強さの種類
テスト期間を終えた次の日、優奈は約束のクッキーを手作りした。味見をしたら我ながらなかなかの出来だった。これなら安心して渡せそうだと思っていたのに、その日に限って健が休んだのだ。
風邪でも引いたのかと思ってメールを送ってみたが、放課後まで返信がなかった。心配なので、今度は緑に送ってみた。すると、すぐに健が寝込んでいると返信が来た。
詳しい内容は書いてなかったが、風邪なのかもしれないと当たりをつけて、優奈はコンビニでゼリーを買い込んでお見舞いにいくことにした。
住宅街の道すがら、昨日の彼の様子を思い出す。クラスの男子とお笑いの話で盛り上がっていたし、爆笑していた姿からは風邪なんて引きそうに見えなかった。いや、案外最近厚くなってきたから布団を蹴飛ばして寝て、身体を冷やしたのかもしれない。全部が想像でしかないが、ベットの中で唸っている姿が思い浮かんで足が自然と速まる。
健と緑の家は青い屋根の一軒家だ。広い庭にはダックスフンドのラッキーがいて、優奈の顔を覚えていたのか嬉しそうに尻尾を振りながら近づいてくる。
「こんにちは。ご主人様は元気かな?」
優奈は門越しに話しかけて、インタフォーンを押した。すぐに落ち着いた声が返る。
「優奈さん? わざわざ来てくれたんだ、ありがとう。今開けるから」
玄関先に設置されたカメラから優奈が見えたのだろう。すぐに緑が家から出てきた。門を開いて優奈を家の敷地内に招き入れてくれる。
「健君、風邪酷いの? ゼリー買ってきたんだけど、食べられそうかな?」
「その、学校には熱があるって連絡したけど、風邪じゃないんだ」
「それじゃあ、なんなの?」
緑は言いにくそうに口ごもる。やっかいな病気なのかと優奈は心配を募らせた。その不安が顔に出ていたのか、彼は大げさなものではないと否定する。
「会えばわかるよ。兄さんの部屋に行こう」
緑の後に続いて階段を登ると、階段が二人分の軋んだ音を立てた。何度も聞いた音なのに、それが今日は不穏に聞こえる。それは優奈自身が不安に思っているからだろうか。
緑は一番左の部屋をノックした。
「兄さん、優奈さんが来てくれたよ」
「マジか、入って来い」
「……おじゃまします」
健の言葉を受けて緑がドアを開く。軽く頭を下げて室内に入ると、健はベットから半分身体を起こしていた。しかしその顔を見て優奈は目を疑う。健の左頬は見るからに腫れあがり、口元には青痣があった。
優奈はベットまで近付くと、健の痛々しい顔を上から覗き込む。
「うわっ、ひどっいなぁ。誰に殴られたのさ?」
「痛てぇから触んなよ。昨日、帰りに違う学校の奴等に絡まれてな。三人相手にして身体がバッキバキなんだよ。おまけに殴られたせいで熱も出るわで散々だったぜ」
「ご愁傷様。で、勝った?」
「辛勝ってとこだな。あ、勘違いするなよ? オレは基本的に平和主義者だからな。こよなく平和を愛する男だ」
「わかってるよ。喧嘩売りまくりの奴なんて、物騒過ぎて友達になる前に逃げてるね」
「僕も、そんな兄さんはちょっと……」
「そんなことしねぇよ。オレはな、昨日思い知ったわ。殴り合いの喧嘩で生まれるのは友情なんかじゃねぇ、ただの苦痛だ」
眉を顰めたら頬が痛んだようだ。健は腫れあがった場所を撫でながら痛そうな顔をする。もしかしたら口の中まで切っているのかもしれない。ゼリーはともかくクッキーを渡すのは止めた方がいいかもしれない。
「でも、変な病気じゃなくてよかったよ。緑君が風邪じゃないって言うから、逆に嫌な想像しちゃって。身体まだ辛いんでしょ? 心配ごともなくなったし、私はそろそろ帰るよ」
「兄さん、僕途中まで送ってくるよ」
「お前も気をつけろよ。優奈、わざわざ悪かったな。明日は学校行くからよ」
「うん、お大事に。ゼリーでも食べて早く元気になってね」
袋からゼリーを取り出して渡すと、優奈はひらひら手を振って緑と一緒に部屋を出た。
何度か一緒に歩いた帰り道に二つの影が長く伸びる。夏の気配が近づき、前よりも伸びた陽が世界を橙色に染めていた。幅の狭い路地は風もなく、昼間より気温が下がった空気は心地いいものだった。
「なにかあったの?」
そう声をかけたのは、家を出てから他愛ない話に花を咲かせていたものの、緑がいつもより沈んでいることに気付いていたからだった。
ぷつりと会話が切れて、緑の足が止まる。小さな旋毛を見下ろせば、彼が悲しんでいる気がして、優奈はその頭を優しく二回叩く。
「私でよければ話してごらんよ」
「優奈さん……」
緑は言葉を探すように目を揺らす。そして唇を一度噛みしめて、口を開いた。
「兄さんは言わなかったけど、あの怪我は僕のせいなんだ。僕が絡まれたのを兄さんが助けてくれて、そのせいで怪我をした」
「そっか。健君らしいね」
弟を守るために身体を張ったこと、そのことを言わないのまで本当に健らしい。緑は悔しそうに両手を握る。
「昔から兄さんは、仕事で留守がちな母さん達に代わって、僕を守ってくれていた。だけど、そのせいで兄さんが怪我をするのは嫌なんだ。僕はどうしたら強くなれるんだろう」
「鍛えれば身体は強くなるかもしれないね。だけど緑君なら、力よりも頭を使った戦い方が向いてるんじゃないかな?」
「頭を使う?」
「そう。人気の多い道では絡まれにくいよね? それって人目があるからだよ。見ている人に警察を呼ばれる可能生があるから、普通そんなとこで相手も絡んでこない。これって頭を使った対処法じゃないかな? 力じゃなくても頭を使えば対抗出来る」
優奈は小さな頭から手を下ろした。
「僕に出来るかな……」
「私達の中で一番頭がいい緑君なら、いろんな対抗手段が浮かぶんじゃない? それは緑君だけの武器だと思うよ」
小さな頭から手を下ろすと、緑は今までにない強い目をして優奈を見上げてきた。
「優奈さん、僕は兄さんみたいにはなれないけど、僕なりに頑張ってみるよ」
「迷ったら一緒に考えようね。今度は健君も交えてさ。きっと仲間外れにしたら拗ねるから」
中学生でも立派に男の子だ。優奈は鞄を探ると、持って帰るつもりだったクッキーを一袋緑に渡した。
「健君には内緒だよ。きっと食べられないから渡さなかったの。また作ってくるよ。その時は初めて貰う振りをしてね?」
しーっと口元で指を立てる。橙色に染まった彼の頬に、嬉しそうな笑みが浮かんだ。