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闇の魔術師(2)

「救助要請? 放っておけ、まずはこの基地が優先だ」

「われわれの脱出ルートは確保できているのだろうな?」

「提督に指示を仰がねば……提督はどちらにおられる!」


 音を聴いていた。


 耳に聴こえるこれは、腐敗の音である。

 音と一緒に、腐った臭いまで漂ってくる気がした。


 予想どおり、地下の作戦司令室はほとんど機能していなかったし、予想どおり、そこにペンドラゴンはいなかった。

 それがわかれば、もう、魔法で盗聴する意味などない。


 あきれたため息をひとつついて、ネズミは青い目を閉じた。



「外に出られない!」

 きりきりと、胸に迫る叫び声がどこからか飛んできて、それがまたたく間に四方八方へ飛び火してゆく。あらゆる出入り口が封鎖され、炎が迫るなかでも、第一セクターからの助けを求める無線はいっこうに鳴り止まない。

「なんとか出る方法を――このままでは住民たちが……!」

「ああ、くそっ、駐屯兵はなにをやっているんだ!」

 しかし、方々(ほうぼう)から聞こえてくる切実な声にさえ、バショカフの赤銅色の眼は小揺こゆるぎもしなかった。

 ひたいに汗して駆け回る兵士たちへ声をかけてやるでもなく、バショカフは、よどみのない足取りで廊下をひた進む。

 東へ、東へ――。


 歩くたびに、うぶ毛をチリチリと焼く熱気がむっと押し寄せてきて、こめかみから、あるいは背から汗が流れ落ちてゆく。バショカフはひたいに浮いた汗を、太い指でぬぐい取った。

「まったく、頭じゃわかってるっちゅうのに、暑いな……」

 ひとりごちて、ふと、左手の窓に目をやれば、こちらの騒ぎとはまったく無縁の建物がちらりとのぞいていた。研究棟の、一角であった。


 一階、東階段に近づくにつれて、兵士の数がだんだんと減ってゆくのは、こちらの通路が火の海となっているからだ。そこを、バショカフは尻込みすることもなく、ずかずかと突っ切ってゆく。

 視界がひらけた先に、なかなか先鋭的な内装というべきであろうか、火で飾られたホールが出迎えてくれた。階段前の、広々としたスペースである。

 おっ、と思わず声をあげそうになったバショカフが、たたらを踏んで、急ぎ壁際に飛びのいた。ついでにひゅっと大きく息を吸って、出っぱった腹をへこませ、壁との一体化を試みる。――それが無意味でないことを祈ろう。

 ホールには、三つの影。

 それらの影は、ユーリとアリア、そして、軍服を着た男――といっても、こんな状況で対峙している相手といえば、闇の魔術師で間違いなかろう。

「まずいところに出くわしまったな」

 どうやら、こう着状態がしばらくつづいているようだった。

 ひたいに汗をびっしり浮かべ、だらりと垂れた右腕から血がしたたり落ちているユーリの姿を見れば、ついさきほどまで繰りひろげられていた戦闘の苛烈さが、はっきりと伝わってきた。

「フェルマンか……あいつに見つかったら、まっ先に俺が殺されちまいそうだぜ……」

 バショカフは気配を殺して、ホール全体を油断なく見やる。

「アリア……まだ、やれるか?」

「うん」

 ユーリの問いかけに、きゅっと口を引き結んだアリアがうなずく。腫れた頬と、切れたくちびるがなんとも痛々しかった。

「こいつらを学校に行かせるわけには、いかない……!」

「同感や」

「ほざけ、ガキども! “雪渓に落ちよ(ヒドゥレヴァス)”!」

 男が床を強く踏み鳴らす。

 刹那、ユーリとアリアの足元に深く亀裂が走った。

 間一髪で飛びのき、ユーリがまだ動く左腕で宙に文字を連ね――青く発光したとたん、硬岩石の床がバキバキとめくれあがった。そこから現れた石のサメが、牙を剥いて男に喰らいかかる。

 授業で習っていないはずの、闇の魔術。それも、かなり高難度のものであった。

「チィッ、砕けろ!」

 魔術の応酬はすさまじく、一進一退の攻防がつづいた。

 ユーリの戦闘におけるセンスは、バショカフすら舌を巻くほどであるし、敵にわずかな隙も与えぬ技術と集中力は、秀才のひと言で片づけてよいものではなかった。

 しかし、使う魔術には、ためらいがない。

 殺す覚悟――いや、殺すつもりでいるのかもしれない。

 そのさなか。

「きゃあっ!」

「アリア?」

 ユーリがふり向いたとき、アリアは突然現れたもうひとりの闇の魔術師に、背後から羽交い絞めにされていた。先刻、キリクと闘った三人のうちの、ひとりである。

「同志よ、加勢する!」

「ああ、助かる!」

 刺青の入った太い腕が、アリアの首を徐々に締めあげてゆく。そのまま窒息死させるか、首の骨をへし折るつもりだろう。顔がみるまに赤くなっていった。

 苦悶の色――このままでは、まもなく、青白く変わるだろう。

 足が床から浮かび上がって、二度、三度、くうを蹴る。

「ぐう……」

「くそっ! アリア!」

「おっと、助けには行かせない」

 ユーリも目の前の敵に手いっぱいだ。

――どうする。

 闇の魔術師が、丸太のような腕にさらに力を込めた。ミシ、ミシ、といやな音が聞こえてくる。

「がはっ……!」

「死ね!」

――もうもたない。

 最後の仕上げとばかりに、腕をわずかに浮かせて力を込め直した――その一瞬の間隙かんげきに、「セントルクス!」血を吐くような声が大気をふるわせた。声に応じて、右の中指が光る。いや、そうではない。指輪だ。

 だれもが事態をのみこめないうちに、アリアを羽交い絞めにしていた男が残像も見えぬ速さでふっ飛んでいった。

 こちらと反対の壁に激突してくれたのは、幸いだった。

 アリアのかたわらで、たったいま蹴りあげた後肢こうしをゆっくりと下ろすそれの正体は、彼女の使役獣、魔獣フリージア。

 獅子ほど大きい猫のような、はたまたウサギのようなフリージアの被毛にしがみついて、アリアがよろめきつつも立ち上がる。ゼェゼェ荒い呼吸をくり返す彼女の瞳の底には、まだ強い光が宿っていた。

 そう、まだ終わってはいない。

「ごの、ガキが……! 全身バラバラにじで、殺じでやる!」

 折れ曲がった鼻からおびただしい血を流し、闇の魔術師が宙に巨大な図形を描きはじめた。

「死んで詫びるがいい!」

「“天地の理をもってれ、しかるべき鉄槌を受けよ、万世の主にかしずけ”!」

 長い詠唱だった。

 のどを痛めているにもかかわらず、美しく、流れるような、それでいて強い言の葉だった。

 魔方陣を描ききる前の、ほんの数秒のあいだである。

 つぎの瞬間、男の頭上がぱあっと赤く閃いた。

「そん――」

「かよわい女の子だと思って、なめんな!」

 あっと思ったときにはもう遅い。

 狂暴な質量をもって、赤い光が瀑布のように叩き落ちる。それがおさまるまで、ずいぶんとかかったような気がした。

「な、なにをする、貴様あ!」

 激情のままに、残された闇の魔術師がアリアの左胸へ指を――

「遅い!」

 ユーリの指が、鋭くさした。

凍れ(ヴァーイン)!」



 肩で息をするユーリの腕を、アリアがそっとつかんだ。彼女が涙目になっているのは、首をしめられ、喘いだためか、それとも――。

 ホールにぽつんと立つ氷の彫像を、おそるおそる見やる。

「殺しちゃったの……?」

「殺した……つもりやったけど、なんや……けっきょく、手加減してしもたわ……」

 自嘲気味にふっと笑うユーリの胸に、アリアが顔をうずめる。

「よかった……ユーリったら、闇の魔術ばっかり使うから……」

――ほんとうに、よかった。手を、穢さずにすんで。

「ほんとに、よかったぁ……」

 ちいさくふるえるアリアの背を、ユーリがやさしくなでる。

 バショカフはその光景を瞳に映したまま、腹をもとに戻してその場をあとにした。



 魔法で躍り出た場所は、東側の最上階――三階だった。そこもまた、火の海と化している。

 ゆっくりと右に左に首をふって、兵士の姿がどこにもないことを確認すると、慣れた足取りで左を行った。

 ガラス片や小石がそこらじゅうに散らばっている。

 しばらく進むと、一階まで見下ろせる吹き抜けのホールが、厳格たる雰囲気をもって姿を現した。その最奥に、お目当ての部屋があるのだ。

 床を踏みつけるたびに、パリパリ、とか、バキッバキッと、心地よい音がする。

 破壊の音だった。

 ああ、懐かしい――やはり、心が躍る。


 厚みのある両開き扉の前に、軍靴をそろえてバショカフが立った。

「提督」

 すると、すぐさま扉が内側へ引かれた。

「バショカフか? ああ、いいところへ戻った!」

 少し乱れた白髪交じりの髪。ひたいにうっすらと浮かぶ汗、ぎらぎらと光る両の眼……ふだんの威厳をかなぐり捨てたソーナ・ペンドラゴンの姿が、そこにあった。

「キエの姿が見えぬのだ。まったく肝心なときにおらぬとは、役立たずめ!」

「ああ。あの女狐――いえ、あの女なら一階で見かけましたぜ」

 ペンドラゴンがふと、いぶかるような顔を見せた。

 歯を見せて笑うバショカフが、ことさら不思議に映ったのだろう。

「まあ、いい。入れ、バショカフ」

「は」

 一歩足を踏み入れると、まず目についたのは、左の壁を埋めつくす棚である。そこに小瓶ばかりがずらりと並べられていた。

 黒い小瓶。

 それはすべてシキの血である。

「くそっ、まさか軍に攻め込んでくるとは……!」

「警備は万全だったんじゃあないんですかい?」

「万全だ!」

 ペンドラゴンが癇癪を起した子どものように、じゅうたんを踏みつけた。

「なるほど、軍内部に裏切り者がいたっちゅうことかもしれませんな」

「そいつを必ず見つけ出して、私の前に突きだせ、いいな、バショカフ!」

「おやすいごようで、閣下」

「うむ」

 ペンドラゴンが棚に向かって歩き出した。

「黒竜王はこちらの手中にあるのだ、それに、学校は完全に包囲している。あの小癪こしゃくな低級悪魔にも監視をつけていた!」

 棚から、両手で持てるだけの小瓶をつかみ取る。

「バショカフ、おまえを学校に潜り込ませていたというのに、なぜこのような事態になった!」

「面目ございません……。完全に、出し抜かれちまいました」

「くそっ!」

 ずかずかとバショカフの前を横切って、ペンドラゴンは机の上に広げてあったトランクケースに小瓶を詰めはじめた。バショカフはそれをただ眺める。

「ふたつの月が重なるのは、ちょうど学校で卒業式がおこなわれる頃……闇の魔術師を送り込んで叩けば、壇上の校長先生の首を、かんたんに獲れるはずだったんですがね」

「そうだ、そのためにこの日をずっと待ったのだ……!」

「むこうもこの日を待っていたっちゅうことですな」

 おのれ! と毒づく背中が、わなわなとふるえた。

「だが、やつのほうから仕掛けるなど、できるはずがない!」

「ええ。それこそ軍に対する、クーデターですからなぁ。軍に攻め込む、なにか大義がありゃあ、べつですがね」

 ペンドラゴンが机に両こぶしを置いたまま、怒りを押し殺すような声で、バショカフと命じた。

「反対側の棚から小瓶をすべて、かばんに詰めよ……! 私が玉座を手にするには、これがなくてはならぬ……! 秘宝を持ってここを出る」

 命じられて、バショカフは左手の棚に目を投げた。こちらにも、数えきれない小瓶がずらりと並んでいる。

「……もう学校へは手を回しておいでで?」

「オルデンに指示を出してある。あの男は魔法学校を知り尽くしているからな」

「なるほど」

 おもむろに棚からひとつだけ小瓶を手にとって、バショカフは黒い液体の入ったそれをしげしげと眺めた。

「黒竜王のところへは?」

「ファクローに任せてある。あれはただの人間だが、おまえといっしょで、私に忠実だからな」

「ほう、ファクロー中将?」

「ああそうだ」

 そこで、ペンドラゴンがゆっくりと半身をひねった。

 片手で小瓶を弄いでいるバショカフを不思議そうに眺め、よくわからない、といったふうに首を傾いだ。

「……なにをしている、バショカフ。小瓶を詰めよと、命じたのだぞ?」

 バショカフが、一本歯の欠けた口で、にっと笑った。

「提督、このような面倒なことをせんでも、もっと安全な方法がありますぜ」

「なに、本当か?」

 ぱっと表情を明るくさせたペンドラゴンのひたいには、玉のような汗が光っていた。乱暴な足取りで近づいて、バショカフの太い腕をバンバン叩くと、軍服からぶわっとほこりが舞った。

「さすがは私の見込んだ男だ!」

「光栄です、閣下」

「よし、頼む!」

「仰せのままに」

 宙にするりと指を走らせれば、一瞬でバショカフとペンドラゴンの体がべつの場所へと運ばれた。

 そこは、国軍本部基地東側、最上階の、吹き抜けのホールだった。いつの間にか、火が消え失せている。

「なんだ……? 私の部屋を出ただけじゃないか。北国の秘宝も、かばんも、まだ部屋のなかに――」

「ああ、そうですとも、安全な方法ってのは、こうするんです」

 バショカフの太い指がなめらかにまた文字を連ねてゆく。その速さときたら、たんに腕を真横に薙いでいるかのようだ。

「なにを――」

 刹那、バショカフの背後におびただしい数の小瓶が突然あらわれ、ほんの一時、宙にとどまっていた。ほんの、一時である。

 バーン、と響きわたるすさまじい破砕音。

 あらゆる音が、これにかき消された。

「こんなもん、なくなっちまうのが安全ですぜ」

 ふっと表情を消して、バショカフがいう。

「これからの北国には、いらねぇモンだ」

 割れた瓶の破片は、たちまち黒い海へと沈んでいった。

 目じりのしわを引き伸ばし、瞠目するペンドラゴンは、論じるべきことばが見つからないのだろう、ぽっかり開いた口からは、細い息が洩れるだけだった。

 互いの鼓動さえはっきりと聞こえてきそうなしじまを裂いて、からだの芯をしびれさせる声が、こう告げる。

「さあて、ここからは任せたぜ」


「ありがとうございました、ロエッタ」


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