トモダチ
冷房が効いた涼しい店内に連れ込まれて早五分。正面に座る健は一言もしゃべることはなく、優菜の顔を穴が開きそうなほど冷静に見つめている。
視線に耐えられず俯いた優菜は、膝の上に両手を丸めておいて、黙秘する犯罪者の気持ちを知ることとなった。まるで取調室で事情聴取をされているようだ。
警察と犯罪者のやり取りをしていると、テーブルに店員が注文を取りに来る。
「ご注文をお伺いします」
重い空気を読んだのか、店員は引きつった笑顔だ。しかし、自分の仕事を遂行しようとする姿勢には敬意を払いたい。現実逃避にそんなことを考えていると、健が身じろいだ。
「オレはサンドウィッチのセット。スープはコンソメで。あんたはどうする? ここなら、チョコケーキがお勧めだ」
「えぇっと、じゃあそれで」
店員は注文の確認をすると、足早に下がって行った。この気まずい空気から逃げたかったのだろう。その気持ちはよくわかる。優菜も今すぐ逃げ出したいくらいだ。
再び沈黙が訪れる。妖精が通ってるね。なんて冗談を言えるはずもなく、優菜はこっそりため息をついた。
謙がテーブルに右肘をついて、困ったように米神を掻く。
「そんなに警戒しなくても、って言うのは無理か。あのな、オレは別に飯塚の秘密をバラすつもりも、脅すつもりもない。もしそうなら最初から言ってる」
「……うん。他の人に言うつもりがないのは、さっきの様子を見てればわかるよ。だけど何時から知ってたの? 私、これでも人に知られないように気をつけてきたつもりなんだけど」
「最初はわからなかった。美術の時に、突然画用紙の上に絵の具が転がってきた時には、自分の目を疑ったな。けど、オレのケースにはしっかり赤色はあるし、空中から転がり出てきたのをばっちり見ちまったから、信じるしかないだろ。相手を探そうにも名前は書いてないから、クラス中に聞いて回るわけにもいかない。だから本当は半分諦めてたんだ」
「なのに、私が野球ボールを飛ばしちゃったから……」
「目の前で消えたからな。絶対にあんただって思った。他の奴等は付き合いが長いから、オレにそんな秘密を隠し通すのは無理がある。まぁ、消去法だな」
「でも決定的な証拠じゃなかった?」
「その通り。あんたが正直者で助かったぜ」
健のかけたカマに、嘘をつけなかった優菜の負けだ。知らない顔をすれば無関係を押しとおせたはずだ。自分の迂闊さに、頭を抱えたくなる。
今度は隠さずにため息をつくと、右肘をテーブルに下ろした健が、喉の奥で楽しそうに笑う。
「そう落ち込むなよ。バレた相手がオレで良かったじゃないか。オレなら絶対に飯塚の秘密を他人に漏らしたりしないぜ? あんたの力に興味があるだけだからな」
「私の力なんて、本当に大したものじゃないんだよ。意識して飛ばせるのはせいぜい消しゴムくらい。無意識に飛ばしちゃった時は、大体そのまま行方不明。今日だって見たでしょ? 野球ボール飛ばしたくらいで貧血だもん」
「飯塚にはくらいでも、オレにはそれさえ出来ないからな。シャーペンの芯だって消せないのが普通だ。ぶっ倒れるのは不味いけど、その力は面白いと思うぜ。だって興味湧かないか? どういう原理でそれが出来るのか。どれだけその能力を成長させられるのか。……あんたみたいに力を持つ奴は他にいるのか、とかな」
付け足された意味深な言葉に、優菜は疑念に駆られた。薄く笑みを浮かべている彼の顔から意味を読み取ろうとするものの、難しそうだ。優菜は早々に白旗を振る。
「その言い方だと、私の他にも心当たりがあるみたいだけど?」
「おっと、直球だな。興味を持ったか?」
「そりゃあね。今まで私と同じような人に会ったことはないし、世界の何処かに居たとしても、自分の身近にいるなんて思いもしなかったから」
「教えてやってもいいぞ。その代わり、オレとオトモダチになろうぜ」
「友達?」
「あぁ。あんたの力に興味があるって言ったろ? 未知のものは解明したくなる性分なんだ。一緒に実験してみようぜ。飯塚も自分の力を知れるし、大きなものを飛ばしてもぶっ倒れなくなるかもしれないぞ」
「う……ん」
「難く考えるなよ。あんたは自分の力をコントロールしやすくなるし、オレは自分の好奇心を満たせる。お互いにとって損はない。良い話だろ?」
重ねて言われると、確かに良い話な気がしてきた。健の誘いに心が揺れる。しかし、クラスメイトでもほとんど知らない相手なだけに、信用出来るのかという不安がある。
「オトモダチになるなら、明日そいつに会わせてやるぜ?」
「なる!」
優菜はテーブルに身を乗り出して即答した。やはり自分と同じような存在に、会ってみたいという気持ちが抑えられなかったのだ。
低い笑い声が上がり、優菜は我に返った。途端に恥ずかしくなって椅子に座り直す。
「良い返事だ。オレのことは健でいいぜ。これからよろしくな、優菜」
「うん、よろしく」
差し出された手に、優菜はそっと自分の手を絡めて握手する。
大きな手に触れた瞬間、頭の中でパチンと音がした。
メールの着信音で目が覚めた。ベットに仰向けに横たわったまま、手だけ伸ばして携帯を探す。右往左往した指先が固いものに触れる。
薄く目を開いて、携帯を引き寄せた。メールを開くと、《今から広場で》というシンプルな文字。送信者は昨日新規で登録した健だ。
「了解っと」
二文字で返信を送り返して、優菜は起き上がる。時間を確認すると、午後一時を指していた。いつの間に寝てしまったのだろうか、頭がぼんやりする。
額を押さえながら部屋を出て、短い廊下を進んで階段を下りる。リビングに顔を出すと、母がソファに座ってテレビを見ていた。
「私、出掛けてくるね」
「はいはい、いってらっしゃい」
よほど面白いものを見ているのか、テレビに目を向けたまま、ひらひらと手を振られる。優菜は苦笑して顔を引っ込めた。しかし、ドアを閉めようとした時、母が振り向いた。
「優菜」
「うん?」
「早く帰って来なさいよ。あんたの好きなもの沢山作って待ってるから」
笑う母の顔が、どこか悲しそうに見えた。何かを言おうと口を開くものの、言葉が出てこない。優菜がまごついている間に視線が離れていく。
「……行ってきます」
結局、それだけ言うと優菜は母に背を向けた。どうしてだろう。胸が微かに痛んだ気がした。