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ミッシング・ピース  作者: ぱせ
四章 ひかり
22/36

4

 一体どれくらいの時間が経ったのだろう。気が付くと私は暗闇の中にいた。ここはどこだっけ? 少なくとも自宅のベッドの上ではない。起き上がろうとすると、ゴツンと額をなにかに打ちつけてしまう。随分狭い場所にいるようだ。

 朦朧とした意識がはっきりとしてくる。そうだ、教会でピアノを弾いていて地震が起きたのだ。尋常ではない揺れ方を思い出し、身震いした。

 硬い床の上に横たわっていたせいか、身体が所々痛い。怪我もしているかもしれない。擦り傷の、ひりっとした痛みや打撲の鈍い痛みが手や足にある。目や口の中も痛い。目の辺りを手で触ってみると濡れている。涙が出ているようだ。

 周りの様子を窺って見るが、光が一切ない真の闇だった。手や足で周辺を探ってみるが、瓦礫か何かで囲まれており、脱出はできそうにない。生き埋めの状態だと解かり、恐怖心が急激に襲ってくる。

 どうしよう。救助は来てくれるのだろうか。いや、待っていても仕方ない。自分の存在を外へ伝えないと。

「誰か、いませんか!」

 できる限りの大声を出してみるが、外へ届いているようには思えない。四方の瓦礫によって全ての音が遮断されてしまっているのだろうか。絶望的な気持ちになった時、洩れるような声が聴こえてきた。

「ここに、いるわ」

 女性の声だ。左側の瓦礫の隙間から聴こえてくる。そういえば、教会には私の他にも二人の人物がいたのだった。女性の無事は、たった今確認できたが男の子はどこだろう。

「あの、男の子がいたはずですけど、大丈夫でしょうか」

 女性と一緒にいるかもしれないと思い、訊ねてみる。

「こっちにはいないわ」

 心配そうな声が返ってきた。まさか、瓦礫の下敷きになってしまったのでは、と恐ろしい想像をした時だった。

「おれ、ここにいるよ」

 男の子の声だ。女性とは反対側の瓦礫の隙間から聴こえた。

「よかった、無事だったんだね。怪我はない?」

「うん、平気」

 ほっと安堵の息を洩らす。しかし、安心してもいられない。なんとかこの危機的状況から抜け出さなければ。

「どこか、外に出られそうなところはないですか?」

 一人でも外に出ることができれば、救助を呼びに行ける。私は僅かな望みを託して二人に訊いてみた。

「こっちは駄目ね。完全に閉じ込められてる」

「ここも同じだよ」

 どうやら、三人とも同じような状態のようだ。やはり救助を待つしかないのか。

「そうだ、携帯電話。誰か携帯電話を持ってませんか?」

「残念だけど、圏外だわ」女性の声と携帯電話を折り畳む音がした。

「そう、ですか……」

 もう打つ手がない。全員がここから出るのは無理だと悟って黙り込んでしまった。

私は手を伸ばし、指先に触れたものを触ってみる。ツルツルとした平らな物体だ。これは、ピアノ? 私はピアノの下にいるようだった。

「変だな」

 呟くように言うと、女性にその声が聴こえたらしく「どうしたの?」と訊かれた。

「私、ピアノの下にいるんです。ピアノの下に逃げ込んだ記憶なんてないのに」

「ああ」と思いだしたように言う。「地震が起きた時、あなたの上の壁が崩れるのが見えたから、助けようとして咄嗟に突き飛ばしたの」

「そうだったんですか」

 そう言えば、意識を失う直前に掛け寄ってくる足音を聞いた気がする。自分の身を守ることで精いっぱいだったあの状況で他人に目がいくなんて、さすがに大人はすごい。

「ありがとうございます、命の恩人ですね」

 ピアノの下にいなければ、瓦礫に潰されていただろう。女性は「素敵な演奏を聴かせてもらったお礼よ」と優しく笑った。


 それから二時間余りが経過した。時間に関しては女性が携帯電話で確認してこまめに教えてくれる。時刻は十六時を回ったところらしい。

 ぐらぐらと地面が揺れるのを感じた。三回目の余震だった。

「外はどうなってるのかなあ」

 男の子が言った。そうなのだ。地震はこの教会内だけで起きたわけではない。街はどうなっているのだろう。そして、気掛かりなのは家族のことだ。父や母、姉やジロは無事なのだろうか。向こうもきっと、私のことを心配しているはずだ。

 不安だけが募っていく。それはきっと三人とも同じなのだろう。やがて誰も口を開かなくなった。

暫く静寂の中にいると、また余震があった。息を呑んで揺れが収まるのを待つ。二人もそうしているのが瓦礫越しに伝わった。揺れに対して敏感になっている。今回の余震は少し大きめで瓦礫の欠片がパラパラと掌に落ちてきた。

 嫌な予感が脳裏をよぎる。奇跡的に瓦礫の隙間に私たちはいるわけだが、それはとても危ういものではないのか。私の頭の中には崩れかけのジェンガが連想された。もし、大きな揺れで一カ所でもバランスが崩れたとしたら。そう思った時、左側で大きな音がして首をすくめる。

 みしっという木が軋む音だ。音の正体を確かめる為、暗闇の中を手で探ってみるとピアノの脚に手が触れた。恐る恐るピアノの脚を指の感触だけを頼りに調べてみてぞっとした。脚にヒビが入っている。ピアノの上に積み重なっているであろう瓦礫が重すぎて、ピアノが耐えられなくなっているのだ。

 死へのカウントダウンが始まったような、そんな気がしてならない。

「十八時になったわ」沈黙を破ったのは、女性だった。「何か、話でもしようか」私や男の子を元気づけようとするかのような張りのある声だった。

「何を話すんですか?」

「何でもいいわ。世間話でもしてた方が気が紛れるでしょ」

「そういえば、まだ名前も知らないね、おれたち」

 男の子の的確な言葉に私と女性は「あ、そうだった」と苦笑する。

「おれ、遠藤翼です」

「私は有村(ありむら)ひかりです」

「……黒木(くろき)よ」女性は名字だけを名乗った。

 何を話したらいいものかと考え込んでいると、黒木さんがそれを察したのか切り出した。「学校や、友達の事とか教えてくれないかな」

「おれ、親友がいるよ。肝心なところが抜けてるけど、いい奴なんだ」

 翼くんが自慢げに話す。

「親友か、いいな。私なんてずっとピアノばかり弾かされてきたから、友達なんていないよ」

「ピアノが友達なのね」

 ピアノが友達。考えたことも無かったが、確かにそうかもしれない。時には愛おしかったり、時には憎らしかったり、それは友情に通じるものがあるのではないか。

「でも、やっぱり人間の友達がほしいですよ」

「それもそうね」

 三人ともが噴き出すように一斉に笑った。

「黒木さんは、お子さんとかいないんですか?」

 その場の会話の流れで発した、何気ない質問だった。しかし、黒木さんは言葉に詰まって黙り込んでしまう。してはいけない質問だったのだろうか。

「いたけど、もう会えないから」

 消えてしまいそうな、か細い声だった。そして、『いた』という過去形の言葉が悲しい気持ちにさせる。

 しんとした空気に気付き、黒木さんは明るく言った。

「あ、別に子供が死んじゃったとかじゃないから、気にしないでね」

 少しほっとする。でも、子供に会えないとはどういうことだろう。私の両親のように離婚してしまって、親権を父親側に取られたとかだろうか。最近見たドラマがそんな内容だった。

「その話、詳しく聞きたいって言ったら困りますか?」

「え」黒木さんは困惑する。「きっと、退屈な話よ?」

「聞きたいです」

「おれも聞きたい」

 黒木さんは暫く考え込んだ後、躊躇いがちに口を開いた。

「私ね、昔は歌を歌っていたの」

「歌手だったんですか?」

「ええ、自分で作詞作曲したデビュー曲が結構売れてね。その曲のおかげで少しだけ有名になったわ。もう十年以上前のことだけど」

「すげー、有名人なんだ」翼くんが声を弾ませる。

「すごくなんてないわ。その後は曲を出しても泣かず飛ばずでね。まぐれだったのよ、きっと」

 過去を懐かしむようなその口調は、決して後ろ向きな話し方ではなく、楽しかったことを思い出す口ぶりだ。

「結局は結婚を機に歌手を引退したわ」

「後悔や未練はなかったんですか?」

「なかったわね。歌手になるのが夢で、その夢を叶えることができたのは嬉しかったけど、別の夢ができたから」

「別の夢?」

「ええ、『素敵な母親になる』っていう夢ができたの。引退する時ね、もうお腹には赤ちゃんがいたんだ」

 夢を語る黒木さんは大人の女性というよりも、少女のようで可愛いなと感じた。そういえば私も、今よりもうんと小さな頃には目指すべき夢があった気がする。なんだっただろうか。

「翌年、私は男の子を産んだわ。可愛くて可愛くて仕方がなかった。夫も優しい人でね、幸せだった。私は幼い時に両親を亡くしてるから、家族のぬくもりが本当に嬉しかったんだ」

 少し間が開き、隙間の向こうから深く息を吸い込むのが聴こえた。

「でも幸せって永くは続かないのかな。ある日、夫が交通事故で亡くなったの」

「え」私と翼くんは同時に声を出した。

「これからどうしていいのか分からなくて不安になったし、弱音もいっぱい吐いた。けどね、無邪気に笑ってる息子の顔を見て私は決めたの。大変かもしれないけど、子供だけは立派に育てようって。だって、素敵な母親になるのが夢なんだから」

 強い人だと、そう思った。決意の込められた言葉は地面に響くような迫力がある。

「でも結局はそれも上手くいかなくて、亡くなった夫の両親に子供を取られちゃったんだ」

「そんな、どうして?」

「言われたの。『裕福な家で何不自由なく暮らすのと、女手一つでギリギリの生活で暮らすのと、子供にとってどっちが幸せなのか考えなさい』って」

「……ひどい」

「身を引き裂かれるような思いだったけれど、子供の幸せを考えたら手放すしかなかった。その時の私の収入じゃ、玩具の一つも買ってあげられなかったもの」

 胸がつまり、熱いものが込み上げてくる。震える声で訊ねてみた。

「母親っていうのは、子供の幸せの為ならどんなに辛いことも平気なんですか?」

「平気じゃないわ。でも、我慢できる。子供の為なら自分が傷つくのも厭わないし、子供の為なら鬼にでもなる。それが母親よ」

 深い母親の愛情。それはどの母親でも共通なのだろうか。私の母はどうなのだろう。そこまでの愛情があるのかは疑問であった。

「子供には会わせてもらえないの?」

 翼くんが悲しそうな声で訊く。

「うん。私は死んだことになっているのかもしれない。寂しくて、息子に会わせてくれって一日中家の前で土下座したこともあったけど、会わせてはもらえなかった。息子が二歳の時に別れて以来、一度も会ってないわ。今では十一歳になってるかな」

 九年間も我が子に会えないというのはどれほどの悲しみだろう。私はまだ小学生だから母親の気持ちなんてまだ分からないけれど、計り知れないほどの悲しみであることは想像できる。

「素敵な母親になるなんて言ったくせに、かっこ悪いよね、私」

 黒木さんのその言葉に対し、反射的に口が動いた。

「そんなことない! とっても素敵です! 優しくて、強くて、思いやりがあって……」

 言葉と一緒に涙も出てきて、声が詰まる。もう、それ以上は何も言えなかった。

「ありがとう、ひかりちゃん」

 私は胸を掻き毟るようにうずくまり、声を押し殺して泣いた。涙がやけに目に染みた。


 黒木さんが二十三時になったことを告げた。救助が来る気配はまるでない。私の上に覆い被さるように守ってくれているピアノに、いつ限界が来るのか気が気ではない。お腹がぐうと鳴る。こんな時でもお腹は減るものなのだな。

 右側からしくしくとすすり泣く声がした。翼くんだ。平気な素振りをしていたが、やはりこの状況は相当な恐怖なのだろう。

 私だって、いつまで平常心でいられるか分からない。僅かな隙間から空気が入ってくるようなので窒息の恐れはないだろうが、それでも息苦しいし埃っぽい。早くここから解放されたい。日中はそれほど感じなかったが、夜になり、気温がぐっと下がった気がする。体の震えが止まらなかった。

 ふと、静寂の中にメロディが流れ始めているのに気付いた。それは歌声だった。黒木さんがアカペラで歌っているようだ。歌手だったのは十年以上前だと言っていたが、今でも現役で通用しそうな美しい歌声だ。透き通るような優しい声だったが、歌詞は力強く元気の出るもので『何かを失ったとしても、人は龍のように強くなれる』といった内容の詩だ。

 暫く歌声に耳を傾けていると不思議な安心感を覚え、その時だけは不安な気持ちを忘れて眠りに落ちていった。母親の胸に抱かれながら子守唄を聴いている赤ん坊は、こんな幸せな気持ちで眠るのだろうか。


 なにやら大きな物音で目を覚ます。無意識に目覚まし時計を止めようと手で探ってみるが見つからない。そうだった。ここは瓦礫の中だ。夢だったらよかったのに。

「ひかりちゃん」

 黒木さんの声がした。それと、断続的に響いてくる激しい物音。

「これ、なんの音ですか?」

 物音に負けないように大きめの声で訊いた。

「夜が明けてすぐに救助がきたのよ。私たち助かるわ」

「え」

 驚きと歓喜の混じった声を上げる。

 その直後に黒木さんが瓦礫の中から救助されたようで、隙間からお礼を言う黒木さんの声や、複数の男性の声がした。翼くんの声もした。すでに救助されたらしい。

 すぐに私の救助が始まる。ドリルで瓦礫を砕く音や私を励ます救助隊員の声がした。悪夢のような一日が終わる。ここから出たら、とりあえず家族の安否を知りたい、それに黒木さんと翼くんにもお礼を言いたい。

 そんなことを考えていると、新鮮な空気が流れ込んできて肺を満たす。そして、救助隊員の逞しい腕に抱えられて瓦礫の中から脱出した。

「大丈夫です、自分で歩けます」

 そう言っておよそ一日ぶりに立つ地面の感触を確かめた。

 おかしい。

 すぐに異変に気付き、訊いてみた。

「どうして、朝なのに真っ暗なんですか?」

 その言葉に、私の顔を見た周りにいる救急隊員、黒木さんや翼くんが息を飲むのが気配で感じられた。

 私は一歩踏み出すと、何かに躓いて転んでしまう。すると、誰かが駆け寄ってきて私を抱きしめた。女性だ。黒木さんだとすぐに分かったが、肩を震わせて泣いているようだった。

 黒木さんが泣いている理由と、私が未だに暗闇の中にいる理由がその時はまだ分からなかった。


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