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ミッシング・ピース  作者: ぱせ
三章 アユム
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2

 

 けたたましい目覚まし時計のベルで目を覚ます。騒音を吐き出す時計を叩くように止めると、二秒で再び夢の中に落ちていった。しかし、今度は規則的な電子音が警告を発して鳴り響く。二個目の目覚まし時計を止めると、ようやくベッドから起き上がる。

 朝は苦手で、寝起きも最悪だった。押し寄せる睡魔と戦いながらぼんやりすること五分。寝癖でぼさぼさになっている栗色の髪の毛を掻きながら、重い足を引き摺るようにして部屋を出た。

 木製の手すりにしがみつきながら階段を下りると、すぐ右手側にあるダイニングルームへと向かった。朝食を運ぶ母に「おはよう」と挨拶し、ダイニングテーブルの椅子に腰掛ける。父の姿はなく、すでに出勤した後のようだ。目の前では、自分と同年代の男がもりもりと朝食を食べている。

「お前、またウチで食べてるのかよ」

「いやー、お母さんが食っていけって言うからさ」

 悪びれることもなく言ったのは友人の『遠藤翼(えんどうつばさ)』だ。小学生からの付き合いである翼は毎朝、一緒に登校するために僕を家まで迎えに来るのだが、いつも我が家で朝食を食べていく。母が翼をいたく気に入っていて、いつも朝食を用意するからだ。母だけでなく、あの厳格な父にも気に入られているのがすごい。『あいつはいい営業マンになりそうだ。就職活動する際にはうちに会社の面接を受けるように言っておけ』とまで言わせた。たしかに誰とでも仲良くなれるし、世渡りが上手い。そして、長い付き合いだから知っているが、いい奴だ。


「昨日は久しぶりに家族水入らずで遊びに行ったんだろ? どうだった?」

 中学校までの道すがら、翼が昨日のことについて訊いてきた。

「まあ、公園に行っただけだけどね」

「公園でもいいじゃねえかよ、遊びに行ける家族がいるだけさ」

「そう、だね」

 躊躇いがちに相槌をうった。翼には家族がいないからだ。

 五年前のクリスマスのことだった。翼は母親と一緒に、遠方に住む祖父の家に遊びに行っていた。父親は一緒ではない。というより、父親など最初からいなかった。翼が生まれて間もなく両親が離婚して、行方が知れないという。

「おれ、明日からおじいちゃんの家に遊びに行くんだ」と嬉しそうに言っていた翼の顔を今でも憶えている。その祖父の街で悲劇が起きることになるなんて、知る由もない。

 その街は大震災の震源地となったのだ。当時、僕はまだ十歳だったが、そのニュースを見て子供ながらにぞっとした。地獄絵図のようなこの中に翼がいるのかと、ニュースの映像を凝視した。もちろん、そんなに都合よく翼の姿が映ることなんてなかったが。

 それからしばらくして、翼が無事だと知ったときは安堵感で全身の力が一気に抜けた。ぽろぽろと涙をこぼしたと記憶している。嬉し涙なんて初めて流したので、なぜ自分が泣いているのか、そのときはよく分からなかった。

 だが、翼の気持ちを考えると複雑な気持ちになる。その震災で母親と祖父母を亡くしたのだ。もともと親戚は母方の祖父母だけだったので、翼は独りぼっちになってしまった。十歳の少年が身寄りを亡くし、たった一人だけ取り残されてしまう。その心中を察すると、今でも胸が押し潰されそうになる。

 僕の両親が翼を養子として引き取ろうかと提案して僕もそれに賛成したが、翼はそれを断った。「アユムとは、兄弟じゃなくて親友でいたいんだ」と言って、養護施設に入ることを望んだ。その言葉の意味が、僕は未だに分からない。

 被災後、翼はしばらく塞ぎ込んでいたが、やがてみるみるうちに元気を取り戻していった。心のケアのためにカウンセリングを受けていたのだが、その効果が絶大だったらしい。

「あのカウンセラーの先生はすごい」

 そう口癖のように言っていた。あまりに絶賛するので、一度会ってみたいと思っていたが、結局あえずじまいのままだ。

「翼も一緒に来ればよかったのに」

「公園にか? せっかくの家族水入らずなのに異分子が混じるわけにはいかねえよ」

「異分子がなんでウチで朝飯食べてるんだ」

「それはそれだ」そう言うと、僕と翼は噴き出すように笑った。

 校舎の下駄箱まで辿り着くと、三階まで一緒に上がったが途中で翼と別れた。クラスが別々だからだ。「あ、そうそう」と翼が踵を返して戻ってくる。「今日、あそこ行かないか?」と訊かれたので「いいよ」と返事した。


 放課後、僕と翼は学校の近くの賑やかな商店街にいた。買い物をしに来たわけではない。商店街にあるタバコ屋の角を曲がり、裏道を進んでいくと居酒屋の並ぶ場所に出る。その建物の中に一つ、今では使われていない廃ビルがあった。周りに人がいないことを確認してビル内に入ると、埃っぽい空気が漂っている。それでも、そんなことは気にしない様子で翼は僕の前をどんどん進んでいく。壁はコンクリートがむき出しで、以前は会社かなにかだったのか、倒れた事務机やダンボールなどが散乱していた。やがて、暗闇へ誘うかのような階段が現れるので、一気に駆け上がる。最上階である五階に到着し、アルミ製の扉を開け放つと新鮮な空気が流れ込んできた。

 空が広がっている。ビルの屋上だった。荒れた呼吸を整えながら、手すりに近寄る。さすがに五階分をダッシュするのはきつい。「なんで、毎回駆け上がるのさ」と息切れしながら訊くと、「生きてるって感じするだろ」と答える。意味が解からない。

 一息ついて街並みを眺める。周りにあまり高い建物がないので、景色はなかなかに壮観だ。この場所は三年くらい前に見つけた二人の隠れ家的な場所だった。それほど頻繁に来る訳ではないが、僕と翼のどちらかが相談したいことなどがある時にここで話す。いつの間にか、そんな決まりができていた。

「で、今日は何の相談だよ」

 僕がそう切り出すと、「ああ」と神妙な顔をする。真剣な話だろうかと、翼の顔をじっと見た。翼の顔は純粋な日本人とは少し異なっている。当然だ。翼はハーフなのだ。母親は日本人だが、行方知れずの父親はドイツ系アメリカ人だと聞いたことがある。黙っていればモテるだろうなという、整った顔立ちだ。

 だが、それを言うと翼は「黙っているおれなんて、気持ち悪いだろうが」と怒る。「違いない」と言って笑うのがパターン化していた。

「おれさ、好きな子ができたんだ」

「それは、前回もここで聞いた」

 たしか、三週間ほど前だ。全く同じ台詞を聞いた。幼稚園の頃に仲の良かった女の子と偶然に再会し、メールのやり取りを続けていくうちに好きになったと、そんなふうに聞いた。

「今度の休みに、デートすることになった」

「おぉ、やったな」翼の肩を大袈裟に叩くと、「うん」と力なく頷いた。

「どうしたんだよ。あまり嬉しそうじゃないね」

 なんだか思い詰めた表情をしている。

「告白しようと思うんだ」

「告白」

 少し驚いて、復唱してしまう。

「でさ、どこで告白すればいいかな?」

 泣きそうな顔で救いの手を求めてきたので、溜息交じりに言ってやった。

「もしかして、それが今回の相談?」

「なんで呆れた顔してんだよ。本気で困ってんだぞ」と憤慨するので、落ち着くように諭した。どんな相談でもちゃんと聞いてやろうと思い、咳払いをして仕切りなおす。

「どんな告白がしたいのさ?」

「そりゃ、あれだ。ロマンチックなやつだ」

「ロマンチック」

 日常生活であまり使わない言葉に、また復唱してしまう。

「お前、さっきから馬鹿にしてないか?」

「いや、してない」

 ロマンチックな場所で告白。自分には経験のないことだ。今までに読んだ小説や漫画、ドラマや映画からなにか参考にならないか記憶を探ってみるが、頭の中のどの引き出しからも有用な情報は出てこなかった。

「うーん、思いつかない」

「えー」

 翼は落胆の声をあげ、がっくりと肩を落とす。そりゃ、僕だって翼の力になってやりたいが、恋愛経験のない自分には未知の領域だ。なにかいい知恵が落ちていないかと、僕は手すりの外側に頭を出し、下の世界を覗いてみる。高所恐怖症というわけではないが、あまりの高さに一瞬、目眩に似た感覚を覚える。

 ふと、昔読んだ本に書かれていたことを思い出した。『吊り橋理論』だ。たしか、カナダの心理学者によって実証された学説だった。吊り橋の上では、揺れる橋での緊張感を共有することで恋愛感情が生まれるとか、そんな話だった気がする。恐怖感と恋愛感情を履き違えてしまうのだろうか。だとすると、彼女が恐怖を感じている時に告白すればいい。とはいえ、まさか本当に吊り橋に連れて行くわけにはいくまい。

「相手の子の苦手なものとかってあるか?」

「苦手なもの? ゴキブリが出たって泣きそうなメールなら来たな」

「他には」使えそうな情報を引き出そうと急かすように言う。

「あとは、生活指導の先生が怖いとか、泳げないから夏の水泳の授業が嫌だとか」

 閃きが閃光のように脳内を駆け巡る。漫画だったら、電球のマークが頭の上に表示されていただろう。まだ頭の中でその閃きを整理できないでいたが、「それだ」と翼を指差す。

「それだ、って生活指導の先生か?」

「違う。水の上だよ」

 母から聞いた話を思い出していた。父はボートの上で母にプロポーズしたのだった。泳げないのであれば、ボートの上は怖いはずだ。

「ボートに乗れる大きな公園があるんだ。そこに誘ってボートの上で告白してみたらどう? 景色のいいところだからロマンチックだよ」

「それだ」と、翼が僕の真似をして指を差した。

「上手くいくといいな」

 なんだか肩の荷が下りて、ほっとする。まだ結果は出ていないが、翼なら大丈夫だろうという確信めいたものを感じていた。遠くの街並みを見つめると、西の空が茜色に輝き始めた。逆光により、マンションが大きな影の塊となっている。

「アユムは将来、どうなりたい?」

 ふいの質問だった。僕たちは中学三年だから進路の相談はよくするが、将来についてのような漠然とした話はしたことがない。

「どうだろうな、ふつうに父さんの会社に就職するのかな」

「いや、そうじゃなくて」翼が遮るように言うと、「人間的にどうなりたいかってことだよ」と続けた。

 人間的に。それは、ジョン・レノンのように平和主義者になりたいとか、ガンジーのように非暴力や不服従を提唱したいとか、そんな意味だろうか。

「おれは、龍になりたい」

 奇妙な発言に、ますます意味が解からなくなる。

「リュウって、伝説上の生き物のか?」

 訝しげに訊き返すと、翼は「そうだ」と、満足気に言った。龍になりたい、とは比喩表現かなにかだろうか。それとも物理的にだろうか。

「龍みたいに強くなりたい。精神的に」

「でも、なんで龍なんだよ。強さの象徴だったらライオンとかでもいいだろ」

「馬鹿だな、ライオンは百獣の王って言われてるけどカバやキリンにも負けるんだぞ」

 いつだったか、確かにそんな映像をテレビで見た。カバに威嚇されて敗走したり、キリンに蹴られてノックアウトされているライオンの姿にはなんだかがっかりしてしまった記憶がある。

「強そうな見た目だけでいきがってる奴なんてみっともないだろ」

「まぁな、それで龍なのか」と言うと、「そうだ」と、またもや満足気に答えた。そして、なにやら鼻歌を歌い始めた。聴いたことのある歌だったが思い出せない。随分昔の歌だったように思う。翼の歌唱力はお世辞にも上手いとは言えなかったが、暫くその歌声に耳を傾けていると、サビに入る手前でピタリと止んだ。

「でも、おれはまだまだ龍にはなれない。今のおれはあれだな」

 そう言って指差した方向には、季節外れのアキアカネが迷子の子供のように飛んでいた。不規則に動くトンボの動きを暫く目で追っていたが、やがて見えなくなる。

「翼、トンボは英語でドラゴンフライっていうんだよ。小さくても立派な龍だ」

「そうなのか。じゃ、トンボでもいいや」

「なんだよ、けっこう適当だな」

 僕たちは笑いながら、沈んでいく夕陽をただ見送った。


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