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四月。僕は父の所有するステーションワゴンの後部座席に乗せてもらった。足が不自由だと、車に乗るのも一苦労だ。車椅子を荷室に積み込むと発進する。助手席に母、僕の隣にはマモルが座っていた。窓から外の景色を眺める。暫くは、見慣れたこの景色も見られなくなる。
駅前を通りかかった時、穂村の姿を見かけた。相変わらず眠そうな目でズボンに手を突っ込んで歩いている。不健康そうな顔ではあったが、元気なようだ。翼が殺人者にならなくて本当に良かった。生きててくれてありがとう、穂村。それにしても、穂村が深夜に何をやっていたのかは結局分からずじまいだ。きっと、もう永遠にその答えは出ないのだろう。
「あ、父さん。寄ってほしいところがあるんだ」
運転している父にそう告げると、手描きの地図で行き先をナビしながら車は進んでいった。若干、道に迷いつつ探り探りではあったが、目的地までは十五分ほどで辿り着く。
「ここって、心療内科? カウンセリングでも受けるの?」母が心配そうに言うと、「まあ、そんなとこかな」と曖昧な返事をする。
父と母に手伝ってもらい、車椅子に乗り換えると入口まで移動した。
「一人で行くから、車で待ってて。すぐに戻るよ」
そう伝えると自動ドアをすりぬけるように院内に入る。清潔感のある院内のあちらこちらに観葉植物が置かれていた。濃厚な酸素に満ちている感じがする。大きく息を吸い込み、受付へ向かうと若い女性のスタッフがいたので「小西先生はいますか?」と訊いてみる。予約などしていないので駄目かもしれないと思ったが、「右の通路を進んで、突き当たりの部屋です」とあっさり通された。指示された部屋の前まで車椅子を軽快に走らせると、ノックをする。「どうぞ」と聞き覚えのある声がしたので遠慮がちに扉を開けた。
「あら、あなたアユムくん?」
憶えていたようだ。小西先生は少し驚いた表情で迎えてくれた。白衣がよく似合い、まるでドラマで女優が演じる女医のようだ。
「お久しぶりです」と軽く会釈をしてから室内を見渡す。なんだか大量の書類やら本やらが机や床に乱雑に積まれている。
「引越しでもするんですか」
冗談で言ったつもりだったのだが「そんな感じかな」と、意外な返事が返ってきたのでびっくりした。
「私ね、カウンセラーを辞めようかと思って」
「え」
畳み掛けるように驚きの言葉を放ってくる。
「翼の自殺が原因ですか?」
おずおずと訊いてみた。翼をカウンセリングで助けられなかったからだと、そんなふうに思ったからだ。
「それも少しあるかな。自分の力不足を痛感したというか。最後の患者が翼くんやアユムくんと同じ歳の女の子だったんだけど、結局私じゃどうにもならなかった。優秀な知り合いの同業者に任せたからその女の子はもう大丈夫だと思うけど」
クールな表情に悔しさが垣間見えた気がした。
「そう、ですか」
掛ける言葉が思いつかない。
「ところで、今日はなぜここに?」
小西先生が気を取り直すかのように明るい口調で言うので、顔を上げる。一呼吸置いて重々しく口を開いた。
「翼がビルから飛び降りる間際に言ったんです。笑いながら『アユムはいつも大事なところが抜けてるよな』って。この言葉の意味を小西先生なら解かるかなって、そう思ったのでこちらに伺ったんです」
小西先生は壁にもたれかかり、腕組みをした。「笑いながら、か」と呟く。
「翼くんのカウンセリング中は、よくアユムくんの話題が出てたわ。『おれの親友なんだ』って自慢げに話してたっけ」
それは初耳だ。なんだか少し照れてしまう。
「翼くんの最期の言葉にどんな意味が込められているかは正直解からないけど、でも、アユムくんを責めるような言葉ではないことは解かる。死の直前に笑いながら恨み言を言えるほど、人間はそんなに器用な生き物ではないわ」
思わず聞き入ってしまう程、言葉に説得力がある。カウンセラーとはすごい職業なのだなと感心してしまった。
「翼くんの言葉には、アユムくんへの感謝が込められていると、私はそんなふうに感じたかな。根拠はないんだけれどね」
「感謝……」
そうなのだろうか。僕は翼を救えなかったのに? なにもできなかった無力な僕に感謝をしていた? 信じ難い気がする。でも、なぜだろう。翼の死からずっと、胸の奥にぶら下がっていた重りが幾つか取り払われたような、そんな楽な気持ちになっていた。
「翼の言った通り、すごい人ですね」
小西先生は不思議そうに首を傾げる。
「カウンセラーの仕事、辞めない方がいいと思います」
この人ならもっと沢山の患者を救えるだろう。そう考えると辞めてしまうのが残念だと思い、半ば懇願するような目で真っ直ぐ見つめた。
小西先生はくすっと笑うと「そうね。もう少し考えることにするわ」と腕組みをした姿勢のまま、眩しそうに外を眺めた。
小西先生に別れを告げて心療内科から出ると、再び両親の手を借りて車の後部座席に座る。隣でマモルが退屈そうにしているので声を掛けた。
「よし、マモル。ゲームでもやるか」
僕は鞄から携帯ゲーム機を取り出す。「うん」と嬉しそうにマモルも同機種で色違いのゲーム機を取り出した。僕が車椅子生活になってからというもの、マモルは我儘を言わなくなった。子供ながらに気を遣ったのだろう。我が弟ながらかわいいやつだと思ったが、暫くはマモルとも遊んでやれないなと、寂しい気持ちにもなる。通信プレイを開始すると、小気味のいい効果音とともに僕のゲーム画面にマモルの操作するキャラクターが表示される。「よし、行こう」ゲーム画面内のキャラクターが二人並んで平原を力強く駆け出した。ゲームの中でなら、僕の足は自由だ。
二時間ほどで車は目的地へ到着する。眩しいくらいに真っ白な建物が目に入った。正門の前で車から降ろして貰い車椅子に乗り換えると、開け放たれた正門から建物の全貌を観光スポットでも見るかのように眺めた。綺麗に舗装された道が正門から校舎まで延びていて、向かって右側にはグラウンド、左側に体育館がある。花壇が多く、色とりどりの花が咲き乱れていた。校舎の裏側には寮があるのだろう。僕は今日から三年間、そこで暮らす。
視線を遠くから近くに戻すと、門柱に『花鳥風月』と刻まれていた。特別支援学校。障害者の為の学校だ。いつか母が持ってきた高校のパンフレットの中に、この学校のパンフレットも混じっていて興味を持ち、ここに入学しようと即決した。全寮制なので、登下校も楽だ。家族とは離れてしまうが、そんなに遠いわけではないからいつでも帰れる。
「じゃあ、ここまででいいよ。後は一人で行く」
母は心配そうな顔をするが、父は黙って頷いた。マモルはしょんぼりと俯いている。
「マモル。父さんと母さんのいうことをちゃんと聞くんだぞ」
マモルの髪をくしゃっと撫でてやると、口を尖らせてこくりと頷いた。
手を振りながら車が去っていくのを見送り、車が見えなくなると右側のハンドリムだけを回転させて左に旋回した。車椅子の操作はまだまだ慣れない。父は電動の車椅子にしようか、と言っていたが僕は手動式を選んだ。機械に頼るのはなんだか嫌だった。手は動くのだから、せめて手を使って自分の力で前へ進もうと思ったからかもしれない。
校舎の中へ入ると職員室を探す。すると、前方から作業着を着た中年の男性がこちらに気付いて近づいてきた。用務員のおじさんだろうか。少し緊張する。なぜなら、顔がまるで悪役プロレスラーのようにいかつく、恐ろしい風貌だったからだ。もしかしたら、勝手に校舎に入り込んだ不審者なのかもしれない。その男性は僕の目の前で立ち止まった。恐る恐る見上げると、男性は口角を上げてにっこりと笑う。その笑顔には悪意などは全く感じられず、素朴で優しさに溢れた表情だった。
「君、アユムくんだね。はじめまして、校長の木村です」
「え」
校長と名乗った。校長先生がなぜ、作業着を着ているのだろう。色々と疑問はあったが話してみると、とても気さくな人で親しみやすい。とりあえず、悪役プロレスラーや不審者だと思ったことを心の中で詫びることにした。
校長先生はそのまま、僕の車椅子を押して寮まで案内してくれた。校舎と寮は渡り廊下で繋がっていて、渡り廊下からは中庭にも出られるようになっている。一際目立つ噴水が印象的な美しい中庭だ。
寮の中に入り廊下を進むと『相談室』と書かれた部屋があり、ここでカウンセリングを受けられるのだと校長先生に教えてもらった。そういえば、父がこの学校には優秀な女性のスクールカウンセラーがいると言っていた。僕はなんとなく小西先生を思い浮かべた。女性のカウンセラーはモデルのような体型のクールな人物だと、固定概念が生まれてしまっているようだ。この学校のカウンセラーはどんな人だろう。
自分の生活する部屋は一階の一番奥にある、『A・一一二』と書かれたプレートが貼ってある部屋だった。中に入ると、ベッドや勉強机、タンスやテレビなどが置かれている。車椅子で生活することを考慮して作られた部屋なのか、なんだか広い部屋だ。校長先生が部屋の窓を全開にすると気持ちのいい風が室内を泳ぎ回る。日当たりも風通しも良好だ。
「じゃあ、困ったことがあったらどんな些細なことでも言いなさい」
校長先生はのしのしと部屋のドアへ向かった。「あ、ありがとうございます」と、去っていく背中に言うと「がっはっは」と高笑いしながら、手をひらひらさせて出ていった。
膝の上に置かれた鞄を床に置き、部屋の隅にあるダンボールに目をやる。予め送っておいた衣類や生活用品だろう。なんだか少し疲れたので、車椅子をベッドの横につけて腕の力だけでベッドに移乗する。一人でもこれくらいはできるようになっていた。もっとも、普通のベッドでは無理だっただろう。しかし、この部屋のベッドは車椅子で生活する障害者が一人で移乗できるように手すりがついており、高さも車椅子の高さに合わせてあるものが用意されていた。完璧な対応がされていて、ここでなら特に不自由なく暮らせそうだ、などと考えているとじわじわと睡魔が襲ってきたので、そのまま横になり目を閉じた。




