人魚姫 下
ごめんなさいと謝っておきます
海から顔を出し、海に面する窓を見つめた。
太陽の光が反射する窓に焦点を当てて目を凝らすと、ゆっくりと人影が見える。
私の唇が一人の名を呼ぶ。
「ティアモ」
ここに彼女がいるとは限らないのに。
何故だろう、分からないのにも関わらず窓に映る影がティアモのものだと容易に分かる。
彼女の影は動かない。
それが私にはとても不吉な事のように思えて仕方がなかった。
「ティアモ!」
この声は彼女に届くだろうか。
「ティアモ! 返事をして!」
胸を締め付けるほどの危機感が体中に伝染して行く。
心が、痛い。
私は母に貰ったお守りを無意識のうちに握り締める。貝が割れそうになるほどに胸騒ぎをぶつけてみるけれど、やはり心のモヤモヤは続く。
「ごめんなさい」
一瞬空耳を疑った。
窓を隔てた向こうの声が私に聞こえるわけないのだから。
でも、私には分かる。
これがティアモの声だと。
声を失った、彼女の声だと。
「ティアモ?」
城の窓が静かに開く。
キラキラと太陽の光が空中に撒き散らされ、それと同時に彼女の美しい髪が空中に伸びた。
私から彼女の顔は見えない。
美しい顔を髪で覆い隠した彼女はそのまま海へと落下した。
胸元にはナイフが煌き、私の手の届かない距離にいる貴方は私に助けも求めないまま何処かへ行ってしまう。
駄目。
行かないで。
私を独りにしないで、ティアモ。
『可哀想なクリュウ』
『守りたかったものは泡に姿を変え、手の届かないものになってしまった』
『哀れなことよ』
それからどれほどの時間が経った事だろう。
私は彼女の泡を抱き締めて、ただぼんやりと海底を見つめていた。
ティアモ。ティアモ。ティアモ。ティアモ。ティアモ。ティアモ。ティアモ。ティアモティアモティアモティアモティアモティアモ。
貴方の名前を何度呼んだことだろう。
貴方の笑顔を何度思い浮かべたことだろう。
貴方は私を置いて遠くへ行ってしまった。
もう、本当に手が届かない。
声も何もかも届かない。
「……ばか」
私は右手に握った貝を飲み込んだ。
大嫌い。
私を残すティアモなんか大嫌い。
殺してしまいたくなるほどに嫌いよ。
「愛していたの」
唯一残った貴方の声で貴方への愛を紡ぐ。
だけれど。
一番伝えたい貴方にこの声は届かない。