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五.五階

 教室を出る間際、シキはキリクに呼ばれて、隣のせまい小部屋へとやってきた。

「魔法学教務室――私が自由に使える部屋です。ああ、シキ、そこの名簿を棚にしまって、かわりに五国地図ごこくちずと天球儀を出してもらえますか」

 キリクが指さすほうへ目を向けると、背の高い棚のいちばん上に、丸いものがちらりと見えた。

 そういえば、学校にいるあいだはキリクの手伝いをする約束だった、といまになって思い出した。


 やっとのことで、頼まれたことをぜんぶ済ませると、タイミングを見計らったようにキリクが湯気のたつカップを机に置いた。それから、「どうぞ」といって、それまた上品な仕草で勧めてくれる。

「どうです、シキ。東国と違って、ずいぶん変わった国でしょう?」

「はい……不思議なことばっかりで、びっくりしました。でも、みんな親切だし、よくしてもらったり――」

 わからないことばかりで、はじめは戸惑うばかりだった。けれど、はじめて人間の友達ができ、シキの世界はがらりと姿を変えていった。なぜなら、五年前に父を失ってからは一人と一匹の、長く、過酷な旅において、他人と関わることがほとんどなかったのだ。

 こんなにワクワクする気持ちは、ほんとうに久しぶりである。

「先生に会えて……その、よかったです」

 そう言ってから、なぜか急に恥ずかしくなって、照れ隠しにカップをかたむけた。香りの強い、あたたかいお茶だ。

「おいしい」

「紅茶というんですよ」キリクが微笑する。

「そうそう。今夜一人で時計塔のてっぺんまで行ってごらんなさい。あの塔は四方がくり抜かれた、見晴らし窓になっています。きょうは珍しく雲も少ないことですし、空気もじゅうぶん澄んで、双子の月がよく見えるはずですよ」

「時計塔?」

 暗に月を見に行け、といっているのだろうか。

「きっと良いことがあります」

 しかし、キリクは明確な答えをくれない。

「それと、時計塔から戻るとき、この瓶のふたを開けてください。迷わないように、みちびいてくれます」

 言って、ふところから宝石のようにチカチカ輝く小瓶を取り出した。なかには、淡い金色の光が水面にたゆたうように沈んでいる。

 シキはわけがわからず小首をかしげたが、キリクはにっこりほほえむだけだった。

「ご苦労様。さあ、次の授業へ向かいなさい」


 二時限目の授業は三階、防音魔法というのがかけられた、言霊室ことだましつでおこなわれ、シキは授業のチャイムが鳴る寸前で、教室にすべり込んだ。

「シキ、こっちこっち!」

 ややせまい縦長の室内には丸テーブルが八つ並んでいて、クラスメイトたちが着席するなか、ひとり立ち上がって手をふるウルトの姿が飛び込んできた。

 どうやら席を空けていてくれたらしい。

「ありがとう」

 どういたしまして、と応えたのはアリア。

 テーブルにはウルト、アリア、ユーリ、フェイメル、そして空の椅子が囲んでいた。

 空席に腰掛けると、間髪いれず、言霊学の担当教諭ココスロベンヌ・アザリー女史が恰幅の良い身体を揺らしてやってきた。彼女とはすでに一度、職員室で会っている。

 ボリュームのある金髪で、鳥の巣状のカールした髪の毛はウルト曰く、毎朝努力を惜しまずセットしているらしい。

 遠くからでもそこにいるのはまちがいなくアザリーだ、とわかるくらい濃い化粧と、どぎつい香水がシキの鼻を否応なしに攻撃してくる。

 彼女自慢のショッキングピンクのドレスワンピースに、金色のスパンコールをあしらったショールを肩からさげている容姿は、どこか魔物じみていた。

 すかさずウルトは身を縮めてシキとユーリの腕をつつく。

「見ろよ、バルバスのお出ましだぜ」

 けけけ、と声をひそめてウルトが笑うと、あの鉄面皮のユーリがふっと鼻で笑った。それはもちろん、嘲笑であるとシキにすらわかるくらい、あからさまに。

「バルバスってのは、アザリーみたくでっかい体で、目をカッと見開いてる上級獣系悪魔なんだ。悪魔学の教科書にも載ってるぜ。金獅子の絵が、そう。たてがみがアザリーのアフロそっくりだろ? リュシフュージェって残虐な悪魔のしもべさ!」

 悪魔学の教科書を鞄からこっそり引っ張り出してきて、バルバスの姿を描いた絵に指をさすと、ウルトはもう一度、声を殺して笑った。

 リュシフュージェ。

 その名に聞き覚えがあって、シキは記憶をたどった。

 どこで聞いたんだっけ? その名前を聞いたのは、はじめてじゃない――。

 糸の端をつかみかけた、まさにそのとき。

「ウルファート・リンデル! 聞こえましたよ。次にもういっぺん、いってごらんなさい。言霊学の評価はないものと思うのよ!」

 両目をカッと見開いた上級獣系悪魔が、えた。

 首をすくめ、あらら、とばつの悪そうなウルトに、シキとフェイメルはくすくす笑ってしまった。

 ちなみに、クラスのみんなは声をあげて笑い、アリアひとりだけが呆れたため息を落とし、ユーリにいたっては、バルバスを挑発した勇敢な友人を無視して、ひとり教科書をめくりはじめた。


 魔法学、言霊学、魔術史、悪魔学、北国一般教養――それらの授業を受け、長い一日がやっと終わりを迎えた。

「わたしたち一年生の必須科目は、この五つに加えて、光の魔術と闇の魔術学、天文学、薬草学がありますわ。それから、選択科目五種の中からひとつの、計九科目です」

 フェイメルがいう。

 ウルトたちの協力を得て、やっと学校のルールと構造がわかってきた。

 寮へ戻る生徒たちの波に逆らって、ユーリを抜いた四人は階段を下りていた。その先陣を切って歩くウルトが、ふり返る。

「学校は三年制で、キャメロット、エクスカリバー、アバロンってクラスが分かれてんだ。学年が上がってもクラス替えはねーから、シキは三年間、オレらと同じキャメロットってわけさ。アバロンにはいちセクの裕福なやつら――ようは、むかつくボンボンのやつらが多いんだ。あ、もちろんフェイメルちゃんは別だぜ! キャメロットとエクスカリバーはニセク出身が多いなぁ」

 ちなみにアバロンの連中はあたま悪いぜ、と付け足したウルトのあくどい顔といったら、東国でインチキ商品を売りつける商人のそれに似ている。

 ウルトの単純明快な説明のおかげで、学校にいる間、このすばらしい友人たちと過ごせると知って、シキはほっと胸をなでおろした。

 とはいえ、校則は非常に細かく、とてもではないが、シキが一朝一夕で覚えきれるものではない。

 ウルトから教わって、取りあえずひとつだけ覚えた校則は「遅刻をすると、授業が終ったら生活指導のモリスからねちねち説教をされる」だ。

 学校の構造はもっと複雑で多岐にわたった。

「ここは一階の玄関ロビーよ。右手のつきあたりは全校集会とかをする、大講堂があるの」

 アリアを先頭に、三つの柱に支えられた広場をつき抜け、ずいぶんと長い廊下を進んだ。

 木製の、丁寧に彫刻が施されたそれはみごとな両開き扉が出迎える。

 扉を押し開けると、まるで別世界に通じているような錯覚におちいった。白い漆喰で塗装された壁はまばゆい輝きを放っていて、巨大な電灯が吊り下がった天井はひじょうに高く、視力の良いシキでもはりまでは目視できないほどである。

「すごいでしょ」

 アリアがくすくす笑った。ほんとうにそのとおりで、シキは目を白黒させることしかできない。そのうえ、開いた口が塞がらず、ぽかんとしたまま大講堂を仰ぎ見た。


「左手つきあたりは、食堂がありますわ。中の構造は、大講堂と対になっているんです。装飾はむこうのほうが豪奢ですけど……」

「新入生は度肝を抜かれるって有名なんだぜ」

 シキは昨日の夜と今朝、すでにウルトと一緒に食事に来ていたため、どれだけすごいかはじゅうぶん理解していた。

 全校生徒まるまる余裕で収納できる広さがあり、壁はぬくもりを感じさせる、橙の漆喰で塗装されている。シキには、それが父と旅をしていたときの、焚き火のぬくもりのように感じられた。懐かしく、ほっと息をつける居心地の良さと、芳ばしい匂いがシキの体中に染み渡っていくようだ。


 そのほか、保健室と職員室が大講堂へ向かう通路の途中に並んでいる。

 四人は再び階段をのぼりはじめた。

 二階は教員用の教材室、資料室、研究室などがあり、あまり生徒は出入りしたがらないらしい。

「あたしたちのいるここが本校舎。ほかに西の見張り塔、東塔があるけど、すごい寒いし、生徒はめったに行かない場所かな」

 二階の窓から離れたところで左右にぽつんと建つ細長の塔を、アリアが指さした。

「この学校、教室や寮の部屋もそうだけど、通路と階段すごい多いよね」

「地下二階から地上九階まであるんだよ」

「迷子になった生徒とか、いままでいなかった?」

 まるで迷路の建物じゃないか。

「一年生はよくいるらしいよ、一週間は戻ってこないって話」

 アリアの底抜けに明るい笑顔が、よけい残酷に映る。

 早いとこ教室の場所を覚えなきゃ……。

 ひたすら階段をのぼり続けて、やっと五階を越えたとき、勇んで先頭を進んでいたウルトがぴたりと足を止めた。

「あれ? 寮に戻んないの? 男子寮は六階だよ?」

「んなこと知ってるっつーの! 五.五階にいくんだ!」

 ウルトのにんまり顔をシキはきょとんと見つめ返し、「五.五階?」と、オウム返しをした。

  

  


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