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0832  作者: 夏野ゆき
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四、蛍

 四、蛍


 【人魂の如き、美しい光】



***


「気をつけていってらっしゃいね?」

「はいはい、わかってるって」


 懐中電灯、虫除けスプレーを渡してそういう母さんに「そんなに心配しなくても」と僕は笑う。

 おばあちゃんの家からは確かに少し離れているけれど、目的の山の裾野までは殆ど一本道だ。

 迷うこともないし、もし迷ったとしても、山から流れる小川を辿って、こちらまで戻ってくればいい。

 すべての川はどうせ、海につながっているのだから。


 履き慣れた運動靴を履いて、少し暑いけれど長袖のシャツを着る。木の小枝でひっかき傷ができるといけないから、とおばあちゃんが僕に、薄手のシャツを貸してくれた。

 老人っぽいデザインだったらちょっと困ったけれど、ただ単に黒いだけのシャツだ。

 もうそろそろ捨てようかと思ってたから、ひっかけても破いても構わないよ、とおばあちゃんは言ってくれた。


 懐中電灯がつくことを確認して、虫除けスプレーを体にかける。田舎と都会の差があるのか無いのかははっきりしないけど、こっちの蚊は僕の住んでいる場所の蚊よりかゆい。

 あんまりかきむしってはいけないって解ってるんだけど、やっぱりかゆいものはかゆいのであって、昨日の花火の時にたっぷり血を吸われた僕は、今日一日ずっと虫さされの薬のスッとした独特の匂いを体から漂わせている。

 ボツボツと何かの病気みたいに赤く腫れたそれを見て、母さんもおばあちゃんも「かゆそう」と声を揃えた。実際にかゆい。


「あんまり遠くまで行かないのよ? 日付の代わる二時間前……はだめだから、九時までには帰ること」

「大丈夫大丈夫。時間はちゃんと守るよ」


 とどめとばかりに渡された防水タイプの腕時計を左腕につけて、僕はおばあちゃんの家から出た。

 そんなに心配ならついていっといで、とおばあちゃんは母さんに言ったけれど、母さんは蚊に食われるのが嫌らしい。

 まあ、僕の虫さされのあとと、かゆがり方を見ればそういう気持ちになるのは当たり前かもね。

 こっちはこっちでもう既に蚊に食われているから、こわいものなんてない。しっかりスプレーしたことだし。


 昨日おばあちゃんがいっていたけど、本当に雨が降らなくて良かったと思う。

 よく晴れた夜空は、少しかけた月が柔らかく光っている。

 九時まで、あと二時間半。行って帰って来るにしても、時間なら余裕があるだろう。


 海から離れるようにして、山の裾野へと足を運ぶ。本物の蛍が見られるというのは、やっぱりとても楽しみだった。

 テレビでしかあの黄緑の蛍光は見たことがないから、わくわくする。

 母さんは「光ってる時は綺麗なんだけどね」と言っていたけれど、虫が苦手というわけでもない僕は、ただただ楽しみなだけだ。

 夜更かしできるということもあるし、ちょっとした冒険気分なんだよね。


 十分歩いただろうか、おばあちゃんと母さんに教えられたようにまっすぐと道を歩いていれば、小川のせせらぎのような、微かな水の流れる音がした。

 川が見つけられたら、あとはそれを山に向かって、遡ればいいと母さんもおばあちゃんも言っていたから――僕は懐中電灯を持ちながら、当たりを見回す。

 てろりと光を反射した場所があった。

 下の地面に気をつけながら、僕はそれにそっと近づく。

 懐中電灯で照らして、よくよく見てみれば、それはやっぱり川だった。

 辺りに人がいないのを良いことに、僕はにんまりと笑ってみる。

 何だか大げさだけど、古代遺跡に至る謎の道を発見したような、そんな気分だ。



 川に沿って、川の流れとは反対方向に進む。段々、草花の高さが増してきた。進む度にかさかさと音を立てて、僕が通った後の草が倒れていく。膝丈程の高さだけれど、時折手のひらに当たってくすぐったかった。



 川のせせらぎをバックミュージックに、僕は暗い道を歩く。不思議と怖くも何ともなかった。月がまだ大きいせいもあるかもしれない。

 夜だというのに十分に明るくて、風にそよぐ草花もよく見える。

 虫がころころと鳴いていた。

 つけっぱなの懐中電灯には、蛾が何かよくわからないけれど、羽のある虫が集ってきている。

 何となく、山だなあと思う。


 

 そのまま、草をかき分けて小川を遡れば、草より木々の方が増えてきた。林とか森とかを思い起こさせる景色。ここなら蛍が見られそうな気がする。

 さらさらと川は流れ続けていて、手の着けられていない自然、ってこういう場所のことをいうのかな、とおもった。人の声も、車のエンジン音も、明るい街灯もない。

 さくさくと草を踏みしめて、僕は川縁を歩く。

 額に少し浮かんだ汗を、シャツの袖で拭ったときに、目の前を黄緑の丸い光がよぎる。

 あ、と思わず口に出してしまった。


 ――蛍だ。


 蛍は、ふうわりと舞いながら、川を遡るようにして僕から離れていく。

 僕は蛍に誘われるようにゆっくりと歩みを進めた。この蛍についていけば、もっとたくさんの蛍に出会える気がしたから。


 僕の想像は概ね当たっていたといっていい。蛍について行くように山道を歩けば、いつの間にか少し開けた場所にでていた。

 山中だというのに、木々に遮られることもなく、少しかけた月が見える。

 川の周りにはほたるぶくろ。風に揺られてやさやと微かな音を立てている。

 川の源流というか、水の染み出す場所にでてしまったというか──俗な言い方をすれば、“穴場”なんだろうなと思う。

 星より不思議で不可思議な、黄緑の光がたくさん舞っていた。ふわふわと安定しないさまよい方は、人の手の加わっていないもので。

 柔らかい光が水に反射して、小さな用水路程度の水の道は幻想的な色を灯している。


 馬鹿みたいに綺麗、という言葉しか出てこなかったし、そういう表現が一番素直で、一番この場に相応しいのだとも思う。


 しばらく蛍に見入っていたけれど、急に僕以外の人の声を耳にして、体をこわばらせてしまった。

 くすくすと可愛らしい笑い声。少女のもの。

 人ならざるものに出逢ってしまったかと、一瞬身構えたけれど笑い声のする方を見てみれば、つい最近仲良くなった少女がいた。


 幻想的な景色にぴったりな、ふわふわと風に揺れる薄い白のワンピース。日差しもないのに被った麦藁帽子。

 海でよく出会う、あの女の子だった。



「君も蛍を見に来たのね」

「うん……びっくりしたよ、お化けかと思った」

「やだなあ、お化けと一緒にしないでよ」


 くすくすと笑う女の子は、こっちのがよく見えるよ、と僕に手招きをする。

 なら僕もそちらに行こうとして、僕と女の子の間に川があることに気づく。


「大丈夫、大して幅がないから、飛び越えられるよ。石もあるし」


 川の向こう側から呼びかける彼女の言うことも納得できるほど幅の狭い川だ。川というよりは、水の通り道、がやっぱり適当な気がする。

 所々に石ものぞいていて、石を渡っていけば簡単に服を濡らさずに向こう岸にいけそうだった。


 とんとんとリズムよく石を飛んでいく。向こう岸につけば「いらっしゃい、航太くん」――と女の子がおどけた。

 女の子が言うだけあって、こちら側から見る蛍はあちら側から見るよりも数は多く、僕らの周りをふわふわと漂っている。

 綺麗だなあとぼんやりしていれば、僕の左胸あたりに、蛍が一匹とまった。

 ブローチみたいね、と女の子は目を細めて、ちょんちょんと蛍を突付く。

 どうやら彼女は、虫を恐がらないタイプの女の子だったらしい。


「あ、やだ、もうこんな時間」

「え? ――あ、本当だ」


 防水性の腕時計は、家を出てから一時間がたったことを伝えていた。

 僕と女の子は顔を見合わせて、「一緒に行こう」と同じタイミングで口にする。

 一人で来た道を行くよりは、人が一人でもいたほうが寂しくない。




***



 女の子とは、僕の家のすぐ近くで別れた。

 朝は咲いていた朝顔も、こんな夜になるともうしょぼくれている。

 今度は盆祭りであえるかな、と笑った女の子に手を振って、僕はおばあちゃんの家へと戻った。


「あらやだ、あんたつれて来てるわよ」


 家に入れないでよね、と玄関で立っていた母さんに顔を顰められて、僕ははじめて自分の肩に蛍がとまっていたことに気付いた。

 潰さないようにつまんで、夜空に放る。

 黄緑色のまあるいたまは、ふんわりと夜空に消えていった。



 蛍が珍しかったのか良く分からないけれど、タロが随分とほえている。

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