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壊れた時計

「もうちょっと、実験してみようぜ」


 優菜は瞬いた。一瞬、自分がどこにいるのか、わからなかった。返事をしなかったからか、健が訝しそうに開いていたノートから顔を上げた。


「聞いてるか?」


「ごめん。ちょっとぼうっとしてたみたい」


「暑いからな。七月に入ってから日差しがさらに強くなったし、そろそろ外じゃ厳しいかもな。今日の実験が終わったら、アイスでも買いに行こうぜ」


「またぁ? 私もう疲れちゃった。緑君と遊ぶための体力まで無くなっちゃう、終わりにしようよ」


 休日の昼間だというのに、朝から広場に呼び出されて実験の繰り返しだ。健は力が発動するのにかかる時間や、飛ぶ距離を測り、ノートに書き記しているのだ。

 この一カ月半で優菜の力はより強くなり、数値の上でも飛躍的に伸びている。無意識に力を使うこともなくなり、成功率は半々だが、今では文庫本でも重すぎなければ辛うじて飛ばせるようになった。

 それが健の実験のおかげなのは確かだ。しかし彼はいつも熱くなりすぎる。今はいつも歯止めになる緑が塾に行っており居ないのだ。


「もう少し実験したかったんだが、仕方ねぇな。これまでの結果から見て、あんたの力は精神力と体力を元に使っているんだと思う」


「えーと、つまり?」


「飯を作るには材料が必要だろ? それと一緒だと考えればいい。飯をあんたの力、材料はあんたの体力と精神力。材料がなければ飯は作れない。1の力には1に見合う代価が必要ってことだ。その理論でいくと、これから精神と体力の両面を鍛えていけば、いずれはあんたの力でオレを飛ばすことも出来るようになるかもしれないぜ」


 好奇心に目が光っている。真面目な顔で自分の考えを語る健は、白衣こそ着ていないがまるで一端の研究者ようだった。


「難しい話はよくわからないけど、私はそれあんまり欲しくないや。だって大きな力って怖いもん。それよりも早く実験を終わらせて、緑君と合流しようよ。もう塾も終わった頃じゃない? きっと私達のこと待ってるよ」


「つれないな。じゃあ、あの猫のストラップを使う。軽い分、ちょっと難しいことをつけ足すからな」


「他の物じゃ駄目? これ気に入ってるのに」


「だからこそ使うんじゃねぇか。大事なものは失くしたくないだろ?」


 優菜の気持ちを利用しようというのか。健は毒を含んだ顔でニヤリとしすると、しぶしぶ差し出したストラップを目の前に掲げてみせた。


「いいか? オレが拳の中にストラップを隠す。そしたら、入口の右にある木の下に白い紙が引いてあるだろ? そこを目標に、ストラップを飛ばすんだ」


「またややこしいことを……」


「ややこしいから面白いんだろ」


 優菜の言葉をなぞらえて、健は小憎らしい顔をする。同い年の彼は、こんな時にまるで大人のような余裕が見え隠れするのだ。

 対抗する様に優菜は子供ぶって舌を出す。


「意地悪すると協力しないからね!」


「そりゃあ困るな。じゃあ、早く終わらせるか。時間がもったいない」


 そのあしらい方がまた様になるので、余計に腹が立つ。優菜はツンと澄ました顔をして口を閉じると、ストラップを頭の中でイメージした。細部まで形が作れたら、じっと謙の拳を見つめて眉間に意識を込める。ぐっと意識に力を入れた。途端に全身に倦怠感が襲う。


「おっ、飛ばすのは成功したな。中のストラップが少し震えたぜ。新しい発見だ。前兆現象なのかもしれねぇ。すげぇ不思議だ」


 健は開いた手の平をじっくりと眺める。いつもは落ち着いた声が弾むようだ。優菜は仕方ないなと苦笑した。楽しそうな様子を見ていると、少しくらい疲れても、いいかという気になってしまう。


「話は道すがら聞くから」


 優菜は健の背中を両手で押すように歩き出す。そうしないと、いつまででも語り続けていそうだった。広場の出入り口に向かう途中で、ストラップを取りに行くと草影から黒い猫が飛び出してきた。それはあっと言う間に優菜のストラップを口に銜えて行ってしまう。


「あ……っ、待って!」


「猫が猫のストラップ取ってくってなんの冗談だ」


 二人が追いかけるより先に、猫の俊足はいかんなく発揮された。あっと言う間に広場を飛び出していく。唖然と棒立ちする優菜の隣で健が噴き出す。

 呑気な顔で爆笑している彼に、優菜の中ではぐつぐつと怒りが煮立ち出す。きつい目で健を振り返ると、さすがに空気を読んだのか笑い声が消える。


「あー、悪かった。あのストラップって、飲料水のオマケなんだよな? コンビニで買い直して弁償すっからそんな怖い顔するなよ」


「期間限定なんだから、もうほとんどないの! 気にいってるって言ったのに……」


 優菜は俯いて唇を噛む。悪気がないにしてもあんまりな態度だ。このまま一緒にいると、健にますます不機嫌な八当たりをしてしまいそうで、優菜は踵を返して背を向ける。


「もういいよ、私帰るから。緑君にはごめんねって伝えといて」


「おいっ、待てよ!」


 呼び止める健の声を無視して、優菜は走り出した。忘れた存在があることに、微塵も気付くことなく。





 刹那的な怒りは、時間が経つ程に萎んでいくものだ。そうなると、人は冷静に自分の行動を振り返る。優菜もそれは同じだった。衝動的に広場から飛び出したものの、その足取りは重いものになっていく。胸の中で渦巻く後悔が、口の中まで苦くする。


「八当たり……しちゃった……」


 頭の血が下がれば、いかに下らないことで怒っていたかがわかる。あの時、猫が飛び出してくるなんて、誰に予想出来ただろうか。きっと神様にも無理だ。それなのに、健を理不尽に攻めてしまった。しかも原因がタダ同然のおまけのストラップかと思うと、自分の短気さに呆れるばかりだ。


 立ち止まった優菜は、頭を両手で掴んで、乱れるのも構わずかき乱す。そうして、ぼさぼさの頭を抱えて歩道のど真ん中でしゃがみ込む。

 じりじりと照りつける太陽は優菜を断罪しているようだった。そう思うのは、悪いのが自分だと自覚しているからか。優菜は汗がじんわり浮かぶまで頭を俯けて、灰色のため息をついた。


 こんな後ろ向きな反省をしているより、素直に健に謝る方がよほど建設的だろう。しかし、優菜の中にも小指の先くらいのプライドがある。ただ謝るのは口先だけのようで嫌なのだ。

 心の中で小さなプライドと理性がいがみ合う。どちらかと言えば、理性が押している。優菜は後悔を引きづるように立ち上がった。


 一瞬、時間が止まる。道の先に、青年が佇んでいたのだ。その存在を認識すると、どっと心臓が脈打った。周囲の風景がぼやけて、彼の姿だけが際立って浮き彫りになる。


「優菜さん、逃げないで。あなたはここに居てはいけない」


 声には優菜を気遣うような気配があった。ゆっくりと距離を詰めてくる青年に、身体が震え出す。全身の毛穴が開いて恐怖が噴き出してくる。

本能が逃げろと叫ぶ。理性が逃げるなと押しとどめる。

 どちらの言うことも聞けないまま、優菜は目の前の青年を見つめていた。

 伸ばされた手が腕に触れる寸前、どこからか猫の鳴き声がした。驚いたように青年の動きが止まる。その隙に、優菜は踵を返して逃げ出した。恐ろしい。その一心だった。


「それ以上は先に行っちゃ駄目だ!」


 後ろから足音が追ってくる。走り出したのは優菜が先なのに、後ろを振り返ると、男の足は予想外に早い。あっという間に背後の気配が色濃くなる。遠かった足音が近くなっていく。追い詰められる恐怖と走り続ける苦しさで、優菜は激しく息を喘がせる。


 角を曲がって、すぐに目に入ったのはコンビニだった。優菜は一も二もなく店に飛び込んだ。本棚那の前にいた客が驚いたように優菜の方を見る。店員も決まり文句を言いながら、不審そうな顔をしていた。


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