来いよ。流星を探すついででもいいからさ」

「もう、来れないよ」

 意外な返答に座ったままの穂村をちらっと見ると、残念そうな顔で膝を抱えていた。

「こっちにいるのは春休みの間だけだから」

「この街の人間じゃないのか」

「うん。明日帰るんだ」

「そっか」

 俺はギターケースの取っ手に右手の指を掛け持ち上げる。ずしっとした重みを確かめると左手を軽く上げて「じゃあな」と素っ気ない挨拶をした。そして、一度も振り返らずにその場を立ち去った。穂村はこの先もきっと、流星を探して真夜中の街を歩き続けるのだろう。それはとても悲しいことのように思えた。

 それにしても今日はおかしな日だ。会話らしい会話をしたのは久しぶりで、なんだか疲れてしまった。

でも、たまにはこんな日があってもいいかもしれない。東の空に目を向けると、春の大三角形が静かに瞬いている。

 星空を眺めながら、のんびりと帰路を行くのは案外悪くないものだ。


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