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壊れた時計2

 優菜はガラスのドア越しに外を伺った。昼間の通りは人気が少ない。ここなら不審者がいればすぐにわかるはずだ。見える範囲に、あの青年の姿はない。コンビニという人目のつく場所に入ったせいで、追って来れなかったのだろうか。


 背後が気にならなくなると、考える余裕が生まれる。これからどうするのがいいのだろう。誰かに電話して助けてもらったほうがいいのか。それとも、時間を置けば諦めてくれるのか。

 優菜は頭の中を整理するように店の中をのろのろと歩く。


「いらっしゃいませー」


 新たな客が来たようだ。レジから、店員のだるそうな声が聞こえた。優菜はお菓子売り場の前で足を止めると、スカートのポケットから携帯を出す。誰に連絡しようか考えた時、一番最初に思い浮かんだのは、健の顔だった。しかしあんな喧嘩をしておいて、すぐに頼るのは気が咎める。指が携帯の画面を彷徨う。


 突然、床に何かを叩きつけるような、荒々しいもの音がした。そして、男の怒号が上がる。


「金を出せ!」


 優菜はとっさにしゃがんで身を隠すと、商品ケースの間からレジの方を覗き見た。すると、男が店員の鼻先にナイフを突き付けている。


「わ、わかったわよ。言う通りにするから、こ、こ、殺さないで……っ」


 女の店員はか細い悲鳴を上げて、ぶるぶる震えながらレジを開けていた。本棚の前にいた客がその横をすり抜けて、外に逃げ出していく。


「この野郎、待て! くそっ。──女、早くしろ!」


 逃げた客を罵ると、男は低い声で店員を脅しつけた。優菜は男を観察する。薄汚れた作業着姿に、顔をマスクで隠しているようだ。優菜の位置からは後頭部が見える。助けてやりたいが、下手なことをすれば優菜が死ぬことになるかもしれない。それを思えば、口の中が緊張で干上がっていく。


 しかし、自分の身だけを守ろうとするのは卑怯な気がした。せめて警察に知らせようと、震える手で携帯をマナーモードに切り替える。小さな震動が二度鳴った。その音に気付いたのか、男がふと周囲を警戒するように顔を巡らせた。

 優菜はさらに身体を小さくして顔を隠すと、119のボタンを震える手で押した。心臓がどくどく鳴る。何があっても逃げられるように、優菜は気配を殺して、祈るように男の様子を伺った。


 違和感を拭えなかったのか、男が優菜のいる方へ足を向けようとした。蛍光灯を反射して、包丁が鈍く光る。あれさえなければ、そう思って優菜ははっとした。そうだ。あれを失くしてしまえばいい。


 意識をナイフに集中しようとた時、客の来店を知らせる音が鳴った。中の騒動を知らない人が入って来てしまったのだ。

男の意識がそちらへ向く。出入り口に立つ人を見て、優菜は咄嗟に自分の口を押さえた。


「なにしてんだよ!」

 

 そこには健が居た。現場の様子をつぶさに見てとった彼は、ナイフを物ともせず男に掴みかかる。


「てめぇ、放せコラッ!!」


「この……っ」


「きゃああああ────っ」


 ナイフを奪おうとする健と強盗がもみ合う。店員は悲鳴を上げて、レジの前から奥へ逃げる。電話口から聞こえる警察の声にも答えられないまま、優菜は必死にナイフを飛ばそうとしていた。しかし、いくらイメージしても男の手から凶器が消えない。

 力負けした健の背中がカウンターについた。男がナイフを振りかぶる。


「健君っ!」


 優菜が飛び出した瞬間、ザクリと肉を刺す嫌な音がした。目の前で健の身体がずるずると落ちて行く。


「お、お前が悪いんだぁ!」


 両手を赤く汚した男は怯えたように吐き捨てて、店からなにも取らないまま逃げ出す。

 健の腹部はナイフが突き刺さってた。真っ赤な血が白いTシャツをじわじわと染めていく。


「はっ、ぐ……っ」


「しっかりして、健君! お姉さん、救急車呼んでください!」


「は、はいっ」


 優菜は健に駆け寄って、頬に手を当てる。その間に腰を抜かしている店員に鋭く叫ぶ。彼女は慌てて奥の電話に走り寄る。

その間にも時間は止まらない。健の冷や汗が浮いた顔は青白く、血の気が引いていく。


「優菜、悪い。ストラップ、探したんだが、見つかん、なかった」


 その一言で、どうして健がこのコンビニに来たのかを知った。優菜は零れそうになる涙を堪えて、健の腹部を手で押さえる。


「いいよ! そんなこともういい! お願いだからしゃべらないで。どうしたらいいの……血が止まらないよ……っ」


 溢れる鮮血が優菜の両手を濡らす。


「……オレ、謝ろうと……優菜、泣く……な……」


 血が床に広がる。健は最後の力を振り絞るように、優菜の頬を撫でた。その手が──床に落ちる。目から光が消えて、命の気配が遠ざかっていく。


「お願い、待って! すぐに救急車が来るから!!」


 涙交じりの呼びかけに答えは返らず、健の呼吸が止まった。吐き気がするほど色濃い死の匂いが鼻孔を塞ぐ。

 絶望が胸を焼いた。優菜は声も出せないまま、健の重い身体を強く抱きしめて、溢れては流れる涙に頬を濡らす。嗚咽に喉が震えた。


 どうすればいい? どうすれば健を失わずにすむのだろう? パニックにも似た考えが、頭のなかを埋め尽くす。謝ることも出来ないまま別れることを、優菜はどうしても認めたくなかった。


『1の力には1に見合う代価が必要ってことだ』


 ふと、健のそんな言葉が蘇る。


「そうだ……あの時……」


 思い付いた方法に、優菜は僅かな可能性を見出して、健の身体をそっと床の上に横たえた。救急車のサイレンが聞こえている。おそらくこれが最初で最後のチャンスになるだろう。

 健の顔をそっと撫でて、優菜は涙と鮮血に濡れた顔で微笑む。


「1の力に1の対価が必要なら、私の全部をかけて、私の鼓動を健君に飛ばすことも出来るはずだよね?」


 それがなにを意味しているのか、優菜にはわかっていた。だが健が生きててさえくれるならそれでもいいと思った。その行いが人の道に反していたとしても。

 優菜は自分の左胸に、血で染まった右手を当てた。右手は健の胸に置いて、祈るように強く鮮明なイメージを瞼の裏に作り上げる。


 心臓の脈打つ音。刻まれるリズム。手の平の神経を集中させ──飛ばそうとした時、後ろから誰かに抱きしめられた。

 肩から出た両腕が、強引に優菜を後ろに引っ張る。


「止めるんだ!」


 いつの間に後ろに居たのだろうか。あの青年だ。押し殺すような声で、優菜を引き留めようとする。


「いやっ、放して! 邪魔しないでよ! 私が健君を助けなきゃ!!」


「優菜さん、ちゃんと聞くんだ。こんなことをしても意味はないんだよ。飯倉健は──兄さんは五年も前に死んでいる」


「え……?」


 時間が止まった。泣きそうな声で告げられたことが、言葉として聞こえなかった。優菜は全身を震わせて、青年に反論する。


「そんな、そんなわけないじゃん! だって健君ここにいるよ! 早く助けてあげないと、間に合わなくなちゃうよ!」


「現実を見るんだ! このままじゃ貴方まで死んでしまう。お願いだから、思い出して。この時、優菜さんは自分の命を使って兄さんを取り戻そうとしたけど、それは無理だったんだ。0から1は生まれない。貴方はそれを知っているはずなんだ!」


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