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ミッシング・ピース  作者: ぱせ
四章 ひかり
23/36

5

 後に知った地震による被害の大きさに愕然とした。都市の直下で起こった震度七の地震は、およそ五千人の命を奪い、負傷者は四万人に及んだ。

 しかし、変わり果てた街の姿を、私は見ることはなかった。角膜を損傷して両目ともに失明していたからだ。恐らく、私に降り注いだステンドグラスの欠片が原因だと思う。

 私の瞳にはもう何も映ることはなく、一生闇の中で暮らしていくのだろう。そんな、絶望してもおかしくない悲劇に見舞われたにも拘らず、私は不思議と冷静だった。

 救助されてから五日が経過し、私は病院のベッドでぼんやりとしていた。黒木さんと翼くんのことを思い出していたのだ。

 黒木さんは喫茶店を開店する知人の手伝いをしに行くと言って、昨日この街を去っていった。そのまま向こうに住むと言っていたのでこの街にはもう戻ってこないだろう。最後まで私のことを気遣ってくれていた優しい黒木さんに、もう会えないと分かるとなんだか寂しい。

 翼くんは元々、この街には母親と一緒に里帰りしに来ていただけだったらしい。だが、あの地震で母親と祖父母を亡くした。父親は生まれた時から行方知れずだと言っていたので、実質翼くんは一人きりになってしまったことになる。彼はすでに住んでいた街へと帰っていったが、黒木さんが気になることを言っていた。翼くんが火事で全焼した家をじっと見ていた、と。その行動にどんな意味があるのかは分からなかったが、少し気掛かりではあった。

「ひかり、着替えとか持ってきたよ。もう、家の中ぐちゃぐちゃで大変だったよ」

 疲れ気味の姉の声がした。その後ろからは父と母の声も聞こえた。

 私の家は半壊状態らしい。しかし、幸いなことに家にいた父や姉、ジロも無事だった。母とは震災直後には連絡がつかなかったが、今朝になってようやく無事が確認でき、私のもとへと来てくれた。

 私は一つの決意をしていた。そして、その決意をはっきりと口にした。

「私、ピアノやめる」

「え」

 その言葉に反応したのは、母だけだった。

「もう、目が見えないし、弾く自信がないの」

「でも、ひかりはいつもピアノを弾く時、目を閉じてるじゃない。鍵盤の位置なんて身体で憶えてるでしょう?」

「お母さん、目を閉じて弾くのと、目が見えないのとでは違うんだよ」

 それだけ言うと、さすがに母は何も言えなくなり、暫く考え込んでから出ていってしまった。去っていく足音が寂しそうに感じたのは気のせいだろうか。

「あの人、この状況でまだピアノのレッスンのこと考えてたのね。最低」

 姉が母を非難するような口調で言うと「あまり悪く言うのはやめなさい」と父がそれを咎めた。

「どうしてかばうの? だってひどいじゃない、あの人」

「やめなさい!」

 父の強い声に驚いた。普段は温厚な父のこんな声は聞いたことがない。この病室は個室ではない為、周りにいた入院患者達も驚いて部屋の中が一瞬、しんとなった。

 父は気まずそうに咳払いをすると、ベッド横のパイプ椅子に腰掛ける。

「母さんが本当に子供のことを考えずに厳しいレッスンをしていたと思うか?」

「違うの?」

 私の目では表情は当然窺えなかったが、顔を父の声がする方に向けた。

「憶えていないかもしれないが、ひかりはピアノを習い始めた時にこう言ったんだ。『プロのピアニストになって、世界中で演奏したい』ってな」

「私が?」全然、憶えていない。

「だから、母さんはひかりが世界でも通用するようなピアニストにしようと必死だった。決して、自分の夢を子供に課したわけじゃない。子供の語った夢を実現させてあげたかったんだ。例え、それで子供に恨まれたとしてもな」

 父の話に、黒木さんの言葉が鮮明に思い出された。『子供の為なら自分が傷つくのも厭わないし、子供の為なら鬼にでもなる。それが母親よ』私の母も例外ではないと、そういうことだろうか。

 そして父は、母の過去についてぽつりぽつりと話し始めた。

「母さんも小さな頃からピアノを習っていたんだ。レッスンは厳しかったそうだが、ひかりと同じ歳の頃には、幼いながらも将来有望だと注目されていたらしい」

 そういえば、母がピアノを弾いていた頃の詳しい話を聞くのは初めてだ。ピアニストになる夢を諦めたとしか聞いていない。

「でもな、ある時にこう思ったそうだ。『もっと楽しく、自由に弾きたい』って」

「あ」

 思わず声が出た。私と同じだ。母も同じように考えていたのだ。

「それ以来、厳しいレッスンをやめて、楽しく、そして自由に弾くスタイルに変えた」

「うん、うん」

 私はベッドから身を乗り出すようにして話の続きを促す。

「その結果、母さんの演奏の評価は地に落ちた」

 淡々と話す父の意外な言葉に固まってしまう。「どうして?」消え入りそうな声が無意識に出た。

「趣味で弾くピアノならば、それでいいのかもしれない。でも、プロの世界っていうのは楽しいだけでやっていけるほど甘いものじゃない。努力なしでは成功しないんだよ」

 父が教え諭すように言うと、私は身体の力が抜けていくのを感じた。私は間違っていた? 私の考え方はピアニストとして相応しくないのだろうか?

「じゃあ、お母さんが私に厳しくしていたのは……」

 父は深呼吸をするように間を置いて言った。

「我が子が苦しんでいるのを知りながら、それでも厳しく接しなければいけない母親の辛さを、二人ともよく考えなさい」

 パイプ椅子から立ち上がる音と足音で、父が病室から出ていったのが分かった。

「そういうことか」

 姉が思い出したように言うので「何が?」と訊いてみる。

「昔、親戚のおばさんに聞いたことがあるのよ。あの人の最後のステージのこと」

「最後のステージ?」

「うん、十二歳の時にコンクールで演奏中にピアノが急に弾けなくなって、ステージの上で泣きだしたんだって。途中までは楽しそうに弾いてたけど、客席から落胆するような溜息が聞こえたと思ったら突然、ね」

 ステージの上で泣きだす。その場面を私は見たことがあるかもしれない。確かあれは、過労で倒れた時だ。モノクロの無声映画に似たあの光景。そこにいたのは私ではなく、幼い頃の母だったのだろうか。だとすれば、なぜ母の記憶が私に見えたのか。母の強い想いが私に間違いを報せようとしたのではかいかと、そんなふうにも感じられる。

「きっと、ピアノを弾くのが怖くなったんだね」

 姉はどことなく悲しそうに呟くと、私の髪の毛をブラシで梳かし始めた。私の髪の乱れが気になったのだろう。姉は性格に似合わず几帳面だ。

「ひかりはどうするの? 本当にピアノやめるの?」

 普通に弾く分には問題はないだろうが、美しい演奏はできそうにない。ピアニストとして、これ以上の高みは目指せないだろう。盲目のピアニストとして成功するなんて、漫画や映画の中か、もしくは一部の才能のある人の話だ。それならばいっそ、もう弾くのはやめてしまった方がいい。その方が未練も残らないだろう。

「うん、やめる。せいせいするわ」

 そう言って、ベッドに仰向けに倒れ込むと姉は笑った。精一杯の強がりだとばれている。


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